9月13日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会      申命記32:28~52「モーセの歩みを振り返って」   2023.9.13

 モーセは今、約束の地を目の前にしています。モーセは120才になっていました。まもなくその生涯を閉じようとしています。人は誰でも、それぞれの人生を閉じる時がやって来ます。モーセはその生涯の最後の時に何を考えていたのでしょうか。モーセが生まれた時は、イスラエルの人々にとって困難な時代でした。世界的な飢饉があって、その危機を逃れるためにヨセフの導きによって、食べ物が豊富なエジプトに行きました。最初はヨセフの影響もあって豊かな生活をしていました。時が過ぎてヨセフを知らない新しい王が誕生しました。新しいエジプト王は、エジプト国内にいるイスラエルの人々の急激な人口増加に頭を悩ませるようになりました。もしかしたら、イスラエルの人々にエジプトが支配されてしまうのではないかと考えるようになり、イスラエルの人々を奴隷として使うようになりました。そして、男の子が生まれたら、ナイル川に流して殺してしまえと命令を出すようになったのです。女の子は生かしておけということでした。そのような時に、モーセは生まれたのです。エジプト王の命令に従えば、モーセは生まれてもすぐに死んでしまうはずでした。しかし、エジプト王女の手に導かれて、命は助かり、何とエジプト王家の子として成長することになりました。

 誕生から40歳まで、エジプトで王家の子として生活していたのですが、自分がイスラエル人だと分かって悩み、初めてイスラエルの人々の所に行きました。その時に、イスラエルの人を鞭で打っていたエジプト人を殺してしまうということをしたために、エジプトの地を捨てて、遠くミディアンの地に行きました。ミディアンでは、40才から80才まで過ごしました。結婚して遊牧生活を送っていました。のどかな落ち着いた生活を過すことができたと思います。しかし、80才の時に、神から呼ばれて、エジプトの地に行くことになります。エジプトで苦しむイスラエルの人々を解放するのが目的でした。80才という高齢になってから、出エジプトという大きな働きをすることになりました。その内容は、出エジプト記から申命記まで続きます。モーセの80才から120才は、出エジプトと荒れ野の旅となっていきます。荒れ野の旅が40年続きますので、モーセの晩年とすっかりと重なっていきます。

 イスラエルの人々の荒れ野の40年は苦難の連続でした。シナイの荒れ野で、神はイスラエルの人々と契約を結びました。十戒を中心として律法を与えて神の民としての歩みをしていくことになりました。それは、神への反逆の歩みでした。何度イスラエルの人々は神の前に罪を犯すのでしょうか。神の導きとイスラエルの人々の罪、それはモーセが歩んだ荒れ野の40年です。苦難の道、真っすぐな歩みをすることができず、曲がりくねった道でした。それでも、今は、約束の地を目の前にする所までやって来ることができたのです。モーセはこれから約束の地に入ろうとしているイスラエルの人々に1つの歌を教えます。それが申命記32章のモーセの歌です。

・32:28~44、モーセの歌

 神はイスラエルの人々を導き、約束の地の目の前にする所までやって来ました。神はモーセを通して、約束の地に入るイスラエルの人々が、すぐに罪を犯して神を忘れ、他の神々を拝んでしまうことをいいます。そして、神は怒り、イスラエルの人々に多くの苦難と苦しみを与えるといいます。それでも、神が与えた苦しみから、自分たちの罪を知り、神に立ち帰る道を備えてくださる、そのための歌だということなのです。イスラエルの人々は約束の地に住み、神の祝福の中で豊かな生活を送ることができます。食べ物は豊かになり、食べ飽きるほどです。平和が続きます。子どもたちもたくさん生まれていきます。イスラエルの人々はその豊かさの中で、この豊かさは神から与えられたはずなのに、忘れてしまい、自分たちの力で得ることができたと思い込むにようになり、他の神々を拝むようになります。そのことで神は怒り、多くの災いを与えられるのです。その災いの中で、神に帰っていくのです。神は殺し、また生かします。また神は傷つけ、またいやします。すべては神のところに帰っていくのです。神はイスラエルの人々を見捨てることはせず、回復させてくださいます。

・32:45~47、モーセの最後の勧告

 モーセはイスラエルのすべての人々に「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子どもたちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、約束の土地で長く生きることができる。」というのです。モーセは、イスラエルの人々に、繰り返し繰り返し、神の言葉である律法を守るようにいいます。

・32:48~52、ネボ山に登れ

 神は同じ日にモーセにいいます。「ネボ山に登りなさい。イスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。その理由はメリバの泉で、イスラエルの人々の間で神の聖なることを示さなかったからだ。そのために、あなたはイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」と。メリバの泉での事件ですが、イスラエルの人々の激しいつぶやきによって、モーセは怒り、神が示した石を二度打ってしまったことによる罪を犯したことです。モーセは以前に、神に約束の地に入らせてくださいと願いましたが、許されませんでした。これだけの罪で、約束の地に入ることを許されないことはひどいように私は思いますが、神の決定を変えることはできないのです。ここで思うことは、私たちの人生は限りがあるということです。そのことを受け止める必要があると思います。限られた人生の中で、何ができるかを考えるべきなのでしょう。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。モーセの生涯を見てきました。荒れ野の40年という厳しい歩みの中で、いろいろな苦難の歩みがありました。モーセは120才になって、その生涯を終えることになります。約束の地に入ることができませんが、その土地を見渡すことが許されました。神の配慮かもしれないと思いました。私たちの人生も限られていることを改めて知ることができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                       」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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