9月3日の礼拝の内容です。

礼拝

9月3日の礼拝の内容です。讃美歌は、194.433.452.494.26です。

礼拝説教         使徒4:23~31「祈りの力」     2023.9.3

 9月の最初の日曜日を迎えました。今年も後、4ケ月残すこととなります。時の流れの早さを感じます。いつも思うことですが、日曜日にこのように神を礼拝することができますことを心から感謝します。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みが豊かにものとなりますようにと祈ります。

 この礼拝で、私は使徒言行録を読んでいます。イエス様の弟子たちの言行録です。初代教会の歩みを見ていることになります。本来ならば、聖霊言行録といってもいいかもしれません。この使徒言行録の主人公は、イエス様の弟子たちではなく、神から送られた聖霊だからです。私たちは、そのことをいつも意識して、この使徒言行録を読んでいくことが大切なことだと感じています。聖霊が、イエス様の弟子たちに注がれたことによって、教会が誕生しました。イエス様の弟子たちの本格的な伝道活動が始まっていくのです。その流れは、今日の私たちの瀬戸永泉教会の歩みにもつながっています。

 イエス様の弟子たちは、エルサレムの大きな家の2階に集まっていました。ユダヤ人の目を恐れて隠れていたのです。でも、イエス様の弟子たちは1つの群れとして集まっていました。これも聖霊の働きといえるかもしれません。そこに、神からの聖霊が下りました。聖霊が注がれて、イエス様の弟子たちは大きく変っていったのです。何よりも、イエス・キリストの十字架の意味を知ることができるようになりました。この点が一番大きな変化です。神からの聖霊の力がなければ、イエス・キリストの福音の意味を理解することができないのです。聖霊は、イエス様の弟子たちからあふれ出てくるようになっていきます。それが、伝道の開始です。使徒言行録ではペトロの活動を中心に描かれています。

 ペトロは、2階の部屋から出て、エルサレムの大通りに出て行きます。そこにいるユダヤ人に向かって、イエス・キリストの十字架の死と復活、そして神の救いの業のことを語ります。目の前にいるユダヤ人に向かって、あなたがたが十字架につけて殺したイエス・キリストは、3日目に復活してくださった。神はそのイエス・キリストの十字架の死と復活によって、ユダヤ人たちの罪を贖い、赦してくださった。イエス・キリストの十字架の救いを信じる者は、罪が赦されて、永遠の命を与えられて、神の国に入ることがゆるされていると大胆に語っています。このペトロの説教を聞いた多くのユダヤ人たちは、ペトロの言葉を受け入れて、洗礼を受けて、教会に加わっていくのです。その日だけで、3000人が加わっていきました。

 そして、エルサレムの神殿の1つの門である美しい門の側にいた生まれながらに足の不自由だった男が、ペトロによって癒されるのです。生まれた時から40年間、この男は自分の足で歩いたことがありませんでした。しかし、ペトロの手によって、この男は躍り上がって立って、歩き出していきます。そして、歩き回ったり踊ったりしていました。ペトロたちと共に神殿に入って、神を礼拝するのです。その生まれながらに足の不自由だった男が、急に躍り上がって立って歩き出しているのを見た、多くの人々も、神を信じて洗礼を受けて、教会に加わって行きました。教会の最初の行動の激しさを見ることができます。でも、いいことばかりではありませんでした。

 それは、ペトロたちが、ユダヤ教の指導者たちに、あなたがたが十字架につけて殺したイエス・キリストといいました。その相手からの敵対心です。祭司長たちや長老たちです。彼らがローマ人の手をかりて、イエス・キリストを十字架につけてしまいました。自分たちが殺人者といわれる。イエス・キリストの復活を語る。それは彼らにとって許しておくことができないことでした。ペトロとヨハネが逮捕されます。牢に入れられてしまいます。そして、次の日に、ユダヤ最高議会が開かれて、ペトロたちが裁判にかけられます。結局、彼らができたことは、脅して釈放するということでした。イエス・キリストの名によって語ることは許さないということでしたが、ペトロは「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前で正しいかどうか、考えてください。私たちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」といって、否定しました。釈放の際にも、もう一度脅しています。

