12月10日の礼拝の内容です。

礼拝

12月10日の説教の内容です。讃美歌は、58.242.361.403.27です。

礼拝説教      使徒7:9~16「苦しみをのりこえる」    2023.12.10

 12月の第2日曜日になります。待降節の第2主日です。1週間の初めの日曜日にこのように神を礼拝することができますことを心から感謝します。この礼拝を通して、私たち1人1人の1週間の歩みがより豊かなものとなりますように願います。

 使徒言行録を読んでいます。神からの聖霊を受けた使徒たちが大胆に、イエス・キリストの福音を語って行きます。多くの奇跡も行われていきます。教会には多く人々が加わっていきました。教会は豊かに成長していくのです。一方で、教会はユダヤ人からの迫害や妨害を受けることになりました。初代教会、キリスト教の初めは、まだユダヤ教の中にあったのです。ユダヤ教の中でも間違った教えをしていると受け止められていました。やがて、キリスト教はユダヤ教から離れて独自の道を歩んでいくことになります。まだ、その途中の話です。ステファノが大胆にイエス・キリストの福音を語りました。ユダヤ人はステファノを捕らえて、ユダヤの最高法院に引いて行きました。ここでステファノの説教の部分になります。使徒7章は、ステファノの説教と殉教になっていきます。

 ここでキリスト教の立場から見て、ユダヤ教の間違いというのは、2つありました。1つは、神殿のことです。ユダヤ人はエルサレムにある神殿がずっと続くと考えていました。神殿は神がおられる神聖な場所であると思われていたのです。それに対して、ステファノは、人が造った神殿に、神は本当におられるだろうかと問いを投げかけました。2つは、律法についての考えです。律法には聖書の書いてある律法と後に律法学者たちが作った細則があります。その2つを含めて、神の教えである律法を、ユダヤ人たちは本来の神からの憐れみを忘れてしまったと批判します。律法を守ることを強調するあまり形式的なものになっているといいます。特に安息日に対する考えの誤りを指摘しています。

 ステファノの説教は、ユダヤ人の歩みを振り返って、いかに神がユダヤ人を守ってきてくださったのかをアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセを取り上げて述べています。今日の聖書箇所では、ヨセフが取り上げられています。創世記の後半のヨセフ物語です。ヨセフ物語を分かりやすく語っている聖書箇所があります。

創世記50:20

あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民を救うために、今日のようにしてくださったのです。

 ここで、あなたがたは、ヨセフの兄弟たちということです。ヨセフに対して兄たちは悪をたくらんだといいます。どのようなことでしょうか。ヨセフ物語は、家族の物語だと私は思います。ヨセフの家族の中で起った悲しい事件がありました。ヨセフには11人の兄弟と1人の姉妹がいました。父のヤコブは、ヨセフだけを特別に愛したのです。溺愛といっていいでしょう。ヨセフだけが可愛くって可愛くって仕方がなかったのです。父ヤコブには4人の女性がいたことになります。ヤコブはその1人ラケルだけを愛していました。他の女性たちには次々に子どもたちが生まれていきました。しかし、愛するラケルにはなかなか子どもが生まれませんでした。やった生まれたのがヨセフだったのです。そしてラケルは次の子ベニヤミンが生まれた時に、難産で死んでしまいました。そのために、ヤコブは亡きラケルに対する思いをヨセフに見ていたのです。それでヤコブはヨセフを特別に愛したのです。ヨセフはそれでいいでしょう。しかし、他の兄弟たちはたまったものではありません。兄弟たちはヨセフに対して憎しみを持つようになってしまいました。

 ある日のこと、父ヤコブがいない場面で、ヨセフと兄弟たちだけになるのです。その時に、兄弟たちはヨセフを殺そうとまで考えてしまいました。結果的にヨセフは殺されることはありませんでしたが、奴隷としてエジプトに売られていくのです。それまでは父ヤコブの元で、幸せに暮らしていました。それが、突然に何と兄弟たちから殺されそうになる、奴隷として売られていく、そのような急激な状況になってしまいました。エジプト人の元で奴隷としての生活が始まり、また牢に閉じ込められて囚人として試練の日々を過ごすことになってしまったのです。

