1月14日の礼拝の内容です。

礼拝

1月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、58.155.368.434.24です。

礼拝説教     使徒7:30~36「解放者としてのモーセ」    2024.1.14

 1月1日の午後4時すぎに起った能登半島の震災は大きな被害をもたらしました。日々、テレビや新聞、インターネットを通じて、その被害の様子を知ることができます。そして、暖かい部屋にいて何もできない自分が悲しくなっています。何かすることができないかと思い悩んでいます。日本基督教団中部教区のホームページに石川県内の教団の教会の様子が出ています。輪島教会では大きな被害がありました。教会の牧師は避難所におられるということでした。中部教区として、被災教会のために募金が開始されました。先週の長老会で、私たちの教会でも募金を始めようと決議しました。教会の皆様のご協力をお願いします。

 礼拝では使徒言行録を読んでいます。使徒言行録は、聖霊を受けたイエス様の弟子たちがイエス・キリストの福音を語り始めています。宣教と共に多くの奇跡も行われました。イエス様の弟子たち、つまり使徒たちの働きによって、多くの人々がイエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、教会に加わっていきました。教会の成長は著しいものがありました。その一方で、使徒たちの働きを敵対してみていた人たちがいました。ユダヤ教の指導者たちでした。使徒言行録7章は、ステファノの説教と殉教が書かれてあります。ステファノは、イエス・キリストの福音を大胆に、人々に語っていきました。それを見て、ユダヤ教の指導者によって捕えられて、ユダヤ人の最高法院に連れて行かれて審問を受けています。そのことに対してステファノは、説教という形で答えています。

 ステファノの説教は、神がいかにイスラエルの人々を守って来たのかをアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセを通して語っています。今日の内容は、モーセの80歳の時のことからです。ヨセフの時代に、世界的な飢饉がありました。その時に、イスラエルの人々はヨセフの導きによって、エジプトに移住しました。飢饉を逃れるためでした。イスラエルの人々は長くエジプトで生活するようになりました。時が流れて、エジプトには新しい国と新しい王が誕生しました。この時に、イスラエルの人々の数は爆発的に増えていきました。新しいエジプト王はそのことを脅威に感じて、このままだと自分たちの国がイスラエル人に奪われてしまうかもしれないと考え、イスラエルの人々の数を減らそうとしました。最初にしたのが強制労働でした。建築や農業など厳しい労働を課せられました。それでも、数が減るどころか増える一方だったのです。そこで、エジプト王は、イスラエル人の中で、男の子が生まれたら、ナイル川に流して殺してしまえ、女の子が生まれたら労働力のために生かしておけとしたのです。

 このような時にモーセは生まれました。レビ人の夫婦に男の子が生まれました。3ケ月の間は隠しておきましたが、そうもできず、赤ちゃんを葦の籠の中に入れて、ナイル川の葦の茂みに置きました。そのままでは流されて死ぬばかりでした。何とそこに、エジプト人の王女が体を洗いにやって来ました。そこで、籠を見つけて、中にいる赤ちゃんを発見しました。王女は、イスラエル人の子と知りながら、自分の子として育てていくことにしたのです。こうして、モーセはイスラエル人の子として生まれ、エジプト王家の子として成長していくのです。

 40歳のモーセです。ここで問題なのは、モーセはいつ自分がイスラエル人の子だと分かったのかということです。きっと誰かにいわれ、そのことを確信したのでしょう。モーセにとって大きなショックだったと想像します。そのモーセがイスラエルの人々のところに行きます。そして、イスラエル人の1人が1人のエジプト人に打たれているのを見て、そのエジプト人を殺してしまいました。モーセは今こそ、イスラエル人の解放のためにと思った行動が失敗し、エジプトを逃げなければならないことになり、遠くのミディアン地方に行きました。このミディアン地方で、モーセは40歳から80歳まで過ごします。羊を飼いながら結婚し、子育てなどののどかな生活を送ることができました。

 そして、80歳になったモーセに、神は語りかけるのです。それが、今日の聖書の内容となります。羊を追いながらシナイ山の近い荒れ野までやって来ました。柴の燃える炎の中で、天使が現れました。そこで神の声を聞くのです。「わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」と。イスラエルの人々が「だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか」といって拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。この人がエジプトの地でも紅海でも、また40年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導きましたといっています。