 そして、今日の聖書の内容になります。釈放されたペトロとヨハネですが、すぐに仲間のところに行きます。祭司長たちや長老たちがいったことのすべてを残らず話しました。これを聞いた人たちは心を一つにして、神に向かって声をあげて祈るのです。神よ、あなたは天と地と海を造られた方です。また、神よ、あなたはダビデの口を通し、聖霊によって、こうお告げになりました。そして、詩編2編1~2を引用して、「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とメシアに逆らう」といいます。そして、このエルサレムで、ヘロデとピラトは異邦人とイスラエルの人々と一緒になって、イエス・キリストを十字架につけてしまいました。それは、このようにあなたによってあらかじめ定めておられていたことで、すべて行ったのです。

 そして、ペトロたちとその仲間は、大切な祈りをしています。「神よ。今こそ彼らの脅しに目を留め、私たちが思い切って大胆に、あなたのみ言葉を語ることができるようにしてください。どうか、あなたの御手を伸ばして、イエス様の名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」と。祈りが終りますと、一同が集まっていた場所が動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出したとなっています。

 ここまで、今日の聖書の内容を見てきました。ここで改めて気づくことは、聖霊の働きとは何かということです。ペトロやヨハネの活躍が書かれてあります。素晴らしい活躍です。初代教会の活発な活動の様子を知ることができました。ユダヤ教の指導者たちによる迫害もありました。それでも、ひるむことなく大胆に行動して行きます。ペトロたちの活動を支えているのが聖霊の働きです。聖霊の働きとして、一番大切なことは、イエス・キリストの十字架の意味を知ることです。神の救いの真理が分かるということです。表面的に分かるということではなくて、心の底から分かるということです。神の救いとは何かを本当に理解することができるようになったのです。そして、理解するだけではなくて、それを伝えていくこと、伝道していきたいとなっていくのです。強制されてではなくて、心から喜びに溢れて、行動していくのです。

 更に、イエス・キリストの逮捕の場面、十字架の時には、逃げていた弟子たちでした。それが、聖霊が下ると、逃げずに、前を向いて進んで行くのです。命をかけて、イエス・キリストの救いを語っていくのです。語らないではいられないのです。このイエス・キリストの十字架が、神の愛の業であり、救いの出来事だからです。これ以外に救いはないと信じているからです。教会の歩みは、このようにして続いていくのです。聖霊によって、そのように教会は活動していくのです。日曜日には、教会に集まり、神を礼拝し、神を賛美し、祈っていきます。教会だけに留まるのではなく、外に出て行って、イエス・キリストの福音を伝えて行きます。教会も聖霊に支えられているとはいえ、人間の集まりです。この後に、人間の罪のことが出てきます。悲しいことですが、それも教会の現実です。使徒言行録はそのことを隠しません。

 今も、聖霊の働きは活発に働いています。教会は全世界に展開されています。全世界には、各地に教会が立っています。その教会では、神への礼拝がなされ、伝道が行われています。私たちのいる瀬戸永泉教会も同じです。この教会の主人公は、聖霊といっていいでしょう。私たち1人1人が、聖霊によって導かれて、イエス・キリストの救いを知ることができ、洗礼を受けて、キリスト者となることができました。そして、日曜日ごとに、神への礼拝がささげられ、祈祷会が行われ、教会の活動がなされています。ここに聖霊が働いていなければ、何一つ、教会の働きは行うことができません。聖霊が、今までも、今も、そしてこれからも、働いてくださり、神の救いの業は続いていくのです。神の働きとしての聖霊に、心から感謝していきたいと思います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。使徒言行録にある聖霊の働きについてみてきました。ペトロたちの素晴らしい活動がありました。ユダヤ人の指導者たちの敵対と迫害にも負けることなく、歩んで行きました。そのペトロたちの活動を支えているのが聖霊です。この聖霊の働きによって、素晴らしい初代教会の歩みはあるのでした。そして、教会の歩みは続いていきます。私たちの教会も、その流れにあります。聖霊が豊かに、私たちの教会に働いています。この聖霊の働きによって、教会の歩みは守られ、支えられているのです。その聖霊の働きのことを深く覚えることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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