8月2日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記28:27~46「因果応報について考える」   2023.8.2

 イスラエルの人々は、神が与えてくださる約束の土地を前にしています。エジプトで長い間、奴隷として苦しんでいた人々を、神はモーセを送って解放してくださいました。エジプトを出て、荒れ野の旅を経て、今や目的地は目の前にあります。ここで神はモーセを通して、イスラエルの人々に、約束の土地に入って神の民として生きることの意味を話しています。それは、神が与えてくださる神の教えを守り実行して生きることでした。その神の教えは申命記5章から26章に書かれています。イスラエルの人々にとって大切なことは、神の教えを守って生きることです。そのことが何度も強調されています。

 この申命記28章には、神の祝福と呪いのことがいわれています。神の教えを守ることより、神から祝福を与えられること、それは、イスラエルの人々が約束の土地で幸福と平和に生きることができるというものです。反対に、神の教えを守ることができない場合、神から呪いが与えられるのです。神からの呪いとは、約束の土地において厳しい生活をすることを意味しています。神の祝福の内容が、申命記28:1~14です。神の呪いの内容が、申命記28:15~68です。これをみると分かりますが、呪いの内容がとても多くなっています。それは、これからのイスラエルの人々の歩みを預言しています。多くの苦難と悩みの中を歩んでいくことになります。

 それでは、今日の聖書の内容に入ります。神の教えを守ることができない場合の呪いの内容です。神は、イスラエルの人々に、エジプトの腫物、潰瘍、できものなどで打たれ、いやされることはありません。神はまた、イスラエルの人々を打って、気を狂わせ、盲目にし、精神を錯乱させられる。あなたは婚約しても、他の男がその女性と寝る。あなたは家を建てても、住むことができない。ぶどう畑を作っても、その実の初物を味わうことができない。あなたの牛が屠られても、あなたは食べることができない。ろばが奪い取られても、返してもらうことはできない。羊の群れが敵に連れ去られても、だれ一人あなたを助ける者はいない。あなたの息子や娘が他国の民に連れ去られても、何もできない。あなたの土地の実りも労苦の作もすべて、あなたの知らない民が食べ、あなたはただ蹂躙され、常に踏み砕かれるだけである。あなたはその有様を目のあたりにして気が狂ってしまう。神は悪い腫物を両ひざやももに生じさせて、いやされることがない。あなたの足の裏から頭のてっぺんまで増え広がる。

 神はあなたの立てた王と共に、あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々に仕えるようになるでしょう。あなたが畑に多くの種を携えても、いなごに食い尽くされて、わずかの収穫しか得ることができません。ぶどう畑を作り、手を入れても、虫に実を食われてしまい、収穫はなく、ぶどう酒も飲むことができません。オリーブの木があなたの領地の至る所にあっても、実は落ちてしまい、体に塗る油をとることができません。あなたに息子や娘が生まれても、捕らわれて行き、あなたのものではなくなります。あなたのどの木も土地の実りも、害虫に取り上げられます。あなたの中の寄留する者は徐々にあなたをしのぐようになり、あなたは次第に低落していきます。寄留する者があなたに貸すことはあっても、あなたが彼に貸すことはないでしょう。

 これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにはあなたを滅ぼすことに至ります。あなたは、神の教えに聞き従わず、命じられた教えを守らなかったからです。これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでもしるしとなり、警告となるでしょう。

 ここまで、今日の聖書の箇所を見てきました。神の教えを守らないことによる神からの呪いの内容を見てきました。ここで強調されていることは、イスラエルの人々に対して、神は、とにかく神の教えを守ることを求めていることです。厳しい呪いの内容が次々に出てきますが、神の本意は、イスラエルの人々に幸せに生きて欲しいという強い願いです。それが、警告として神の厳しい呪いの内容ということになっているのです。神の教えを守らないことによる神からの呪いが与えられるということですが、この部分が強調されていったのが因果応報という考えです。人間が病気になることや悪いことが起ること、障害があるということや悲しいことが起るということです。それは、人間の犯した罪の結果として病気や障害を持つことになるとことです。

ヨハネ9:1~3

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

 ここには、イエス様が生まれながらに目の見えない人のことをいっていますが、当時、イスラエルの人々の間では、生まれながらに目が見えないことは、本人か家族が何か罪を犯した結果だと考えられていたのです。これが因果応報という考えです。でも、この障害を持っていることと罪を犯したことですが、申命記の内容から考えると、神が人間に対して、神の教えを守って欲しい。幸せに生きて欲しいという強い願いがあることです。この神の思いをしっかりと受け止めたいと思います。神の人間に対する強い愛があるのです。その愛が、やがて、イエス・キリストの十字架へとつながっていきます。私たちのすべての罪、そして病や障害やすべての苦しみを背負ってくださり、十字架への道を歩まれるのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神の教えを守らないことによる神の呪いのことをみてきました。イスラエルの人々にとって、とても厳しい内容が書かれてあります。でも、その背景には、神の愛があることに気づきます。イスラエルの人々に神の教えを守ることによって、幸せに生きることができるということです。その神の深い愛のことをしっかりと受け止めることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

コメント