6月29日の祈祷会の内容です。

祈祷会
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祈祷会         民数記22:1~21「神の祝福について」      2022.6.29

 民数記22章~36章までは、モアブでの出来事と約束の地カナンに入るための準備などが書かれてあります。荒れ野での40年が過ぎて、イスラエルの人々は世代交代をして、新しい歩みをしていくのです。民数記21章で、イスラエルの人々は、約束の地の一部であるアモリ人の王シホンやバシャンの王オグなどを滅ぼし、占領しました。そして、民数記22章に入るのですが、ここではモアブの地での出来事が書かれてあります。

 イスラエルの人々は更に進んで行きます。エリコに近いモアブの平原までやってきました。モアブの王であるバラクは、イスラエルの人々がアモリ人に対してしたことをすべて見てしまったのでした。バラクは、このイスラエルの人々、おびただしい数の民に恐れをいだいていました。モアブの人々は、イスラエルの人々の前で気力をうせていたとなっています。モアブの人々、モアブの王であるバラクにとっては大きな脅威になっていました。さて、この脅威に対して、どのように対応するのかですが、バラクはユーフラテス川流域に住むバラムを招こうとするのです。バラクはバラムを招く時に、使者に次のように言わせています。

民数記22:5~6

「今ここに、エジプトから上って来た一つの民がいる。今や彼らは、地の面を覆い、わたしの前に住んでいる。この民はわたしよりも強大だ。今すぐに来て、わたしのためにこの民を呪ってもらいたい。そうすれば、わたしはこれを撃ち破って、この国から追い出すことができるだろう。あなたが祝福する者は祝福され、あなたが呪う者は呪われることを、わたしは知っている。」

 バラクは占い師であるバラムを呼んで、脅威であるイスラエルの人々を呪ってもらい、イスラエルの人々を破ろうとしているのです。今日の私たちの理解ではなかなか難しいことですが、当時はそのようなことが可能だったのでしょう。呪うことによって、相手を破ることができるということです。そして、この占い師バラムは、そのような呪う力があることを公に広がっていたのでしょう。そのためにバラクは、遠い地域にいるバラクを呼んで、イスラエルの人々の危機にたちむこうとしています。

 バラクから送られた使者は、占いの礼物を携えてバラクのところに行き、バラクの言葉を伝えました。バラムは使者に「今夜はここに泊まってください。主がわたしに告げられるとおりに、あなたたちに伝えましょう」と伝えました。そして、神はバラムのところに来ていわれるのです。「あなたのもとにいるこれらの者は何者か」と。バラムは神に答えて「モアブの王バラクがわたしに人を遣わして、エジプトから出てきた民がいて、地の面を覆っている。今すぐに来て、わたしのために彼らに呪いをかけてもらいたい。そうすれば、わたしはこれと戦って追い出すことができるだろう」といいました。神はバラムに「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」といわれました。バラムは使者に「自分の国に帰りなさい。主は、わたしがあなたたちと行くことをお許しになりません」といいました。使者は立ち去り、バラクのもとに来て、「バラムはわたしどもと一緒に来ることを承知しませんでした」と伝えました。それで、バラクは占い師バラムを呼ぶことを諦めるかと思えば、諦めないのです。どうしても占い師バラムの呪いの力が必要だったのでしょう。

 バラクはもう一度、前よりも多くの、位の高い使者を遣わしました。彼らはバラムのところに来て、「バラクは、どうか、わたしところに来るのを拒まないでください。あなたを大いに優遇します。あなたのいわれることは何でもします。どうか来て、わたしのためにイスラエルの民に呪いをかけてくださいといっています」と伝えました。バラムは彼らに「たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、わたしの神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません。あなたがたも今夜はここにとどまって、主がわたしに、この上何をお告げになるか、確かめさせてください」と、答えています。その夜、神はバラムのところに来て、「これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わなければならない。」と、いわれました。バラムは、朝起きるとロバに鞍をつけ、彼らと共に出かけていきます。

 この占い師バラムですが、モアブの王バラクが頼るほどに呪いの力があるのでしょうか。そして不思議なことは、この占い師バラムが、遠い異邦人の地に住んでいる者なのに、イスラエルの神をどのように知っていたのか、分からないものです。実際のバラムと神のやり取りを見ていると、神とモーセの関係とよく似ています。

 そして、神はバラムとのやり取りの中で、イスラエルの人々を、祝福された民だから、この民を呪ってはならないといっていることです。どうして、イスラエルの人々が祝福された民なのでしょうか。呪われた民といったほうがいいくらいだと私は思います。シナイの荒れ野で律法を授けられた時に、イスラエルの人々は、金の子牛の像をつくって拝んでいたのです。また、約束の地に入ろうとしたら、入ることを拒否し、神の裁きとして、荒れ野の40年の歩みをしなければならなかったのです。どうして、祝福された民といえるのでしょうか。それは、神が一方的に、イスラエルの民を選び、祝福したからです。神の祝福というのは、そのようなものなのです。

 神が私たちを祝福することも、それと同じです。神が私たちを祝福してくださったから、祝福されているのです。私たちがどのような状態であっても、それは変わることはないということです。神の祝福に感謝したいと思います。

祈り 神よ、民数記の学びをありがとうございます。神の祝福について、学ぶことができました。人がどのような状態にあっても、神からの祝福は決して変わることはないということです。神の祝福に感謝します。せめて、神に祝福に答えることができるように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                         」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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