 エジプトに奴隷として売られていったヨセフ、そのような厳しい状況であっても前向きに生きていました。その時に、エジプト王が2つの夢を見ました。王が夢を見る、それは特別な意味があると当時の人々は考えていたのでしょう。エジプト王はすぐに、自分の見た2つの夢の意味を解くように、エジプト中の賢者たちに命じました。しかし、だれ一人として、王の夢を解くことができなかったのです。その時に、ヨセフには夢を力が与えられていました。すぐにヨセフはエジプト王の前に呼び出されて、王の見や夢を解くようにしたのです。エジプト王の見た2つの夢は、エジプトにあるナイル川から7頭の肥えた雌牛が出てきて草を食べていました。次にナイル川からやせた醜い雌牛が出てきて、肥えた雌牛を食い尽くしてしまうのです。次の夢は、実の入った7つの穂が一本の茎から出てきました。その後から、やせ細り、実の入っていない7つの穂が出てきました。その実の入っていない穂が、よく実った穂をのみ込んでしまったというものでした。

 その夢の意味は、これからエジプトで7年の豊作が続く、またその後、7年の飢饉が起るというものです。飢饉が激しく、豊作があったことを忘れる程で、飢饉が国を滅ぼしてしまうということです。ヨセフは、エジプト王に夢の意味だけではなく、その飢饉で国が滅んでしまうということに対策までしっかりと告げています。それは、7年間の豊作の時に、できるだけ食糧を倉庫に備蓄するということ、そして、飢饉が起った時に、その備蓄した食糧で、乗り越えようとするものでした。このヨセフの行動によって、エジプト王は、ヨセフをエジプトの宰相に命じるのです。ヨセフは早速、エジプトの宰相として、飢饉対策を行っていきます。7年間の豊作が続きます。ヨセフはエジプト中に倉庫を作り、食糧を備蓄していきます。そして、7年間の豊作が終り、7年間の飢饉が始まりました。飢饉は激しいものでした。エジプトだけではなく、世界中に広がって行きました。ヨセフは早速、倉庫を開いて、食糧を分けるようにしました。

 飢饉が世界中に広がることによって、ヨセフの兄弟たちが住んでいた地方にも及ぶようになりました。父ヤコブは兄弟たちに、エジプトに行き、食糧を手に入れるように促すのです。世界的な飢饉が起り、ここのエジプトで、ヨセフとその兄弟たちとの出会いが起ります。ヨセフは兄弟たちのことをすぐにわかりましたが、兄弟たちは目の前にいるエジプト人の宰相がヨセフだとは気が付くことはありませんでした。ヨセフは兄弟たちに辛く当たります。でも、最後は涙を流し、自分がヨセフであることを告げ、兄弟たちとの再会を喜ぶです。ヨセフは父ヨセフと兄弟たちをエジプトに招きます。そして、飢饉を乗り越えることができました。

 ヨセフが奴隷としてエジプトに売られていったこと、それは兄弟たちがヨセフに対して悪を行ったことでした。でも、それを神はよいものとして変えてくださったのです。エジプトでヨセフの働きがあって、エジプト人も飢饉から逃れることができました。世界中の人々も、飢饉から逃れることができたのです。もちろん、ヤコブと兄弟たちも、飢饉から命を守ることができたのです。神が人間の行う悪を、よいものへと変えてくださったのです。神の救いの業を、このように神は行ってくださることをステファノの説教の中で語っているのです。

使徒2:23~24,36

このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。

 これは、聖霊を受けた使徒ペトロの説教の一部です。ここにイエス・キリストによる救いのことがいわれています。人間の罪が、イエス・キリストを十字架につけてしまったのです。しかし、その人間の罪が、人間の罪の赦し、罪の贖いになっていくのです。人の罪を、神は善に変えてくださるのです。私たちは今、イエス・キリストの誕生を心から待ち望んでいます。

祷り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。ステファノの説教を通して、ヨセフ物語をみてきました。ヨセフを通して、あなたは人間の罪をよいものへと変えてくださったことを知りました。それは、人間の罪によって、イエス・キリストが十字架にかけられたことと同じです。神の救いの業を見ることができますことを心から嬉しく思います。イエス様の誕生を心から待ち望みます。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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