7月7日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        レビ記10章「祭司としての役割」      2021.7.7

 祭司が任職され、アロンらによって最初のささげものがささげられました。祭司とは何をするものなのでしょうか。それは人々が神にささげるために持ってきたものを、人々に代わって神にささげることです。なぜ祭司が必要かと言えば、人は罪と汚れに満ちているので、そのまま神の前に出ることができないのです。その罪の赦しのために、ぎせいのささげものをするのが祭司です。祭司がぎせいをささげることによって、人の罪は赦され、清められます。では祭司に罪はないかというとそれはそうではありません。祭司はまず自分のために、一般の人々以上に厳重にぎせいをささげなければなりません。それがレビ記9章に書かれてあります。祭司は自分の罪の赦しと清めを受け取ることによって、人々のささげものをささげることができるのです。アロンとその子らは神と人々の間に立つ重要な務めに任職されました。10章では、祭司の中から、神の裁きを受けて滅びる者が出ます。

レビ記10:1~2

アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。

 アロンの子らのナダブとアビフは、アロンと共にエジプトを出て、海を渡り、荒れ野の道を歩み、シナイ山にやってきました。神はシナイ山でイスラエルの人々と契約を結ばれた時、人々を代表して山に登り、神の御前に出て共に契約の食事をした人々の中に二人の名前がありました。それなのにどうして、神の怒りを受けて焼き殺されてしまったのでしょうか。それは規定に反した炭火で香をたいてしまったからです。レビ記には香をたく規定が書かれてあります。

レビ記16:12~13

次に、主の御前にある祭壇から炭火を取って香炉に満たし、細かい香草の香を両手にいっぱい携えて垂れ幕の奥に入り、主の御前で香を火にくべ、香の煙を雲のごとく漂わせ、掟の箱の上の贖いの座を覆わせる。死を招かぬためである。

 香をたく炭火は、神の御前の祭壇から取らなければなりませんでした。彼らは他のところから持ってきました。自分で火をつけた炭火で香をたいたのです。そのことが神の怒りを招いてしまいました。炭火の火はどのような火なのか、見た目には分かりません。しかし、神はその本質を見られます。神に対する姿勢が問われています。神の命令をどのように受け止めているのかが問われているのです。祭司は特別な務めです。神と人々をとりなす仕事です。レビ記の10:3では、モーセからアロンに厳しい言葉が語られています。

レビ記10:3

モーセがアロンに、「『わたしに近づく者たちに、わたしが聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現そう』と主が言われたとおりだ」と言うと、アロンは黙した。

 わたしに近づく者たちは、祭司です。祭司に、神は聖なることを示されました。二人が神からの火で焼く殺されたことです。すべての人々の前で、その出来事が起ったのです。とても厳しいことです。それほど神は厳しさを祭司に求めているのです。そして、神はモーセを通してアロンに語られます。ここは、神がアロンに直接語りかけられている箇所です。

レビ記10:8~11

主はアロンに仰せになった。あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである。 あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである。

 ここでは、厳しい神の裁きが行われました。アロンにとっても、その子らによってもとても悲しいことだったと思います。この二人の死による裁きによって、神は聖と俗、清いものと汚れたものを区別することを求めています。二人の犯した罪のために、祭司職はアロンとその子らから外されても仕方がないと思います。それでも、神は祭司職をアロンとその子らに委ねるのです。神は聖なる方であり、愛なる方でもあります。

祈り 神よ、あなたは聖なる方であり、私たち人は罪人であり、汚れています。そのことをあなたは、私たちにはっきりと示されます。そのために祭司が立てられて、ぎせいをささげることを求めています。やがて、そのぎせいを、神御自身が用意してくださいました。御子イエス・キリストの十字架の死によってです。御子を十字架につけてまで、人の罪の贖い、赦しを求めているのです。あなたの愛の深さを私たちが知ることができるように導いてください。イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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