2月23日の祈祷会の内容です。

a person sitting on wooden planks across the lake scenery 祈祷会
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祈祷会         民数記8章「レビ人を清める」       2022.2.23

 イスラエルの人々は、エジプトを出て、シナイ山のふもとに来て、ここで神との契約を結びました。神の民としての歩みがスタートします。エジプトからシナイ山までの道のりは、それぞれが自由に歩んできたのでしょうか?シナイ山から、新しい体制で出発することになります。民数記のここまでの内容は、そのイスラエルの人々の体制を整えることが書かれてありました。留まっている時は、幕屋を中心に宿営する場所が決められていきました。幕屋の周りをレビ人がいて、その周りを12部族が東西南北に分かれて宿営しています。そして出発する時は、先頭から最後尾まで、順番も決められていました。レビ人は、幕屋の管理と移動の役割を与えられています。幕屋が完成して、幕屋とすべての祭具がモーセによって、油を注がれて聖別されました。祭壇に油が注がれた日に、12部族の代表者は、各自、祭壇奉献のためのささげものを持って来ました。そして、今日の8章です。

・8:1~4、燭台のともし火皿

 神はモーセを通してアロンに告げます。ともし火皿を載せる時、7つのともし火皿が燭台の前方を照らすようにしなさいと。神から光が聖所を照らすのです。光があるということは、神の栄光があるということです。

・8:5~22、レビ人の清めの儀式

 神はモーセに語ります。イスラエルの人々の中からレビ人を取って、清めなさいということです。レビ人の清め方ですが、レビ人に罪の清めの水を振りかけます。体全体の毛をそらせます。衣服を水洗いさせます。そうすることでレビ人は清められます。そして、若い雄牛1頭、穀物のささげものとしてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉、贖罪のささげものとしてもう1頭の若い雄牛を用意させ、レビ人を幕屋の前に進めさせ、イスラエルの人々の共同体全体を呼び集めます。イスラエルの人々はレビ人の上に手を置きます。

 アロンは、イスラエルの人々の奉納物として、レビ人を主のみ前に差し出し、主に仕える者にします。レビ人は雄牛の頭に手を置きます。贖罪のささげものとしてささげます。もう1頭を焼き尽くすささげものとしてささげます。こうしてレビ人の罪の贖いの儀式を行います。レビ人は、イスラエルの人々から区別され、主のものとなります。その後で、レビ人は幕屋の中に入って作業に従事することができるようになります。レビ人は、イスラエルの人々のうちで初めて胎を開くすべての者、長子の身代わりとして、主が受け取った者です。またレビ人は、イスラエルの人々の中で、アロンとその子らに属する者とされました。それは、レビ人が幕屋でイスラエルの人々のために作業に従事し、贖いの儀式を行い、イスラエルの人々が聖所に近づいても、災いが彼らにふりかからないためです。

・8:23~25、レビ人の任期

 主はモーセにレビ人に関することを語りました。それは、25歳以上の者から50歳までのレビ人は、幕屋に入って務めに就き、作業を行うことができます。50歳に達した者は務めから身を引くことになります。二度とその仕事に従事することはできません。ただ、幕屋でレビ人が警護の仕事をあたることを助けることはできます。幕屋で仕事することを、民数記4章3節に「幕屋で作業に従事することのできる30歳以上50歳以下の者である」と書かれてあります。ここと数字が違っています。25歳と30才です。この違いは何でしょうか。5年間、見習の期間と考えることもできます。なぜならば、それほど幕屋に従事する仕事の内容を大切だからです。

・レビ人が祭司として選ばれたこと

 幕屋は神とイスラエルの人々が出会う場所です。その幕屋で神とイスラエルの人々をつなぐ役割が祭司です。祭司にはそのようなとても大切な役割がありました。その祭司は、どうしてレビ人が祭司として選ばれたのでしょうか。これはとても悲しい事件がありました。

出エジプト記32:29

モーセは言った。「おのおの自分の子や兄弟に逆らったから、今日、あなたたちは主の祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福を受ける。」

 金の子牛事件です。シナイ山でモーセが神から十戒を授かっていた時に、イスラエルの人々は、モーセがいないことで不安になり、エジプトで拝んでいた金の子牛の像を造って拝んでしまったのです。この事件の結果として、レビ人が祭司職に任命されたのでした。

・イエス・キリストは私たちの大祭司のなってくださった。

 旧約聖書では、祭司の役割はレビ人がするようになりましたが、不完全なものでした。新約聖書では、神の子であるイエス・キリストが完全な大祭司になってくださったのです。

ヘブライ4:15

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

 このように私たちは、イエス・キリストを通して、神と交わっていくのです。感謝なことです。

祈り 神よ。祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。私たちは今、イエス・キリストを通して、あなたと交わることができています。イエス様は私たちのすべてを知っていてくださいます。弱さも辛さも苦しみも悲しみも、です。ありがとうございます。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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