8月9日の祈祷会の内容です。

祈祷会
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祈祷会       申命記28:47~69「マサダでの出来事」    2023.8.9

 申命記28章は、神の祝福と呪いのことが書かれてあります。イスラエルの人々は、約束の地を目の前にしています。ここでモーセは、イスラエルの人々に神が与えてくださる約束の地で生きることの意味をいっています。それは神の与えてくださる神の教えを守ることです。神の教えは申命記5章~26章までに具体的な内容が書かれてあります。その神の教えを守ることによる神から祝福が与えられること、もし神の教えを破るようなことがあれば、神から呪いが与えられるということです。今日の聖書の箇所は、神の与える呪いのことが書かれてあります。この神から与えられる呪いの内容は、とても厳しい内容となっています。しかし、この内容が今後のイスラエルの人々の歩みを示しているものです。

使徒1:6

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

 話は、イエス様の時代から考えていきます。イエス様の時代、イスラエルの人々はローマ軍によって支配されていました。それは、イスラエルの人々にとって耐えられないことでした。イスラエルの人々は自分たちこそ神から選ばれた民であると信じていました。やがて、メシアが現れて、自分たちを解放し、イスラエルの王国をつくることを願っていました。ペトロを初め、イエス様の弟子たちはそのことを強く願っていました。イスラエルの再建を強く思っていたのです。イエス様が復活して天に上られる時に、そのことを聞いています。この願いが後で大きな悲劇をもたらすことになります。

 話は申命記に戻りますが、モーセはイスラエルの人々が「あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので、」(47節)といっています。神に仕えないので、神は、イスラエルの人々に、敵を差し向けられるといい、敵によって、飢えと渇きに悩まされ、裸にされて、すべてに事欠くようになり、鉄の首枷をはめられ、滅びに至るといいます。敵は老人を顧みず、幼い子どもを憐れまず、家畜の産むものや土地の実りを食い尽くし、ついにはイスラエルの人々は死に絶えるといいます。また、敵はすべての町々でイスラエルを攻め囲み、堅固な城壁を崩してしまい、すべての町を攻め囲む、イスラエルの人々は、敵に包囲されて、追い詰められ、困窮するというのです。そして、追い詰められた困窮のゆえに、非常に悲しい出来事が起るといいます。それは耐えられないものです。

申命記28:53~57

あなたは敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえに、あなたの神、主が与えられた、あなたの身から生まれた子、息子、娘らの肉をさえ食べるようになる。あなたのうちで実に大切に扱われ、ぜいたくに過ごしてきた男が、自分の兄弟、愛する妻、生き残った子らに対して物惜しみをし、その中のだれにも自分の子の肉を与えず、残らず食べてしまう。あなたのすべての町が敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえである。あなたのうちで大切に扱われ、ぜいたくに過ごしてきた淑女で、あまりぜいたくに過ごし、大切に扱われたため、足の裏を地に付けようともしなかった者でさえ、愛する夫や息子、娘に対して物惜しみをし、自分の足の間から出る後産や自分の産んだ子供を、欠乏の極みにひそかに食べる。あなたの町が敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえである。

 自分の子どもを食べてしまうという通常では考えられない悲劇が起ると書かれています。本当にこのようなことが起ったのでしょうか。イスラエルの人々が敵に町を包囲され、追い詰められた困窮のゆえに、自分の産んだ子どもを食べてしまうというのです。そのことが実際に起りました。イエス様の十字架から約40年後です。紀元66年ごろ、ユダヤ戦争が起りました。先にイエス様の弟子たちの願いのことをいいました。イスラエルの建国を願っていたということです。ユダヤ人はローマ帝国に対して抵抗し、戦争をしかけたのです。ユダヤ戦争といわれるものです。しかし、ローマ軍は強く、ユダヤ人はエルサレムを放棄しました。ローマ軍によってエルサレムは破壊されます。エルサレムを逃れた強硬派の人々約1000人は天然の要塞であるマサダ立てこもります。地の利をいかしてローマ軍に奮闘します。しかし、ローマ軍が谷を埋めて頂上部に上る土砂のスロープを完成させるとユダヤ人は抗戦を諦めて、集団自決の道を選んだというのです。ローマ軍はマサダを破壊し、その存在は忘れ去られていました。しかし、19世紀になって再発見されたのです。現代でもイスラエル軍の入隊式はこの地で行われ「マサダの悲劇を繰り返さない」という宣誓が行われるということです。

 イスラエルの人々は、このユダヤ戦争の結果として、約束の地を失い、世界の放浪の民となっていくのです。1948年にイスラエル国家が樹立するまで、それが続きました。約2000年間、放浪の民として生き続けることになってしまいました。約1000人のユダヤ人が、このマサダで集団自決していったのです。

マタイ24:15~16

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、-読者は悟れ-、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

 このイエス様の言葉を聞いたキリスト者は、山に逃げて無事だったと伝えされています。だからといってよかったということはできません。この悲劇でなくなった方々のために祈りたいと思います。神の御心はどこにあるのか、自分の思いではなく、神の思いを受け止めることの信仰を持ちたいと心から願うのです。

祈り 神よ、聖書の学びと祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。申命記の神の呪いのことを知りました。そして、その呪いがマサダの出来事で起ったことを知りました。この悲劇は私たちに何を教えているのでしょうか。自分たちの思いではなく、神の御心を求め、それを知ることのできる信仰を与えてくださいますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                          」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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