3月26日の礼拝の内容です。

礼拝
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3月26日の礼拝の内容です。讃美歌は、17(1)311(1)390(1)88です。

礼拝説教  1コリント12:12~27「キリストの喜びに」(小椋実央牧師) 2023.3.26

受難節第5主日を迎えました。次週は棕櫚主日、イエスさまをしゅろの葉で迎えたというのにちなんでいる呼び名ですが、その棕櫚主日から受難週が始まって、今日から2週間後には復活祭、イースターとなります。この世的な言葉で申し上げますと、いよいよ年度末を迎えまして、2022年度の歩みを振り返り、2023年度の新しい計画を考える時になりました。2022年度はなんといっても、新会堂での礼拝が始まったこと。2023年度はこの会堂を用いて、どのような伝道をしていくのかが焦点になることと思います。そのことに先駆けて、本日の礼拝後には長老選挙が行われます。長老と言いますとその文字からして何やら立派そうな、忙しそうな肩書のように思えますけども、忙しいのは事実なんですけれども、なんといってもみなさんに祈って支えていただかなければならない。パウロやペトロたちがいつも仲間に祈って送り出され、祈って支えられていたように、本日選出される長老のために、また続投される長老のために祈っていただきたいし、祈りをもって長老選挙にのぞんでいただきたいと思います。

さて、私たちの日曜日ごとの歩みは、私が担当する月の最後の主日を除いて、長らくマタイによる福音書を読み進めてきましたが、いよいよ終わりを迎えて、使徒言行録へと歩みを進めています。ここにおられる半分ぐらいの方は、使徒言行録よりも使徒行伝と言ったほうが馴染みがあるかもしれません。行伝から言行録に言葉はかわりましたが、内容は同じです。伝道の記録、教会の記録、教会の基礎の基礎。勿論、神さまがイエスさまを遣わさなければ始まらなかったことですが、使徒たちが一歩一歩、町や村をひとつずつたずねなければはじまらなかったことです。そこには数えきれない多くの失敗がありました。伝道が成功するのはごく一部、1/10か1/100の確率で、ゆく先々で暴動が起き、牢やにいれられたり、誰にも見向きもされなかったり、おそらく聖書には書ききれないほどの問題に見舞われてまいりました。先週、日本中がWBCに夢中になっていましたけれども、決勝戦直前に、強敵アメリカを前にして大谷選手が「今日だけは憧れることをやめましょう。」とチームメイトに声をかけたことが報道されていました。その言葉を拝借するならば使徒たちも憧れているだけでは教会は建たなかったし、憧れているだけでは福音は海を渡ることはできませんでした。失敗を恐れずにペトロ語り、勇気をもってパウロが一歩足を踏み出してくれかたから、この日本の地で私たちは聖書と出会い、み言葉に捕えられました。私たちの憧れの存在と言ってもいいような使徒たちと瀬戸にいる私たちが肩を並べてみ言葉を語るように招かれています。使徒言行録の続きが、私たちに託されている。私たちはただ後を追うだけではなくて、パウロやペトロを超えていかなければなりません。そのためにはどうしても教会の基礎、どのように教会が始まっていったのか、広まっていったのかということを知らなければなりません。そして苦しみながら、イエスさまに怒られながら、時にはユーモアを交えて、時には対立しながら、私たちは聖書から飛び出して、現実の2023年のこの日本の地で伝道の旅を続けていきたいのです。

ちょうど一か月経過してしまったのであまり記憶に新しくないことかもしれませんが、前回ここでパウロの1回目と2回目の宣教旅行についてふれました。重複してしまいますが、前回ここで話させていただいたことは1回目はバルナバと二人三脚で宣教旅行を成功させたこと。しかし1回目の途中で脱落したマルコをめぐって長年の相棒であるバルナバと対立をして、とうとう別れ別れになって2回目の宣教旅行を始めたこと。2回目の宣教旅行は苦しむことの連続でしたが、しかし導かれて海を渡り、次々と伝道を成功させていったこと。その一つがテサロニケでの伝道であり、ご一緒に読ませていただいたのがテサロニケの信徒への手紙でした。

