4月1日の祈祷会の内容です。

beach during sunset 祈祷会
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祈祷会    サムエル記下9章「ダビデとサウル家のメフィボシェト」  2026.4.1

 ダビデはユダとイスラエルの王となり、中心の町となるエルサレムをつくり、そこに王宮を建ててもらい、神の箱を設置しました。ダビデはイスラエルの王として堅固な地位を確保したのです。周辺地域を支配するようになりました。ダビデの王としての地位が完全なものとなった時に、サウルの子ヨナタンとの約束を思い出すのです。ダビデとヨナタンとの約束は、サムエル記上20章に書かれてあります。ダビデがサウルに命を狙われて逃げていた時です。サウルの子ヨナタンはダビデと深い結びつきを持っていました。ダビデとヨナタンとの約束とは、ダビデ家もサウル家も互いに守り支え合うという内容でした。すでに、サウルとヨナタンはペリシテ人との戦いで戦死していました。でもサウル家は続いていたのです。

 ダビデは「サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者のために忠実を尽くしたい」と願ったのです。サウル家に仕えていたツィバという者がダビデのもとに呼び出されました。ダビデはツィバに「サウル家には誰も残っていないのか。いるなら、その者に神に誓った忠実を尽くしたいが」というと、ツィバは「ヨナタン様の御子息が1人おられます。両足が萎えた方でございます。ロ・デバルにあるアミエルの子マキルの家におられます」と答えます。ダビデはすぐに、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェトを連れて来させました。メフィボシェトはダビデの前に来るとひれ伏して礼をします。ダビデはメフィボシェトに「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」といいます。メフィボシェトは礼をして「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」と答えます。

 ダビデは純粋な思いで、メフィボシェトを受け入れたのでしょう。サウルから命を狙われていた時に、サウルの子ヨナタンとの深い絆があり、あの時の約束を決して忘れることはなかったのでしょう。それが亡くなったヨナタンに対する思いだったのだと感じます。メフィボシェトは両足が萎えていたとありますが、サウルとヨナタンの戦死を知った乳母がメフィボシェトを抱えて逃げた時に、メフィボシェトを落としたことでそのような足の障害を負うことになってしまったのでした。両足が萎えたメフィボシェトを自分の王の食卓に招くことはダビデの心の広さを現わしているのです。

 ダビデはサウルの従者であったツィバを呼んで「サウルとその家の所有であったものはすべてお前の主人の子息に与えることにした。お前たち、召使たちと共に、その土地を耕して収穫をあげ、お前の主人の子息のために生計を立てよ。お前の主人の子息メフィボシェトは、いつもわたしの食卓で食事をすることになる」と伝えます。実は、ツィバには15人の息子と20人の召使がいたとあります。サウル家は弱くなっているといっても、ツィバは有力な地位を持っていたのが分かります。ツィバはダビデに「私の主君、王が僕にお命じになさったことはすべて、僕が間違いなく実行いたします」と答えています。メフィボシェトは王子の1人のように、ダビデの食卓で食事をしました。メフィボシェトにはミカという幼い息子がいたとあります。ツィバの家に住む者は皆、メフィボシェトの召使になりました。メフィボシェトは王の食卓に連なるのが常のことであり、両足とも不自由なので、エルサレムに住むことになりました。

 このサムエル記下9章には、ダビデのメフィボシェトに対する慈しみが書かれてあります。しかし、人の思いは複雑なものがあります。ダビデがサウル家の生き残りを探し出し、王宮に迎える行為は、単なる慈しみ以上のことがあります。それは、サウル王家の正統な血筋を持つ人物をダビデの手元、ダビデ王の監視下に置くことで、潜在的な反乱の芽を摘むという政治的な判断があるからです。

 また、サウル家の僕であったツィバがダビデの元に呼び出されます。ツィバは弱くなったサウル家の状況を把握しており、生存者の情報を握る鍵となる人物でした。ツィバには15人の息子と20人の召使がいたとあります。サウル家が崩壊した後、ツィバはサウル家の財産を事実上管理し、僕とは思えない程に経済力と人的資源を保持していたのです。ダビデがサウル家の生存者への慈しみを宣言した後、ツィバは表面上には「お命じになったことはすべて実行します」という従順な態度を示していますが、その内実は自分の権益が損なわれることへの懸念やメフィボシェトを陥れようとする野心が潜んでいるものがあるのです。

 ダビデの前に連れて来られたメフィボシェトは命の危機を感じてひれ伏して「死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」といっています。犬は現在ではとても可愛い存在としてありますが、当時は村の周囲を徘徊し、汚物をあさる不潔な存在として受け止められていたのです。サウル家の末裔としていつ殺されてもおかしくないという深刻な自己防衛本能と長年の隠遁生活によっての生活習慣から来ているのでしょう。ダビデはメフィボシェトに「恐れるな」という言葉で打ち消し、祖父サウルの地所の返還、ツィバによる土地管理の委託、王の食卓への列席という慈しみを示しました。ツィバによる土地管理の委託ですが、メフィボシェトは両足が不自由であり、広大な土地を自分で管理することは不可能でした。そこで、ダビデはツィバとその息子たち、召使たちに、メフィボシェトの土地を耕し、その収穫をメフィボシェトの家族の糧として収めるように命じました。この措置により、ツィバはかつての主人の孫に仕えるようになりました。その状況は、後にツィバの不満と裏切りの要因となっていくことが考えられます。

 ダビデ、メフィボシェト、ツィバといろいろな人間模様が出てきます。それぞれが自分の利益を求めて、行動していきます。そして、それぞれの利益がぶつかった時に、妬みや争いが起って来ます。人間とは何かということを聖書は私たちに教えてくださっています。罪人としての人間の姿です。その人間の罪のために、イエス・キリストは十字架にかかり、死なれ、墓に葬られ、3日目に墓の中から復活してくださったのです。

祈り 聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。ダビデ、メフィボシェト、ツィバといろいろな人の思いをみてきました。人間とは何かを示されました。そこには罪人しての人間の姿があります。この人間の罪のために、イエス・キリストは十字架におつきになるために、この世界に来てくださったのです。今度の日曜日はイースターを迎えます。心からイースターを祝うことができますように、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)

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