8月30日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記31章「共にいてくださる神」     2023.8.30

 まもなく申命記の学びを終えて、ヨシュア記に入ります。モーセは80才から120才までを、この出エジプトの働きを担って来ました。エジプトでの出来事、荒れ野での出来事、本当に苦しい大変な歩みでした。神はいつもモーセと共にいてくださいました。まもなく、イスラエルの人々は、新しい指導者ヨシュアのもとで約束の地に入って行きます。モーセは、約束の地を目の前にするモアブの地でその生涯を閉じようとしています。モーセは、ここで最後の仕事をします。新しい指導者ヨシュアを任命することと律法を書いてイスラエルの人々に託すということです。

・31:1~8、ヨシュアの任命

 モーセは、約束の地を目の前にしているモアブの地で、神の民として生きることの意味を語りました。それは、神の教えを守って生きるということです。申命記の多くの内容が、この律法の内容となっています。そして、イスラエルの人々に、この律法を守るようにと何度も言い続けます。その後、モーセはイスラエルの人々に「わたしはすでに120才であり、もはや自分の務めを果たすことができない。神はわたしにこのヨルダン川を渡ることができないといわれた。まず、あなたがたの神が、あなたがたに先立って渡ってくださる。神は約束されたとおり、ヨシュアがあなたがたに先立って渡ることになる。あなたがたは強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。あなたがたの神はあなたがたと共に歩まれる。あなたがたを見放すことも見捨てられることもない。」といっています。

 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せて、イスラエルのすべての人々の前でいいます。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、神が約束の地に、このイスラエルの人々を導き入れるものである。あなたが彼らにそれを受け継がせる。神ご自身があなたと共にいてくださる。だから、恐れてはならない。おののいてはならない。」と。

・31:9~13、7年ごとの律法の朗読

 モーセは、この律法を書き記しました。それを神の契約の箱を担ぐレビ人である祭司およびイスラエルのすべての長老に与えました。モーセは彼らに命じていいます。「7年目の終り、負債免除の年の定めの時、仮庵祭に、神が選ばれる場所で、神を礼拝するためにイスラエルのすべての人々が集まる時、あなたはこの律法をすべて読み聞かせねばならない。彼らが聞いて学び、神を畏れ、この律法の言葉をすべて忠実に守るためです。」と。このように、イスラエルの人々は7年ごとに、仮庵祭の時に、この律法の言葉を、イスラエルのすべての人々の前で読むことになります。それは、神を畏れ、律法を守って生きるためです。

・31:14~29、神の最後の指示

 神はモーセに「あなたの死ぬ日が近づいた。ヨシュアを呼びなさい。わたしは彼に任務を授ける」といいます。更に神はモーセに今後のイスラエルの人々の罪を語ります。「あなたはまもなく先祖と共に眠る。するとイスラエルの人々は直ちに、入って行く地で、その外国の神々を求めて姦淫し、神を捨てて、イスラエルの人々と結んだ契約を破るであろう。その日に、この人々に対して、神の怒りは燃え、彼らを捨て、顔を隠す。人々は焼き尽くされるであろう。そして多くの災いと苦難に襲われることになる。その日に、イスラエルの人々は「これらの災いが襲われるのは、わたしのうちに神がおられないからではないか」という。それでも、神は顔を隠す。イスラエルの人々が、他の神々に向かうことによって行ったすべての悪のゆえであるということです。

 神は、モーセに、次の歌を書き留め、イスラエルの人々に教えなさいといいます。(その内容は、申命記32章のモーセの歌です。)イスラエルの人々は、この歌を口に置き、神への証言とするといいます。それは、神がイスラエルの人々に誓った乳と蜜の流れる土地に導き入れる時に、人々は食べて満ち足りて、肥え太り、他の神々に向かい、仕え、神を侮って神との契約を破るであろう。そして、多くの災いと苦難が襲う時に、この歌は、イスラエルの人々の子孫が忘れずに唱え続けることにより、人々に対する証言となるといいます。神は、イスラエルの人々を約束の地に入れる前から、人々の思い計っていることを知っていたというのです。モーセは、その日に、この歌を書き記してイスラエルの人々に教えています。 神はヨシュアに命じていわれます。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、わたしが彼らに誓った土地にイスラエルの人々を導き入れる者である。わたしはいつもあなたと共にいる」と。

 モーセは、この律法の言葉を書物に書き終えると、神の契約の箱を担ぐレビ人に命じます。「この律法の書を取り、神の契約の箱の傍らに置き、あなたに対する証言としなさい。わたしは、イスラエルの人々がかたくなで背く者であることを知っている。わたしが今日、生きている時でさえ、あなたたちは神に背いた。わたしが死んだ時は、なおさらであろう。あなたたちの部族の長老と役人すべて、わたしのもとに集めなさい。わたしはこれらの言葉を彼らに語り聞かせ、天と地を彼らに対する証人とする。わたしには分かっている。わたしが死んだ後、あなたたちは必ず堕落して、命じた道からそれてしまう。そして、後の日に、災いがあなたたちにふりかかる。あなたたちが神に悪と見なされることを行い、その手の業によって神を怒らせるからである。

 このように神に導かれるイスラエルの人々の歩みですが、モーセからヨシュアに代っていきます。それは希望に満ちたのではありませんでした。イスラエルの人々がすぐに罪を犯すこと、神の裁きにあうことをいっています。それが現実のことだから、はっきりとそのことを指摘しないわけにはいかないのでしょう。でも何と悲しいことでしょうか。ここから何も希望として受け取ることができるでしょうか。それは、いつも神がイスラエルの人々と共にいてくださるということです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りと時を与えてくださり、ありがとうございます。どんなにイスラエルの人々の罪が大きくても、神よ。あなたはイスラエルの人々と共にいてくださいます。そのことが、すべての希望と喜びにつながっていきます。このことを感謝して、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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