5月12日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       レビ記2章「穀物のささげもの」     2021.5.12

 祈祷会では、レビ記を読み始めました。レビ記は、神とイスラエルの人々の間で結ばれた契約の内容が細かく書かれてあります。レビ記は大きく2つに分けることができます。①1章~15章、犠牲による神への道 神がいる幕屋に人が近づくためには、犠牲が必要でした。神は聖であり、人は罪があるからです。②16章~27章、聖別により神と共に歩む 犠牲によって、聖別された人は、神と共に歩むことができます。

 また、1章~7章には、5つの犠牲の種類が書かれてあります。①焼き尽くすささげもの、②穀物のささげもの、③和解のささげもの、④贖罪のささげもの、⑤賠償のささげもの、です。今日の2章は、②の穀物のささげものです。ふつう、穀物のささげものは、動物のささげものに添えて、ささげられました。例外的に、動物のささげものを手に入れることができない貧しい人には、動物のささげものに代わる罪のためのささげものとして、ささげることができました。

レビ記5:11

貧しくて二羽の山鳩にも二羽の家鳩にも手が届かない場合は、犯した罪のために献げ物として小麦粉10分の1エファを携えて行き、贖罪の献げ物とする。それにオリーブ油を注いだり、乳香を載せたりしてはならない。それは贖罪の献げ物だからである。

 このように貧しい者への配慮が深くなされていることに気づきます。ふつう、朝と夕に、焼き尽くすささげものに添えて、穀物のささげものはささげられました。穀物のささげものは、上等の小麦でなければなりませんでした。奉納者が、上等の小麦粉にオリーブ油を注ぎ、乳香をのせ、祭司たちのもとに持っていきます。祭司の1人が、それを受け取り、オリーブ油のかかった上等の小麦粉の一つかみと乳香全部を取り、しるしとして祭壇の上で燃やして煙とします。これが燃やして神にささげる宥めの香りです。神はこの煙を受け取り、神御自身の宥めとなります。

 そして、残りは祭司のものになります。祭司は、人々のささげものによって、生活が支えられているのです。小麦粉をいろいろな形でささげます。まず、ささげものをかまどで焼く時には、オリーブ油を混ぜて焼いた上等の小麦粉の輪型のパンかオリーブ油を塗った薄焼きパンとします。また鉄板で焼く場合には、上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜ、いつくかの塊に分け、その上にオリーブ油を注ぎます。また、平鍋で蒸す場合には、上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜて作ります。

 神にささげる穀物のささげものは、酵母を入れて作ってはいけないのです。酵母は腐ると言うイメージがあるからだと言われています。また、蜜もダメだと言われています。これは蜂蜜ではなく、果樹の蜜だと考えられています。また、穀物のささげものには、塩をかけることが求められています。すべて塩をかけるのです。

 収穫してできた上等の小麦粉ですが、ただささげるのではなく、いろいろな調理方法でささげるのには理由があって、どのような思いで、調理し、神へのささげものとするのかが問われています。ささげる人の行為そのものを神は求めているのです。乳香は高価なものです。それをささげるだけで大変だったのです。乳香を添えて焼き煙となる。それで、神への宥めの香りとなる。つまり、祈りになります。また、オリーブ油は、祭司に注ぐのに用いられますので、聖霊を意味すると言われています。また、塩は契約を意味します。(13節)

 神は、人々のささげるものが、どのようなものかもありますが、その人々の思いまで、見ておられるのです。私たちが、日常的に神への祈りや日々の生活を通して、神に何を届けようとしているのでしょうか。少し自己反省しながら、祈りたいと思います。

祈り 神よ、あなたはこの世界をつくり、私たち1人1人をつくってくださいました。そのことを深く感謝します。また、日々の生活の中で、あなたの守りがあることを思います。当たり前に思っていることが実はそのではなく大変なことなのです。今、新型コロナウィルスの感染者が増えています。神の助けを心から祈ります。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

どうか、祈りの時を持ってください。(横山厚志)

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