6月2日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.18.412.433.26です。
礼拝説教 使徒9:26~31「慰めの子バルナバ」 2024.6.2
バルナバ、慰めの子という意味です。今日は、このバルナバという人物に光をあててみたいと思います。使徒言行録を追いながらみていきます。最初に出てくる場面は次の通りです。
使徒4:36~37
たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ―「慰めの子」という意味―と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
この場面は、最初の教会の様子を描いています。イエス・キリストを信じた人々は心も思いも1つにして、1人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していたというものです。使徒たちから、バルナバと呼ばれていたとあります。キプロス島生まれのヨセフというのが本名です。本名ではなく、愛称で呼ばれていたのです。バルナバとは「慰めの子」という意味だといいます。慰めに満ちた人ということでしょう。バルナバも持っていた畑を売り、それを教会にささげたのでした。
バルナバをみる時に、バルナバの人物像というよりも他者に対する態度をみていきたいと思います。対人関係の中で、バルナバが他者に対して、どのような態度をとっているのかをみていくことです。次に出て来るところが、今日の聖書の箇所になります。
使徒9:26~28
サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
バルナバが果たした役割の中で、一番大きいのがサウロとの関係です。サウロ、後のパウロです。初めてのころの教会の発展の中で大きな役割を果たしていく人です。サウロは、ステファノの殉教の場面で出てきます。ユダヤ人がステファノの殉教の時に、石を投げるために、自分たちの着ている物をサウロという若者の足もとに置いたといいます。サウロはステファノの殉教に賛成していたとあります。サウロは熱心なユダヤ教徒の家で生まれ、若い時からエルサレムに留学し、ガマリエルのもとで厳しい学びをしていました。熱心なユダヤ教徒として、教会に対する迫害、ステファノの殉教にも賛成していたということです。その後のサウロは、家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていたのです。
そのサウロは、使徒9章に最初で、ダマスコ途上でイエス様との出会いをします。なぜサウロがダマスコに行ったかといえば、キリスト教徒を脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂宛の手紙を求めています。それは、キリスト教徒を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げて、エルサレムに連行するためでした。その時に、イエス様の光がサウロを照らします。その光の中で、サウロは、イエス・キリストと出会い、迫害者から伝道者と変えられていきます。その流れのためには、サウロ自身の苦しみをありましたが、ダマスコの信仰者アナニアの出会いもありました。その後、サウロはダマスコで数日間、ダマスコの弟子たちと一緒に、あちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエス様のことを宣べ伝えるのです。これを聞いた人々は皆、非常に驚いています。その後、サウロはアラビアに逃れて行ったとあります。かなりの日数を過してから、再びダマスコに戻ります。この時に、サウロはユダヤ人から殺されそうになりますが、何とか逃れることができました。そして、エルサレムに行くのです。
サウロがエルサレムに行った理由は、エルサレム教会に行って、弟子の仲間に加わろうとしたことです。当然のように、サウロの行動は知られていましたので、教会に人々は皆、サウロをイエス様の弟子だとは信じないで恐れたのです。この時に、大きな役割を果たしたのがバルナバです。バルナバはサウロを連れて使徒たちのところへ案内します。バルナバは、サウロが旅の途中でイエス様と出会い、主に語りかけられて、ダマスコでイエス様のお名前で大胆に宣教した次第を説明しました。それで、サウロはエルサレム教会で、使徒たちと自由に行き来し、イエス・キリストの名で恐れず教えることができるようになったのです。バルナバの対応があったから、うまくサウロはエルサレムの使徒たちに関わることができるようになったのです。この時、サウロの宣教活動によって、ユダヤ人から命を狙われることになりました。それを知った教会の人々は、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させます。サウロは一時的に自分の故郷に帰ることになります。サウロの命を守るためです。
その後、キリスト教の伝道が進んでいきます。ステファノの殉教の時に散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きました。イエス・キリストの福音を宣べ伝えていくのです。この地域の人々がイエス・キリストを信じたといううわさがエルサレムにある教会まで聞こえてきましたので、教会はバルナバをアンティオキアに派遣します。バルナバがアンティオキアに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜びました。その時に、バルナバは次のことをします。
使徒11:24~26
バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
このようにバルナバは、サウロを捜しにタルソスに行って、見つけ出して、アンティオキアに連れ帰るのです。1年間一緒にいて、アンティオキアの教会で伝道していくのです。この後で、バルナバとサウロは一緒に第1回の伝道旅行に行きます。その後、第2回の伝道旅行にも一緒に行こうとするのですが、ここで事件が起りました。この事件はバルナバの人間性がよく出ていると思います。
使徒15:36~40
数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
バルナバとサウロは第1回伝道旅行を一緒に行きました。そして、第2回伝道旅行も一緒に行こうとなっていたのですが、同行者で対立してしまったのです。バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも一緒に連れて行きたいと考えていました。このヨハネは第1回伝道旅行中に途中で帰ってしまったのでした。「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。」(使徒13:13)と、なっています。ヨハネは伝道旅行の困難な中で挫折してしまったのでしょう。それで途中で帰ってしまったと考えられます。バルナバはヨハネにもう一度チャンスを与えたいと思い、同行者と選んだのです。しかし、サウロは反対しました。途中で挫折した者は同行者にふさわしくないと考えたのです。どちらが正しいということはないと思いますが、この判断で、バルナバとサウロは意見が激しく衝突してしまったのです。ついに別行動をとることになってしまいました。使徒言行録は、今後、サウロの行動を追っていきます。バルナバはここで退場するようになります。
後に、このヨハネはサウロの同行者となります。「ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」(2テモテ4:11)とありますように、サウロはヨハネ(マルコ)のことをわたしの務めをよく助けてくれるとまで、いっているのです。ヨハネの失敗を受け止めたバルナバによって、ヨハネは弟子として成長することができました。バルナバの働きによって、そのように導かれていくのです。私たちは今までバルナバの歩みをみてきました。バルナバはその時その時に大切な役割を果たしてきました。バルナバをみていきますといろいろな役割が私たちにはあるなあと思います。私たち1人1人にはそれぞれに特別な役割が与えられています。その人だけに与えられている役割です。それぞれの役割を見つけて、それを神のために用いていけるようになっていきたいと願います。
祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。バルナバの働きについてみてきました。慰めの子と呼ばれ、それにふさわしい働きをしてきました。私たち1人1人も神からそれぞれ特別な役割を与えられています。その役割を見つけ、その役割を神に果たしていくことができるように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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