9月10日の礼拝の内容です。

礼拝

9月10日の礼拝の内容です。讃美歌は、361.486.518.544.88です。

礼拝説教       使徒4:32~37「心を一つにして」     2023.9.10

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝します。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがよりよいものとなりますようにと願います。

 この礼拝では、使徒言行録を読んでいます。初代教会の様子、イエス様の弟子たちの働きをみています。その中でも聖霊の働きが大切なものとなっていくことをみています。今日の聖書の箇所は、初代教会の中の様子を伝えています。それは使徒2:44~46に「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」と書かれてあることと一致しています。

使徒4:32,34~35

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

 このように初代教会の様子は、素晴らしいものであったことが分かります。理想的な社会であると思います。だから、教会は初代教会のようでなければならないということでもありません。初代教会に集まった人々は、自主的にそのようにしていたのです。強制的ではありませんでした。これが強制的なれば、このようなことはできないでしょう。また、使徒5章の最初にアナニアとサフィラのことを書いていますが、決して理想的なものではなかったということが分かります。それでも、初代教会の初期の様子は、このように互いに支え合う社会であったことと知ることは大切なことだと思います。

 今日は、特にバルナバについて触れていきたいと思います。使徒言行録を読んでいくと前半はペトロ、後半はパウロが中心になって活躍していくことが分かります。ペトロとパウロをつないだ人が、このバルナバだったのです。本名はヨセフです。でも、使徒言行録では、ここだけしか本名は使われていません。ほとんどがバルナバという名で使われています。バルナバはキプロス島生まれです。レビ族の出身です。使徒たちからバルナバ「慰めの子」と呼ばれていたというのです。バルナバは、自分の持っていた畑を売って、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いたとあります。自由に使ってくださいということです。バルナバは、イエス・キリストの福音に触れて、キリスト者になったのでしょう。そして積極的に、教会の活動に加わっていきました。使徒たちからバルナバと呼ばれていた。「慰めの子」という意味といわれています。バルナバは、慰めに満ちた人だったのでしょう。次の聖書の箇所に、バルナバの特徴がでているものがあります。

使徒9:26~28

サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。

 私たちがよく知っているパウロは、初めサウロという名で出てきます。使徒7章にはステファノの説教と殉教のことが書かれてあります。サウロはステファノの処刑に同意していました。キリスト者の間では、迫害者の急先鋒をして恐れられていました。しかし、神はサウロを回心させ、キリストに仕える者としました。キリストを信じる者になったサウロは、直ちに熱烈なキリストの宣教者となっていくのです。しかし、サウロの前歴を知るキリスト者たちは、サウロを恐れて、容易に受け入れようとはしませんでした。この時に、サウロを受け入れ、サウロの友となったのがバルナバでした。バルナバはサウロを受け入れて親しい友となり、サウロが教会で活躍する場を開いていったのです。バルナバがいなければ、この後のパウロの活躍はなかったかもしれません。バルナバが慰めの子といわれるゆえんがここにあると思います。

使徒13勝の最初に、初めての世界宣教が企てられることになります。パウロの第1回伝道所旅行の開始です。主の御心はバルナバとパウロを世界宣教に派遣するのです。バルナバは貧しいキリスト者にとって物質的な慰めです。またパウロのような孤立していた人にとっても精神的な慰めでした。そして今や、地の果てを目指して福音を語っていくということで、活躍していくことになります。また、使徒15章には、初めての教会会議がエルサレムで開かれました。それは、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者のあった問題を克服するためでした。この時の決定を、パウロの伝道旅行の拠点となったアンテオケ教会に伝える務めがバルナバとパウロに委ねられました。この二人が、エルサレム教会の信任の厚い存在であったことが分かります。この二人は、アンテオケ教会に戻ると、すぐに伝道旅行を計画します。第2次伝道旅行です。しかし、ここで二人の意見が異なり、別々の道を歩んで行くことになります。

第1次伝道旅行で、マルコと呼ばれるヨハネという若者の弟子がいました。ところが、このマルコが伝道旅行の途中で帰ってしまったのです。そのような失敗がマルコにはありました。バルナバは第2次伝道旅行の時に、このマルコを連れて行くつもりでした。再チャレンジの意味があったと思います。しかし、パウロは伝道旅行の途中で離れてしまった者は一緒に行くことができないといって反対しました。バルナバの個性、パウロの個性が現れて、ここでぶつかってしまったのです。そして激しい反目となり、互いに別行動をとることになりました。バルナバはマルコを連れて、船でキプロス島に渡ります。これは、バルナバにとって盟友との決別の時です。それは若いマルコのためでした。この時以来、バルナバが使徒言行録から外れていきます。使徒言行録はパウロを中心として活動していきます。これからのバルナバの行動はどのようなものだったのかは分かっていません。この後、マルコは見事に再起を果たしました。パウロもマルコを再評価しています。

コロサイ4:10

わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。

2テモテ4:11

ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。

 後に、このマルコはパウロと伝道旅行を一緒にするようになります。パウロが獄中にいる時に、このマルコも一緒だったことが分かります。また、パウロがテモテに送った手紙の中で、パウロがローマの獄中から最後に求めたのは、マルコの訪れでした。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからですと書いています。

 私は、使徒言行録の中のバルナバの歩みについてみてきました。バルナバ、「慰めの子」という意味、教会がヨセフをバルナバと呼んでいきました。バルナバは慰めに満ちたことを多く行いました。教会は、多くの者が集まっています。教会の交わりについてパウロは次のようにいっています。

1コリント12:26

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

 私たちの教会も、このように教会の交わりとして、共に苦しみ、共に喜ぶものでありたいと心から願います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。聖書をみてまいりました。初代教会の様子、バルナバなどの働きをみてきました。そこには豊かな交わりがあったことが分かりました。私たちの教会も、あなたを中心として、豊かな交わりを持つことができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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