本日お読みしたコリントの信徒への手紙、コリントというのは、テサロニケでの伝道の続きの出来事です。つまりコリントへの伝道は2回目の宣教旅行での出来事であり、パウロはこのコリントに1年半滞在しました。2回目の宣教旅行が3年という長さを考えますと、このコリントでの1年半はそのほとんどを費やしている。パウロに言わせれば、結果としてそうなっただけだと言えるのかもしれませんが、客観的に見れば2回目の宣教旅行の集大成と言って言い過ぎではないとおもいます。ついでと言ってはなんですが、3回目の宣教旅行の目玉は言うまでもなくエフェソだと言えるでしょう。3回目の宣教旅行ではパウロは5年のうちの3年をこのエフェソで費やしています。何よりも2回目の宣教旅行の時からエフェソに行こうとしながら、聖霊に妨げられて行くことができませんでした。エルサレムへ帰る途中にほんの少しだけ立ち寄ることしかできなかった。パウロがエフェソを重んじていたことは、使徒言行録に記されるパウロの告別説教でも分かります。自分がもうすぐ逮捕されるかもしれない、ということを予感したパウロは、エフェソの長老たちを呼び出して、別れを告げます。パウロがわざわざ時間をとって別れを告げた教会というのはエフェソぐらいしかありませんので、そこからしてもエフェソに対するパウロの思い入れが分かります。

本日お読みしたコリントの教会に宛てた手紙をもっとよく知るために、パウロが特別重んじていたエフェソの教会について少し知っておきたいと思います。先ほど申し上げたようにパウロとエフェソ教会は、パウロがわざわざ別れの挨拶のために立ち寄るほどの強い信頼関係で結ばれていました。使徒言行録を読んでいますと、たったの数日、もしかしたら1日しか滞在していないような場所もあるだけでなく、言葉は悪いのですが一度訪ねたら行きっぱなし、2度目はナシ、という場所は少なくありません。それに比べるとエフェソでは3年も滞在し、別れのための時間を設けている。また長老たちもそれに応えて、内陸部のエフェソから港町のミレトスまでパウロを迎えに出て行く。別れを惜しみ、死を覚悟したパウロのことを悲しみ、しかしパウロの心が揺らがないことを知ると祈って涙を流しながらパウロを送り出すのです。エフェソでのパウロの伝道がどれほど有意義なものであったか、パウロとエフェソの人々との間でどれほど心が喜びおどるような交流があったことか、想像できるような気がします。

そのことはエフェソの信徒への手紙にもよくあらわれています。穏やかで、落ち着いた口調で、本日と同じテーマであるキリストは1つの体であるということについて語ります。(エフェソ4:1-16)パウロの教養を感じさせるような、格調高い文体です。論争めいたところ、相手を非難するようなところはどこにもありません。パウロが相手を信頼しきって、のびのびと書いていることが感じられます。聖書に美しいとか美しくないという表現は少しおかしいのかもしれませんが、とても美しい手紙の1つと言ってもいいかもしれません。この手紙からエフェソの教会の人々、パウロを慕い、キリストを愛し、信仰に生きるエフェソの人々が透けて見えてくるような気がします。さて、本日お読みしたコリント教会を知るためには、コリントという町そのものについて知らなくてはなりません。このコリントという地名をもじった「コリントする」という動詞が存在するのだそうです。少しお金を持って自由を得た人が、羽目を外すことができる場所。お酒を飲み、賭け事をして、男性や女性の娼婦がいてお金で買ったりする。節度を持って飲酒、飲食をするぶんにはいいけれども、うさんくさい、あやしげな店が立ち並ぶような場所。このような場所でパウロは苦労しながら伝道しました。勿論、全ての人が怪しげな商売に携わっているわけではないでしょうから、ごく普通の人々もいたのでしょうけれども、町全体がまともでない倫理観に支配されているところで福音を説くのは骨が折れたことだと思います。

何故パウロにそれができたのか。何故苦しい伝道を続けることができたのか。勿論神のご命令があり、神の導きにもよるのでしょうけれども、プリスキラとアキラという強力な助っ人を与えられたことは大きかったと思います。この2人はコリントという猥雑な町でパウロを支えるだけではなくて、なんとこの後コリントの家を離れてパウロの宣教旅行についていってしまう。しかも後ろ髪ひかれて立ち去っていくパウロに変わって、エフェソに残ってエフェソ教会を指導して教会の基礎を築くのです。アポロという若くて優秀な伝道者を育てたのも、このプリスキラとアキラという夫婦の働きによるものです。この2人がいたからこそ、パウロはコリントという特殊な町に踏みとどまることができた。コリントに来る直前にパウロはアテネに立ちよっていますけれども、聖書を読む限りは数日かもしかすると1日しか滞在していないかのように感じられますが、それに比べるとコリントの1年半というのは破格に長い。プリスキラとアキラがいなければ、なしえなかったことです。1年半も苦労して伝道したにもかかわらず、パウロがコリントを離れてすぐ耳にしたのは教会分裂の噂でした。詳しいことはⅠコリントの1章に記されていますが、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロにつく」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」とめいめいが好き勝手なことを言い出すのです。考えようによっては、分裂するほど教会が大きく発展したととらえることもできますが、パウロにとってみれば痛恨の極みです。1年半、涙ながらに語ってきたのはなんだったのかと遠くから地団駄を踏みたくなるような状況です。

