8月16日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会      申命記29章「モアブで結ばれた契約」    2023.8.16

 イスラエルの人々はエジプトで長い間奴隷として暮らしていました。イスラエルの人々の苦しみを知った神は、モーセを送り、苦しみからの解放、エジプトからの脱出を成し遂げました。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て、神が示す約束の地を目指して旅立って行きました。荒れ野の旅を40年間することになりました。荒れ野の旅では、シナイの荒れ野で神と契約を結びました。神の民としての契約です。神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は神の民となるということです。神の民になるということは、神の与えてくださる神の教えを守り実行していくことを意味します。申命記は、その神の教えの内容が書かれてあります。エジプトを出て、まもなくシナイの荒れ野で契約が結ばれました。そして、40年後にモアブの地での契約ということになりますが、契約の更新と考えればいいのです。この40年の間に、イスラエルの人々は神に対して多くの罪を犯してきました。それでも神は、イスラエルの人々との契約を更新されようとしています。

・1~8、歴史を振り返る

 神はモーセを通して、イスラエルのすべての人々を集めていいます。あなたがたはエジプトで神が行った大いなることを見た。10の災い、過越しの出来事、葦の海の奇跡などです。そして、荒れ野の40年の間にも大いなるしるしと奇跡を見たのです。しかし、神はイスラエルの人々に、今日まで、イスラエルの人々にそれを悟る心、見る目、聞く耳を与えなかったといいます。神は40年間の荒れ野の旅でも、イスラエルの人々に対する愛は変らなかったといいます。それは、彼らの着ていた服は古びることはなく、足にはいた靴もすり減らなかったといいます。彼らはパンも食べず、ぶどう酒や濃い酒を飲まなかったといいます。マナやうずらや水が与えられていたからです。イスラエルの人々の荒れ野の旅の中で、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグと戦い勝利した。その地を占領して、ルベン族、ガド族、マナセ族の半分に嗣業の地と与えてくださったのです。ここで神は、イスラエルの人々に、契約の言葉を守りなさい。そうすれば、あなたがたのすることはすべて成功するといいます。

・9~14、契約の当事者は誰か

 神は、ここに集まっているすべてのイスラエルの人々が契約の当事者だといいます。あなたがたは神との契約に入り、神と結ばれる呪いの誓いを交わすためだというのです。呪いの掟というのは、申命記27:9~26、28:15~68の内容になります。更に、契約の当事者は、今日、目の前にいるイスラエルのすべての人々だけではなく、目の前にいない者との結ぶといいます。イスラエルの子孫ということになります。そのような視点で契約を結ぶといいます。

・15~28、呪いの警告

 イスラエルの人々は、エジプトにいた時も、また、荒れ野の旅の途中でも、人々が木や石、銀か金で造られた憎むべき偶像を持っているのを見てきた。あなたがたは今日、心変りをして、神の背き、これらの偶像の神々に行って仕えるような男、女、家族、部族があなたがたの間にあってはならないと警告しています。あなたがたの中に、毒草や苦よもぎを生じる根があってはいけないといいます。申命記28章でいわれている呪いの誓いの言葉を聞いても、祝福されていると思い込み、「わたしは自分のかたくなな思いに従って歩んでも、大丈夫だ」というならば滅びてしまうといいます。神はその者を決して赦さないというのです。神の怒りとねたみが燃え上がり、申命記に書かれてある呪いの誓いがすべてその者にのしかかり、神はその者の名を天の下から消し去ってしまうといいます。

 後の世代、あなたがたの後に来る子孫も遠くの地から来る外国人も、神がこの国にくだされた災害と病を見て、また、全土は硫黄と塩で焼けただれ、種は蒔かれず、芽は出ず、草一本生えず、神は激しく怒って滅ぼされたソドムとゴモラなどの惨状と同じようになるので、周りの国々の人々はこぞって「なぜ神は、イスラエルの人々をこのようにされたのか。どうして、このように激しく怒りを燃やされたのか」というでしょう。それに対して、人々は「彼らの神が、エジプトの国から彼らを導き出された時、結ばれた契約を、彼らが捨て、他の神々のもとに行って仕え、ひれ伏したからである。神の怒りは、それゆえにイスラエルの人々に対して燃え、申命記に書かれている呪いがことごとく臨んだのである。神は激しい怒りと大いなる憤りを持ってイスラエルの人々を大地から抜き取り、他国に投げ捨てられ、今日のようになっている。」といいます。

 振り返ると、神はイスラエルの人々と、シナイの荒れ野で契約を結ばれました。それから40年間が過ぎました。その40年という時間は、イスラエルの人々が約束の地を目の前にして、入ることを拒否したことによって、神の怒りをかい、神の裁きとしてなったのです。その間でも、神は導いてくださいました。世代交代ということになってしまいました。約束の地に入ることを拒否した人々は、この荒れ野で死ぬことになりました。しかし、その子どもたちが継ぐことになりました。その子どもたちに対して、新たにモアブでの契約ということで契約の更新という形で、ここで成就しました。このイスラエルの人々の罪と呪いの誓いは、やがて、神のイエス・キリストの十字架とつながっていきます。どうか、この事を私たちがしっかりと理解することができることを願うのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りとの時を与えてくださり、感謝します。申命記の学びを通して、神の教えの内容を新たに知ることができました。イスラエルの人々が、この神の教えを守ることによって、平和と幸福に生きることができるのです。しかし、イスラエルの人々は、その神の教えを守ることができませんでした。それでも、神はイスラエルの人々の契約を忘れることはありませんでした。神はイスラエルの人々を愛し、やがて、私たちに対する愛へとつながっていきます。それが、イエス・キリストによる十字架です。神の愛を更に知ることができますように、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                          」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山

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