7月26日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記18:1~26「神の祝福と呪いの宣言」    2023.7.26

 申命記18章は、69節までありますので、3回に渡って学んでいきたいと思います。申命記の内容は、イスラエルの人々が約束の地において守るべき神の教えの内容が細かく書かれてあります。神の教えを守ることによって、神から祝福を受けること、神の教えを破ることによって、神から呪いを受けることが書かれてあります。神の教えは、神を愛することと自分を愛するように隣人を愛することです。もっと具体的にいいますと①偶像を造って拝んではいけないこと、②性的な乱れは赦さないこと、③弱い人や貧しい人が配慮されているか、です。それでは、申命記18勝の内容に入っていきます。

・18:1~14、神の祝福

 ここでは、神の教えを守ることによって、神から祝福を与えることが書かれてあります。神はいいます。もし、あなたが神の御声によく聞き従い、神が命じる教えをことごとく忠実に守るならば、神は、あなたを地上のあらゆる国民にまさったものとしてくださると。あなたは町にいても、野においても祝福されます。神の祝福の具体的なことがいわれます。あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子や羊の子も祝福されます。籠もこね鉢も祝福されます。イスラエルの人々の行動、入る時も出て行く時も祝福されます。敵が来ても打ち破ることができます。神は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きをすべて祝福されます。イスラエルの人々には、神が与えてくださった土地で、恵みの倉である天を開いて、季節ごとにあなたの土地に雨を降らせてくださる。そのために、あなたは多くの国民に貸すことになりますが、あなたが貸してもらうことはないといいます。ここでは繰り返し、神の教えを守るようにいいます。神はあなたを頭とし、決して尾とはされないといいます。また、あなたは常に上に立ち、決して下になることはないといいます。

・18:15~26、神の呪い

 ここからは、神の教えを守らないことによって、神から呪いを与えられることが長くいわれていきます。しかし、と始まっています。もしあなたがあなたの神の御声に聞き従わず、神の教えを忠実に守らなければ、これから語る呪いはことごとくあなたに望み、実現するといいます。あなたは町にいても、野にいても呪われます。籠もこね鉢も呪われ、あなたの身から生まれる子も土地の実りも、牛の子も羊の子も呪われるといいます。あなたは入る時も出て行く時も呪われるのです。あなたが悪い行いを重ねて、神を捨てるならば、あなたの行う手の働きのすべてに対して、神は呪いと混乱と懲らしめを送り、速やかに滅ぼされ、消え失せるといいます。神は、疫病を送り、土地であなたを絶やせると。神はいろいろな病気を送ります。天からの雨は降らず、埃となり、天から砂粒が降って来ます。あなたは敵が襲ってくると破れてしまうといいます。あなたの死体は、すべての空の鳥、地の獣の餌食となり、それを脅かして追い払う者もいないといいます。

・イスラエルの人々の苦難の歩み

 この申命記18章を読んでいきますと、イスラエルの人々が神の教えを守ることが強調されいるのではなく、神の教えを守らないこと、破ってしまうことが強調されていると考えます。それは、イスラエルの人々の苦難の歩みをみていきますとよくわかってきます。イスラエルの人々にとって大きな苦難が3つあったと思います。

・エジプトでの奴隷としての430年の歩み

これは、申命記のもとになっている内容ですが、飢饉のためにエジプトの逃れたイスラエルの人々は、エジプトで長い間、奴隷としての日々を過ごさなければなりませんでした。その苦しみからの解放がモーセによって始まっていくのでした。

・バビロン捕囚

 新バビロニアが南ユダ2回に渡って破壊し、同地方を属州化し、11万人以上をバビロンに移した事件です。前538年に新バビロニアはペルシャによって滅亡され、捕囚のイスラエルの人々は解放されましたが、大部分は離散したといわれています。

・エルサレム攻囲戦

 70年にエルサレムで起った攻城戦、ユダヤ人とローマ帝国の間に起ったユダヤ戦争の決戦場になった。この戦いで、ローマ軍はユダヤの反乱軍が66年以来立てこもっていたエルサレムを陥落させ、市街の他、神殿も破壊された。一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。エルサレムの喪失で本拠地を失ったユダヤ人は各地に離散しました。神殿の崩壊した日は民族の悲劇の日とされています。

 このようにイスラエルの人々の歩みは苦難に満ちていました。イスラエルの人々の苦しみは、やがて苦難の僕(イザヤ書53章)につながり、そして神の子、イエス・キリストの十字架へとつながっていくことになります。神の大きな救いの業は、イスラエルの人々の歩みを通して行われていくのです。私たちは、イエス・キリストの十字架を意識しながら、この申命記を読んでいきたいと思います。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りと時を与えてくださり、ありがとうございます。申命記を学びながら、イスラエルの人々の歩まれた苦難の日々を思います。イスラエルの人々が守ることができなかった神の教え、そのために多くの苦しみを負うことになっていきました。その苦難の先にあるイエス・キリストの十字架を思います。私たちが救われるために、神はイスラエルの人々を選んでくださったのです。神は、このことを通して、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。神の意図を正しく受け止めることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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