7月14日の祈祷会の内容です。

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祈祷会     レビ記11章「清いものと汚れたものに関する規定」   2021.7.14

 神は大祭司であるアロンに直接言いました。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである」(レビ記10:10~11)と。神は聖なる方であり、人は罪によって汚れているので、人が神に近づくためには、聖なるものとならなければならないのです。それを守らなかったアロンの二人の息子は神からの火によって焼かれて死んだのです。神が人の求めていることを正確に守る必要がありました。このレビ記11章では、イスラエルの人々が食べてよい生き物と食べてはならない生き物の区別がされています。

 地上の動物の中で食べてよいものは、ひづめが分かれ、反すうするものです。それ以上が食べてはならないのです。らくだ、岩たぬき、野うさぎ、いのししもダメです。動物の死骸も食べてはなりません。魚類は、ひれ、うろこのあるものは、海のものでも、川のものでも食べていいのです。しかし、ひれや、うろこのない魚類はダメです。鳥類は猛禽類がダメなようです。ハゲワシ、とび、カラス、ふくろう、こうもりなどです。昆虫では、多くが汚れているものとされています。ただ、羽があり、4本の足で動き、群れをなすもので、地面を跳躍するのに適した後ろ肢をもつものは食べてもよいのです。イナゴがそれです。また、生き物が死んで、何かの品物に落ちた場合、どうするかが書かれてあります。木の器、衣服、皮、袋などは、水に浸しておく。日が変れば清くなるのです。土器に落ちた場合は、その土器を壊すことになります。泉やため池に落ちた場合は、その水は清いままになっています。

なぜ、このようにイスラエルの人々が清いものと汚れているものを分けているかといえば、「わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。わたしはあなたたちの神のなるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい」(レビ記11:44~45)と、なっているからです。

イスラエルの人々にとって、この清いものと汚れているものは、きちんと区別されてきました。人々の食べ物の中で、食べてよいものと食べてはならないものとが区別されています。この食べてよい生き物と食べてはならない生き物の区別は、どこに根拠があるかといえばはっきりとはしていません。1ついえることは、肉食動物はダメなようです。そして地面に接して生きているかどうかです。

このイスラエルの人々の食べてもよい生き物と食べてはならない生き物は、新約聖書でどうなっているのかをみてみましょう。

使徒10:10~16

彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。

 ここはイエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていく最初のところです。ローマの百人隊長コルネリウスが信仰を持つ内容です。ペトロのところに幻として、天から大きな布のような入れ物が下りてきました。その中には汚れている動物が入っていました。

マタイ15:17~20

すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」

 律法学者たちが、イエス様のところに来て、「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えを破るか。食事の前に手を洗わない」と、訴えています。それに対して、イエス様が弟子たちに新しい教えを言っています。その内容は、旧約の内容を完全に否定するものです。「人の口から入る物は外に出て行くので汚すことはない。逆に人の口から出てくるものが人を汚すのだ」というものです。でも、旧約の内容があるから、この新約のイエス様の教えがより生きてくるのです。

祈り 神よ。祈りの時をありがとうございます。神はイスラエルの人々に聖なる者となれと言われました。その流れで、食べてもよい生き物と食べてはならない生き物と区別するように言いました。この教えはイエス様によって、新しい内容になっていきますが、神の御心がどこにあるのかを知ることができるようにしてください。イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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