7月28日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        レビ記13:1~28「皮膚病について」      2021.7.28

 祈祷会では、旧約聖書のレビ記を学んでいます。創世記において、神はイスラエルの人々を選ばれました。出エジプト記では、神はイスラエルの人々と契約を結ばれました。レビ記では、その契約の内容が書かれてあります。神は、アロンに直接語りました。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れているものを区別することである」(レビ記10:10)と。その流れで、レビ記11章では、清いものと汚れているものに関する規定が書かれてありました。実際には、食べてよい生き物と食べてはならない生き物を区別しています。レビ記12章では、出産に関することが書かれてありました。男の子が生まれる。女の子が生まれる。本来なら祝福すべきことですが、アダムとエバの罪によって、それは汚れているものとされてしまいました。そして、今日のレビ記13章「皮膚病について」ですが、長いので2回に分けて読んでいきたいと思います。

 私たちが皮膚病と考えると、にきび、水虫、日焼け、やけど、あせも、水ぼうそう、アトピー性皮膚炎、帯状疱疹などを思いつきます。もちろん、その他にもいろいろな皮膚病があります。ここでは「重い皮膚病」が問題となっています。「重い皮膚病」とは何を意味するのでしょうか。このモーセの時代に、どのような重い皮膚病があったのでしょうか。これはなかなか難しい問題です。皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いのある場合に、その人を祭司にもとに連れて行くことになっていました。

 この「重い皮膚病」は、祭司が見て判断することになっていました。その人の皮膚病が「重い皮膚病」と判断された場合、「その人は汚れている」となったのです。祭司はその人の皮膚の患部を見ます。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいる場合、「重い皮膚病」と診断されました。祭司は、調べた後に、その人に「あなたは汚れている」と言い渡します。しかし、皮膚の疱疹が白くて症状が皮下組織に深く及んでおらず患部の毛も白くなっていなければ、祭司は患者を1週間隔離します。7日後再び調べて、患部が以前のまま、広がっていなければ、もう1週間隔離します。7日後、再び調べ、症状が治まっていて、広がっていなければ、祭司はその人に「あなたは清い」と言い渡します。それは発疹にすぎないからです。その人は衣服を水洗いし、清くなります。その後も、経過観察することになります。

 重い皮膚病にかかった疑いのある人は、祭司にもとに連れて行かれることになります。祭司は調べて、皮膚に白い湿疹が生じ、その患部の毛が白くなっており、湿疹の部分の肉がただれているならば、皮膚は慢性皮膚病にかかっています。祭司はその人に「あなたは汚れている」と言い渡します。もし、この皮膚病が皮膚に生じていて患者の全身を覆っているなら、「患者は清い」と言い渡します。全身が白くなっていれば、その人は清いということになります。皮膚がただれ始めると、その人は汚れた者になります。しかし、そのただれた肉が再び白くなるならば、祭司が調べて、確かに患部が白くなっていれば「患者は清い」と言い渡します。

 皮膚に生じた炎症が一度治ってから、再び炎症が起きて、白い湿疹か、赤みかかった白の疱疹ができたなら、その人は祭司にその個所を見せます。祭司が調べて、症状が皮下組織にまで及んでいて、その部分の毛が白くなっているのなら、祭司はその人に「あなたは汚れている」と言い渡します。これは炎症の跡に生じた重い皮膚病ということになります。

 皮膚にやけどをして、それがただれて、赤見かかった白か、白の疱疹となった場合、祭司がそれを調べ、疱疹の部分の毛が白く、それが皮下組織に深く及んでいるのならば、それはやけどの跡に広がった重い皮膚病ということになります。祭司はその人に「あなたは汚れている」と言い渡します。その後の経過も観察することになります。

 人が、重い皮膚病になったと祭司が判断した場合は、「あなたは汚れた者」と言い渡されます。重い皮膚病が回復したと祭司が認めた場合、「あなたは清い者」と言い渡されます。人が病気になり、祭司がそれを病気と認めた場合、それは汚れた者ということになります。人が病気になる、障害を持つ、いろいろな苦難にあう場合、それは罪を犯して、汚れた者になっているからだと考えられているのです。これをイエス様は大胆に変えてしまいました。

ヨハネ9:1~3

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

祈り 神よ、レビ記に学びに感謝します。重い皮膚病になった者は汚れた者とされていました。ある意味で、それは苦しむ者に更に苦しみを重ねるようなものでした。しかし、イエス様は、神の業が現れるためだと言われました。その意味をしっかりと受け止めることができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

共に祈ってください。お願いします。(横山厚志)

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