祈祷会 サムエル記上20:1~23「ダビデとヨナタンの友情」 2025.9.17
イスラエルの最初の王サウルとダビデの対立のことがサムエル記上の最後まで続いていきます。イスラエルはペリシテ人との戦いにありました。ペリシテ人の巨人ゴリアトが出て来て、イスラエル軍のすべては恐れおののいていたのです。その場面にダビデが登場し、ゴリアトを倒しました。この時はサウルもイスラエルの勝利ということで大いにダビデの活躍を喜んでいました。ダビデは、イスラエルのために戦いに行き続けます。そして必ず勝利をもたらすのです。このことをイスラエルの女性たちは「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌い交わしました。このことからサウルはダビデをねたみの目でみるようになり、やがて命を狙っていくようになります。しかし、神の祝福を受けたダビデは、サウルの息子ヨナタンと深い友情で結ばれていくのです。また次女のミカルはダビデを愛して、妻となっていきます。ダビデが出陣していくと必ず勝利をもたらし続けます。
サウルは、そのようなダビデの存在を脅威に感じるようになり、命を狙います。最初は、ペリシテ人との戦いで戦死するように仕向けます。しかし、戦いに勝ち続けるダビデを戦死させることはできませんでした。いよいよ直接、ダビデの命を狙おうとしていくのです。実はここまでダビデはサウルの槍から二度逃げているのです。ダビデはヨナタンと会い、「わたしが何をしたというのでしょう。父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命を狙わるのでしょう」と訴えます。ヨナタンは「決してあなたを殺させはしない。父はすべて何かある時は必ずわたしの耳にいれてくれる」と話します。ダビデは「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じの父上は、ヨナタンには気づかれてはいけない。苦しめさせたくはないと考えておられるのです。死とわたしの間はただの一歩です」と答えます。ヨナタンは「あなたが望むことは何でもしよう」といいます。ダビデは「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなくてはならない日です。あなたが逃げしてくだされば、3日目の夕方まで野原に隠れています。その時、王が自分の不在に気づかれたら、ダビデは、自分の町ベツレヘムに急いで帰ることを許してください。一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりませんと、頼み込んでいましたと答えてください。王がよろしいといわれるなら、わたしは無事です。しかし、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心しておられると思ってください。もし、わたしに罪があるなら、あなたご自身でわたしを殺してください。父上のもとに引いて行くには及びません」と答えるのです。
ヨナタンは「そのようなことは決してない。父上があなたに危害を加える決心をしていると知ったら、必ずあなたに教えよう」とダビデにいいます。ダビデは「だが、父上が厳しい答えをなさったら、誰がわたしに伝えてくださるのでしょう」といいます。ヨナタンは「来なさい。野に出よう」といいました。2人は野に出ました。ヨナタンは「父に探りを入れ、あなたに好意的なら人をやって知らせよう。父が、あなたに危害を加えようと思っているなら、もしわたしがそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。その時、わたしに命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、また、主がダビデの敵もことごとく地の面から断たれる時にも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」といいます。
ヨナタンはダビデの家と契約を結びました。そして、ヨナタンは「明日は新月祭だ。あなたの席が空いていれば、あなたの不在が問いただされる。明後日に、あなたは先の事件の日に身を隠した場所に下り、エゼルの石の傍らにいなさい。わたしは、その辺りに向けて、的を射るように、矢を3本放とう。それから矢を見つけて来いといって従者をやるが、その時に、従者に矢はお前の手前にある、持って来いと声をかけたら、出て来なさい。あなたは無事だ。何事もない。だがもし、従者に、矢はお前のもっと先だといったら、逃げなければならない。主があなたを去らせるのだ。わたしとあなたが取り決めたことについては、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる」と答えています。
サウルは、ダビデの命を狙い続けていきます。その理由をサウルは「エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死ななければならない」(サムエル記上19:31)といっています。サウルの王家の存続のためにしていると、ヨナタンに説明をしています。そのヨナタンが反対するとサウルは持っていた槍をヨナタンに向けて討っています。もはや、冷静な判断をすることができなくなっていることが分かります。自分の王という地位を守るためには、どうしてもダビデを殺そうとしていくのです。人間とは何かと思います。サウルの思いはサウル家を守ること、でも、ヨナタンはダビデを、命をかけて守ろうとしていること、ダビデもヨナタンを信頼し、自分の命を委ねています。人は1人1人、それぞれの思いの中で生きています。その思いが対立すると、争いになっていきます。それは、サウルだけではなく、私たち1人1人も同じ思いを持っていることに気づきます。
私たちは皆、罪人であり、そのために神の子イエス・キリストが十字架にかかる必要があったのだと改めて思うのです。神の愛に深く感謝するのです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サウルの思い、またはヨナタンやダビデの思いをみてきました。人間とは何かと改めて思います。どのように受け止めることができるのでしょうか。私も自分の思いがあり、他の人もそれぞれの思いがあります。何を大切にし、優先していけばいいのでしょうか。神よりの知恵が欲しいと願います。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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