コリントはただでさえ混沌とした街です。教会のメンバーにも当然、そのことが反映されます。全うな生活を送るものもいれば、あやしげな商売に手を出している人がいます。こんな人と一緒に礼拝を守るのはいやだ、一緒にはやっていけない。問題が表面化するのは時間の問題だったのかもしれません。早いうちに、パウロの影響力があるうちに表面化したことは、かえってよかったのかもしれません。パウロは憑りつかれたように手紙を書きます。手紙の内容は教会の一致、キリストの体は1つ、ということです。パウロの18番、おはこの内容といってもいいかもしれません。教会の人々はパウロから繰り返し聞かされてきた内容だと思うのです。残念なことに、コリント教会にはパウロの根強いファンがいるかと思えば、パウロを毛嫌いしている人も多くいました。だからこそ教会が分裂したのかもしれません。そのことはⅡコリントにパウロ自身が記しています。(Ⅱコリント10:10)パウロ本人の耳に届いているのだから、1人や2人がそう思っているという程度のことではありません。多くの人がそう思っているのです。しかしパウロはそのことを逆手にとって、むしろ知っているからこそさらに寛大な心をもってコリントの人に語り、説得しようとしています。(Ⅱコリント10:1)パウロが語るのは相手がエフェソの信徒であろうと、コリントの信徒であろうと同じこと、キリストの体は1つ、ということです。パウロの18番です。コリントの人々になんとか理解してもらいたい、パウロは慎重に語り始めます。(Ⅰコリント12:13)しかし語り始めるうちにパウロはだんだん興奮して、屁理屈をこねるような展開になっていきます。(Ⅰコリント12:12:14-22)パウロが必死になって、なんとかしてあなたがたに分かってもらいたいのだという余裕のなさを垣間見ることができます。教養豊かな、格調高い手紙を書くはずのパウロが、屁理屈をこねる子どものようになってコリントの人々を説得しようとする。1人でも滅びることはキリストの悲しみであり、1人を喜ぶことがキリストの喜びにつながることを知っているからです。たとえ自分が嫌われていたとしても、同じ一つの体として喜びをわかちあいたい。キリストの喜びに共にあずかりたい。キリストに召された者として、キリストの体として不必要にしか思われないような多くの部分をもキリストが招いてくださって一つとしてくださったことを喜びなさいと語るのです。優秀に見える部分もあれば、いまいちな部分もあるかもしれない。それどころか、不要に思われる部分だってあるかもしれない。しかしどんなに小さな、たったの一箇所でも失うことはキリストにとって痛みであり、同時にどんなに小さな一箇所の喜びはキリストの体、教会全体の喜びとなるのです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」

2023年の受難節です。私たちは新しい使徒言行録を生きています。私たちに託されていることは、とてもシンプルなことです。迷える子羊を教会へ導くこと。そして、キリストの体に連なっていることを喜び合うこと。今日だけではなくて、今日から、私たちは憧れることをやめましょう。聖書を過去の物語で終わらせるのではなくて、今から、聖書の世界に生きていきましょう。かつておられたキリストが今なお生きておられるということは、キリストの体である教会はやがて来る時まで前進し続けるということです。パウロからバトンを受け取って、パウロを超えて、使徒言行録を超えて、瀬戸に連なる使徒たちの記録を、未来にむかって記していきましょう。「あなたがたはキリストの体であり、また、1人1人はその部分です。」

<祈り>御在天の父なる神さま。2022年度の歩みをこのところまで導いてくださいましてありがとうございます。憧れることをやめて、パウロを超えて、使徒言行録を超えていけるように聖霊をお送りください。誰もがキリストの喜びにあずかることのできる、そのような教会をこの瀬戸の地に建てあげることができますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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