11月24日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        レビ記26:23~46「神の呪いと祝福」      2021.11.24

 シナイ山において、神はモーセを通して、イスラエルの人々に神の掟と法と律法を与えました。このレビ記26章は、その神の教えなどを守ることによる、神からの祝福が与えられること、神の掟などを破ることにより、神からの呪いが与えられることが書かれてあります。神の祝福として、具体的には、作物が実ること、食べる物が十分に与えられること、国は平和が続き、敵が来ても負けることはなく勝利することなどがいわれています。逆に、神の呪いの具体的なこととして、病気になること、食べ物が実らないこと、野獣が暴れることがいわれています。今日は、レビ記26章の後半の部分になります。神からの呪いの内容です。

レビ記26:23~26、7倍の災い

神からの懲らしめが分からず、神に反抗し続けるならば、人々の罪に7倍の災いがくだされるとあります。その7倍の災いの具体的なこととして、戦争が起こること、疫病が流行ること、パンもわずかしか焼くことができず、満足に食べることができないというものです。

レビ記26:27~39、7倍の懲らしめ

 それでも、神の言葉を聞かず、反抗するならば、人々の罪に、7倍の懲らしめを与えるというのです。この神からの7倍の懲らしめの内容は、とても厳しいものでした。人々は、自分の息子や娘の肉を食べるようになるというものです。神は偶像を壊し、町々を破壊し、町々は廃墟となり、聖所も荒らされます。人々は異国に追い散らされます。国は荒れ果て、廃墟となります。しかし、その土地にとっては安息を得たことになります。

レビ記26:40~46、人々の罪の告白と神の赦し

 人々が自分の罪と先祖の罪、すなわち神を欺き、反抗した罪を告白する時、敵の国に連れ去られ、人々の頑なな心が打ち砕かれ、罪の罰を受け入れるならば、神はアブラハムと結ばれた契約を思い起こすといわれます。

 人々が罪を犯し、神の掟を退けて、敵の国にいる間も、神はイスラエルの人々を捨てず、滅ぼし尽くすことはしません。神は、イスラエルの人々と結ばれた契約を破ることはしないのです。神は、イスラエルの人々の神であり、主だからです。神は、イスラエルの人々の神となるために、エジプトの国から導き出されたからです。

新約聖書、ローマ書より

 レビ記26章の学びを受けて、神の救いの意味を深めていきたいと思います。神が与えてくださった律法の本当に役割について考えてみます。

ローマ3:20

なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 ここでは、律法の本来の役割は、律法を守ることではなく、律法によって、人々に罪の自覚を生じさせるためでした。つまり、人々は律法を守ることができないことを理解させるために、神から律法が与えられたというのです。

ローマ3:21~24、信仰による義

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

 人々は、神から与えられた律法を守ることができないことが分かりました。では、どうしたら神の救いは与えられるのでしょうか。それは、イエス・キリストの十字架の死によって、人々の罪が赦されたこと、それを信じることによって、神から義とされたことになるのです。神の一方的な恵みによって、神の義を得ることができる者とされたのです。

祈り 神よ、祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。レビ記を通して、神の御心を学ぶことができています。イスラエルの人々の歩みを通して、神の救いとは何かを知ることができています。更に、イエス・キリストの十字架のことを通して、神の福音の意味を深く知り、信仰によって、喜びに満ちた人生の日々を歩むことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                   」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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