讃美歌は、385(1)(2)です。本日は聖徒の日(永眠者記念日)です。
礼拝説教 詩編105:1~15「アブラハムと結ばれた契約」 2021.11.7
11月の最初の日曜日を迎えました。本日の教会暦は聖徒の日(永眠者記念日)です。先に天に召された方々のことを覚えて礼拝する時です。本来なら、礼拝堂の周りに先に天に召された方々のお写真を飾り、そして、ご家族の方々と共に礼拝を守るのです。しかし、今年は特別な時となりました。新型コロナウィルスのことや教会堂の増改築があり、皆様と一緒に礼拝を守ることができませんでした。本当に残念な時です。それでも、先に天に召された方々のことを覚えて、礼拝を守ります。
改めて、聖徒の日(永眠者記念日)を守るということはどのようなことでしょうか。先に天に召された方々のことを覚えるということ、それはどのような意味があるのでしょうか。先に天に召された方々、その1人1人には、それぞれの人生の物語がありました。もちろん1人1人違う人生の物語です。それぞれの人生の中で、神と出会い、キリスト教の信仰に触れて、洗礼を受けられ、その教会生活をなし、信仰を持って歩まれ、神の国へと召されていったのです。その1人1人の信仰者の歩みを振り返しながら、いかに、神がその1人1人を守り導いてくださったのかを、ここにいる私たちが振り返るのです。そして、その1人1人の信仰の先輩方の歩みを振り返し、自分たちの信仰を確認するのです。
人の人生を考えますと、1人1人違った人生の歩みです。同じということはありません。人が、この世に生まれて、そして生きていく。それぞれの人生の物語をつくっていくのです。そして、人生の中で大切なことは、いつか、人生の終りが来るということです。それは、死を迎えるということです。人はいつか死を迎えなければならないということです。もちろん、自分の死も、そして大切な人の死もやってきます。人の死は避けることができないのです。自分の死と向き合った時、大切な人の死と向き合った時に、人の限界を感じます。死は人の力では、どうしても乗り越えることができないことを示されます。その時に、キリスト教の信仰が生きてくるのです。信仰によって支えられるのです。神の国(マタイでは天の国)です。復活の命、永遠の命です。
聖書によりますと、人はもともと神と共に永遠に生きる者でした。しかし、神から離れた人に、死が入ってきました。神から離れた人は、永遠に生きる者から、死ぬ者に変ってしまいました。その人の死から解放するために、神はイエス・キリストの十字架によって、それを解決してくださったのです。今年、私たちの教会では、1人の兄弟と1人の姉妹を、天に送りました。いつも側にいた者が、一緒に歩んでいた者が突然に、自分たちの周りからいなくなってしまったのです。もっと一緒にいるはずだと思っていたのが、そうではなく、突然にいなくなり、神の国へといってしまったのです。これは側にいる者としては本当に辛いことです。それでも、二人は、神の国へと行かれたのです。イエス・キリストへの信仰を持って、神の国へと帰られたのです。
今日は、詩編105編を読ませて、いただきました。9節に「アブラハムと結ばれた契約」という言葉がありますが、それから、今日の説教の題とさせていただきました。旧約聖書の詩編は、私たちの教会の讃美歌と同じです。神を讃美する歌です。この詩編105編も、神を讃美しています。
詩編105:1~2
主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。主に向かって歌い、ほめ歌をうたい、驚くべき御業をことごとく歌え。
人々が主を讃美することを求めています。主をほめる歌を歌うのです。主のなされた驚くべき御業をすべて歌うのです。主のなされた驚くべき御業とはいったい何でしょうか。それは、9節にある「アブラハムと結ばれた契約」です。アブラハムとは、創世記12章から登場してくるイスラエルの人々の最初の人です。アブラハムから、イスラエルの人々の歩みが始まっていくのです。神はまずアブラハムを祝福します。その祝福から、アブラハムの歩みは始まっていきます。イスラエルの歩みが始まります。
創世記12:1~3
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
イスラエルの最初の人になったアブラハムは、この神の祝福の言葉より、今まで生活していた場所を離れて、神が示す約束の地に出発します。それは、アブラハムが高齢になっていた時でした。旅をするには、辛い時期だったと思いますが、アブラハムはただ神の言葉を信じて、行動して行きました。ここからイスラエルの人々の歩みが始まっていきました。その歩みは困難に満ちたものになっていったのです。12節「その地で、彼らはまだ数が少なく、寄留の民の小さな群れで」にあるように、人の数は少なく弱い民でした。
イスラエルの人々の歩みの中で、多くの試練がありました。その1つが、エジプトで430年間、奴隷であったということです。考えてみれば、長く苦しい奴隷の日々を過さねばならなかったのです。そのイスラエルの人々を神は助けます。モーセによる出エジプトです。神の御手が多く働き、その苦難を、イスラエルの人々は乗り越えることができていくのです。その奇跡の1つが葦の海の奇跡です。エジプトを出たイスラエルの人々は、目の前には葦の海が広がって、行く道を閉ざしているようでした。そして、後方からはエジプト軍が迫って来るのでした。イスラエルの人々は、前にも後ろにも行くことができずにいました。それを、神は御手によって、目の前の葦の海を2つに分け、渇いた道をつくり、その間を渡りきることができました。エジプト軍が海に入った時に、海は元通りになり、エジプト軍は溺れて全滅してしまったのです。そして、イスラエルの人々は、旅を続けることができました。
イスラエルの人々の歩みは、様々な困難との出会いでした。また、自分たちの罪による困難さも起ってしまいました。それでも、神はイスラエルの人々を愛し、約束の地に導くのです。このエジプトを出て、荒野の旅を経て、約束の地に入って行くということは、私たちの人生そのものです。私たちはそれぞれの人生の旅路を歩んでいます。繰り返しになりますが、いろいろな人生の旅路があります。でも、行くべき先は決まっています。約束の地である神の国です。私たちの人生の目的は、神の国に行くことです。ここにいる私たちはいったい、どこに行こうとしているのでしょうか。もちろん、1人1人違った人生の旅路があります。同じ旅路はありません。でも、行くべき先ははっきりと決まっています。それは、イエス・キリストの十字架によって与えられる神の国へ行くことです。神の国に行き、神と共に歩み、先に召された方々と共に、神を讃美して歩んでいくのです。
私たちは今、この地上での歩みをしています。そして、いつか死を迎える時がやってきます。イエス・キリストへの信仰がなければ、それはとても辛いことになります。しかし、このイエス・キリストへの信仰によって、与えられる神の国、永遠の命にあることによる希望があります。先に天に召された方々がいます。そして、私たちもいつか、神のみもとに行くのです。神の国に行くのです。そして、復活の命を与えられ、永遠の命を与えられて、神と共に歩むのです。
祈り 神よ、聖徒の日(永眠者記念日)を覚えて、礼拝を守ることができましたことを感謝します。今年は、このような形での礼拝ですが、あなたが私たちに示してくださった祝福は決して変わることがありません。いつの日か、私たちは神の国にいくことを待ち望みながら、歩んでいきます。あなたへの信仰をしっかりと持って、それぞれの人生の歩みを最後まですることができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
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