9月8日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       レビ記17章「血による贖いの意味」      2021.9.8

 レビ記は、神とイスラエルの人々との契約の内容が書かれてあります。レビ記1章~16章は、罪を犯し、汚れた人間がいかに聖なる神に近づくことができるかが書かれてあります。汚れを清めるためには動物である牛、羊、山羊などが用いられました。レビ記17章~27章は、清められた人間がいかに神と共に生きていくのかが書かれてあります。(レビ記17章~26章は、新共同訳聖書では、見出しとして神聖法集となっています。)レビ記16章には、年に一度、行われる贖罪日について書かれてありました。この日、大祭司は、幕屋の中で一番大切な至聖所に入り、自分のために、自分の一族のために、罪の贖いをするのです。そしてから、イスラエルのすべての人々の罪の贖いをすることができました。

・1~9、献げ物をささげる場所

 神はモーセを通して、アロンとその子らおよびイスラエルのすべての人々に言います。イスラエルの人々は、牛、羊、山羊を幕屋の入り口に携えて来て、その幕屋の前で主にささげるものとすることが言われています。主にささげものとする場合は、必ず主の幕屋で行わなければならないということです。イスラエルの人々は、かつてエジプトで奴隷と歩んでいた時に、エジプトの偶像の神々にささげものをしていました。山羊の魔神とありますが、山羊の形をした偶像です。エジプトでは牛などが神々として礼拝されていたのです。それとはまったく違うイスラエルの神にささげものをする時に、場所を固定することは大切なことでした。

・10~16、血を飲むな。

 イスラエルの人々や寄留する者は、血を食べることはゆるされないことでした。それは、生き物の命は、血の中にあるからです。神が、血を与えてくださったのは、祭壇の上でイスラエルの人々の命の贖いの儀式を行うためとしています。血は、その中の命によって贖いをするのです。人々が、食用とする動物や鳥を捕獲したなら、血をすべて注ぎだして土に覆うことになります。すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の中にあるからです。神は、イスラエルの人々に、いかなる生き物の血を決して食べてはならないと命じます。すべての生き物の命はその血だからです。死んだ動物や、野獣にかみ殺された動物を食べる者は、その衣服を水洗いし、身も洗います。その人はその日の夕方までは汚れていますが、その後は清くなります。

 罪に汚れた人間が清められるために、動物の血が必要でした。牛や羊や山羊などがそうです。それは生き物の命は血にあるからです。そして、神は、血を人間に与えてくださったのは、祭壇の上で人間の命の贖いの儀式を行うためでした。血は、その中の命によって贖いをするのです。神が、そのようにしてくださったのです。本来なら、人間の罪の贖いためには、人間の血が必要でした。それを、代わりに動物の血にしてくださったのです。牛や羊や山羊の血によって、人間の罪の贖いにしてくださいました。レビ記は、そのことを、私たちに語ってくださいます。

ヨハネ6:53~57

イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。

 私たちは、礼拝の中で、聖餐式を行います。これは、イエス・キリストの十字架の死を現しています。旧約聖書では、動物の血によって、人間の罪の贖いがなされていました。でも、それは不完全なものでした。新約聖書では、神の子であるイエス・キリストの血によって、人間の罪の贖いが完全なものとしてなされています。人間の血の贖いのためには、血が流されることは求められていました。血は命そのものだからです。動物の血から、イエス・キリストへの血へと変っていきますが、人間の罪の贖いの意味をレビ記は、私たちに教えてくださいます。

祈り 神よ。生き物の命は血にあることを学びました。血が流されることによって、人間の罪の贖いがなされます。完全な罪の贖いとして、イエス・キリストの十字架の血があります。この血によって、私たちの完全な罪の贖いがなされていることを確認しました。ありがとうございます。この感謝を、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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