 モーセは80歳の時に、神によって指導者、解放者としてエジプトに遣わされていくのです。エジプトに行ったモーセは、イスラエルの人々の解放のために、エジプト王と交渉を始めます。当時、イスラエルの人々はエジプト人の奴隷として、エジプト人の生活を支えていました。エジプト王にとって、イスラエルの人々を解放することは、自分たちの生活の基盤を失うことになります。当然のように拒否します。そこで、神はモーセを通して、エジプトに10の災いを送ります。それは自然の災害でした。特に、10番目の災いは、イスラエルの人々の祭りの過越し祭になったものです。神はエジプト中に死の使いを送りました。死の使いが通り過ぎたエジプトの家では初めて生まれた子どもが死んでいくのです。この時に、エジプト中の家の初めての子どもが死にました。エジプト王の子どもも死んだのです。そのために、エジプト王は、このままではエジプト人すべてが殺されてしまうと恐れて、イスラエルの人々の解放を認めていきます。イスラエルの家では、子羊の血を家の入り口に塗ると、死の使いはその家を過ぎ越しました。その家に何の問題も起りませんでした。このようにして、出エジプトは実現したのです。

 奴隷から解放されて、イスラエルの人々は大きな喜びを持って、エジプトを出ることができました。約束の土地を目指して旅立って行くのです。しばらくして、葦の海に沿いながら旅を続けていました。エジプト王は、イスラエルの人々を解放したことを後悔し、エジプト軍を送って連れ戻そうとしました。イスラエルの人々は大きな危機を迎えるのです。目の前には葦の海が広がっています。後方からはエジプト軍が迫って来ます。イスラエルの人々はパニックになってモーセに文句をいいます。どうして、このような荒れ野に連れて来たのか、我々をこの荒れ野で死なせるためかとまでいいます。神は動きました。神はモーセを通して、大きな奇跡を行うのです。目の前の葦の海を2つに分けます。そして乾いた地を現し、そこをイスラエルの人々は通過することができました。後方から追ってきたエジプト軍が海に入った時には、海は元どおりになり、エジプト軍を飲み込みました。エジプト軍は全滅してしまったのです。こうして、イスラエルの人々は危機を脱することができました。

 イスラエルの人々の旅は続いて行きます。荒れ野の旅です。エジプトで暮らしていたイスラエルの人々は奴隷として苦しい生活はしていました。しかし、衣食住は守られていました。水も豊富にあり、食べ物を豊かでした。荒れ野は、確かに奴隷として解放され、自由になりましたが、厳しい生活と向き合うことになります。それは荒れ野の旅は、水はない、食べ物はないという過酷な環境でした。生きるために必要な物がないということはとても大変なことです。当然のように、イスラエルの人々の不満がモーセに迫って来ます。何度もそのイスラエルの人々の不満をモーセは受け止めなければなりませんでした。神は、荒れ野においてもイスラエルの人々を養ってくださるのです。水を与え、マナとうずらを与えてくださいました。荒れ野の40年の旅を守ってくださったのです。

 この荒れ野の40年の歩みの中で、神はイスラエルの人々と契約を結んでくださったのです。神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は神の民としてくださいました。神の民としての証が、律法(十戒)が与えられたことです。そして幕屋や祭司制度などをつくってくださいました。まさしく、イスラエルの人々の神の民としての基礎を、この荒れ野の40年の歩みの中でつくってくださったのです。

 神は、このイスラエルの人々を通して、人間の救いを完成させてくださるのです。やがて、イエス・キリストを送ってくださり、その十字架を通して、完全な救いの道を示してくださったのです。そのことをステファノの説教を通して、私たちに教えてくださっています。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。あなたは、イスラエルの人々を通して、私たちの救いを導いてくださいました。ステファノの説教を通して、あなたがモーセを通して、いかに私たちの救いのために行動してくださったのかを知ることができました。神の救いの業に感謝して、私たちの信仰生活を最後まで守り導いてください。能登半島で起った大きな震災を中で、苦しんでいる人々を助けてください。私たちもその方々のために祈ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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