4月19日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記14章「神の宝の民イスラエル」    2023.4.19

 イスラエルの人々は、神の聖なる民です。神は、地の面のすべての民の中から、イスラエルの人々を選んで神の宝の民としてくださいました。その理由は、すべての民の中で、最も数の少ない民だったからです。神のこのような憐れみによって、イスラエルの人々は神の宝の民にしてくださいました。その神の宝の民として、イスラエルの人々がするべきことが、この後で書かれてあります。

・14:1~2、禁止されている事項

 イスラエルの人々は、神の民としてくださいました。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならないのです。近隣の民は、死者を悼む時に体を傷つけたり、額をそり上げたりしたのです。そのようなことをしてはならないといいます。

・14:3~21、清い動物と汚れた動物

 神は、レビ記で幕屋と祭司を用意してくださいました。幕屋は、神とイスラエルの人々が出会うことができる場所です。祭司は、神とイスラエルの人々を仲介する役割です。祭司の役割として大切なことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別することです。(レビ記10:10)その流れの中で、清い動物と汚れた動物がいわれています。清い動物として、ひづめが分かれて、反すうするものがいわれています。例として牛、羊、ヤギなどです。ひづめが分かれている、反すうしているの、どちらかだけではダメなのです。例として、らくだやいのししなどがいわれています。

 水中の魚類では、ひれやうろこのなるものはすべて清いので、食べることができます。ひれやうろこにない魚は汚れているので、食べてはならないのです。清い鳥はすべて食べてよいとなっています。しかし、肉食のわしやとびなどはダメです。羽のある昆虫も食べてはならないとなっています。死んだ動物も一切食べてはならないのです。まとめてみると、草食動物と地面に体がついていないものが清いものとされています。肉食動物や地面に体がついているものは汚れているとされています。また、当時の衛生状態も考えられていたのでしょう。汚れている動物とされているものは、食べることによって、体に悪影響を与えるものだと考えられていたのでしょう。このように旧約聖書では、清い動物と汚れた動物が分けられていますが、新約聖書では、その区別はなくなっていきます。

・使徒10:10~16

彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。

 使徒言行録は、イエス・キリストの福音が、エルサレムから始まり、当時の世界の中心だったローマにまで、福音が伝わっていく内容です。この場面は、イエス・キリストの福音が、イスラエルの人々から、異邦人に伝わっていく内容です。ローマ人の百人隊長コルネリウスにペトロから伝わって行く時のことです。ペトロは幻を見ました。それは、天から大きな布のような入れ物が、四隅につるされて、地上に下りて来たのです。その中にはあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。神は、ペトロに「身を起し、屠って食べなさい」といいました。ペトロは、「主よ。とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答えています。神は、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたはいってはいけない」といわれるのです。そのようなことが3回もありました。それは、イエス・キリストの後で、新しい契約の内容が示されているのです。清いものと汚れたものの区別がなくなっていく、それは、神の救いが、イスラエルの人々だけでははく、異邦人も及ぶということです。神の救いが、世界中のすべての人々に与えられるというものでした。

・14:22~29、収穫の10分の1に関する規定

 イスラエルの人々は、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中で、必ず10分の1を取り分けるのです。それを神のみ前で、神がその名を置くために選ばれた場所で、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の10分の1と、牛、羊の初子を食べて、神を畏れることを学ぶのです。このようにイスラエルの人々は、神のみ前で、家族と共に食べ、喜び祝うことができるのです。3年目ごとに、その年の収穫物の10分の1を取り分け、町の中に蓄えて置き、レビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさいといいます。

 このように神は、イスラエルの人々に、自分たちの生活が、神によって支えられていることをいつも覚え、畏れて暮らすようにいっています。更に、イスラエルの人々の中で、貧しい人々のことを忘れることのないように配慮することが求められています。神のイスラエルの人々に命じていることは、イスラエルの人々の平和と豊かさを与えるものです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈ることができすますことを心から感謝します。あなたが、イスラエルの人々に与える掟は、彼ら自身の平和と豊かさのためなのだということを改めて知ることができました。あなたの御心がどこにあるのかを、私たちがより知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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