2月4日の礼拝の内容です。

礼拝

2月4日の礼拝の内容です。讃美歌は403.484.493.533.26です。

礼拝説教        使徒7:44~53「神がいる家」    2024.2.4

 2月に入りました。今日は2月の第1日曜日です。1週間の初めの日曜日にこのように神を礼拝することができますことを心から神に感謝したいと思います。1月1日午後4時10分に起った能登半島地震から1ケ月が過ぎました。皆様もご存じだと思いますが、日本基督教団輪島教会の被災の様子が中部教区のホームページに載っています。建物としては全壊ということです。壊れた教会の様子、礼拝堂の中の様子が写真として写っています。今回の地震は能登半島全体に大きな被害をもたらしました。12月31日が日曜日でした。この日にはいつものように礼拝を守ることができたと思います。それが、正月の地震で、教会堂が壊れてしまった。今年に入って輪島教会の皆様はどのような礼拝を守ることができたのでしょうか。本当に心が痛みます。私たちは、ただ輪島教会の復興を祈ることしかできません。いつの日か、新しい輪島教会で礼拝を守る日が来ることができるように願います。

 私たちの教会は1年半以上前に、教会堂の増改築工事を終えることができました。長い祈りと準備の時を経て、献堂式を迎えることができた時は大きな喜びでした。今は、新しくなった礼拝堂で、このように毎週日曜日に礼拝を守ることができています。改めて感謝したいと思います。日曜日ごとに、教会に集まって礼拝を守ることができることは本当に当たり前のことではないことを思うのです。

 今日の説教の内容は、教会堂についてのことです。礼拝では使徒言行録を読んでいます。イエス様は十字架につけられて死なれました。墓に葬られて、3日後に復活してくださったのです。そして、復活されたイエス様は弟子たちと共に40日間過ごされました。その後、神のみもとに帰られたのです。それから10日後に、神のもとから聖霊が、イエス様の弟子たちのところに注がれました。聖霊を受けた弟子たちは、イエス・キリストの福音の意味を理解することができるようになり、外に出て行って、大胆にイエス・キリストの福音を語っていきました。そのことによって教会の活動は始まり、多くの人々がイエス・キリストの福音を受け入れて、洗礼を受けて、教会に加わっていきました。教会の成長は目覚ましいものがありました。しかし、教会の活動に反対する人々がいました。ユダヤ教の指導者たちです。指導者たちは、教会の活動を妨害し、迫害していきます。福音を語っていたステファノを捕えて、ユダヤ人の最高法院に連れて行き、審問をします。それに応える形で、ステファノは説教を通して応答していきます。

 ステファノの説教は、神はイスラエルの人々をいかに守り導いてくださったのかをアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと語って来ました。神の救いと導きに対して、イスラエルの人々は罪を犯し続けて来たということを繰り返し、ステファノは答えています。今日の聖書の箇所では、ステファノの説教の最後の部分になっています。当時、エルサレムにはヘロデ大王によって神殿が増改築されている途中でした。太陽の光の関係で時には黄金に輝いて見ることができたといわれています。

マルコ13:1

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」

 このように、イエス様の弟子たちが、神殿の素晴らしさを語っています。イエス様の時代のイスラエルの人々にとって、エルサレムにある神殿は、黄金に輝き、神がおられる場所として考えられていました。この神殿には歴史があります。最初は幕屋と呼ばれていました。イスラエルの人々が長い間、エジプトで奴隷として過ごしていました。神はモーセによって、奴隷からの解放、出エジプトを成し遂げてくださいました。エジプトを出たイスラエルの人々は荒れ野の旅を入って行きました。それは、約束の地を目指しての旅でした。シナイ山において神はイスラエルの人々と契約を結んでくださったのです。イスラエルの人々は神の民となることができました。また、神はイスラエルの人々の神となってくださったということでした。この時に、十戒を始めとして律法が与えられたのです。また、神は祭司制度や幕屋を造るように命じられました。

 幕屋は移動式のテントといっていいかもしれません。出エジプト記には幕屋について細かい設計図とその意味が書かれてあります。それを管理するのが祭司であるレビ人の働きでした。幕屋は、神とイスラエルの人々が出会う場所です。神は天地創造されたお方ですから、人間が造った建物に入るということはありません。しかし、神の方から、イスラエルの人々に幕屋を造れと命じたのです。それは、幕屋を通して、神とイスラエルの人々が出会うことができる場所としてくださったのです。幕屋の一番大切な場所に、契約の箱が置かれていました。その箱の中には十戒の書かれた2枚の石の板などが入っていたのです。ヨシュア記の中で、イスラエルの人々がヨルダン川を渡る時には、祭司が担いだ契約の箱が先頭になって行くのです。ヨルダン川の流れを止めて、イスラエルの人々は川を渡り終えることができました。またエリコの町の攻撃の時には、祭司に担がれた契約の箱が町の周りを回るのです。そして、エリコの町の城壁を壊して攻め落とすことができたのです。

 やがて、イスラエルの人々は約束の地に入って住むようになりました。ダビデの働きによって、イスラエル国家が築かれました。ダビデはエルサレムを中心にイスラエル国家をつくっていくのです。ダビデの子ソロモンによって、エルサレムに神殿は造られました。この時のソロモンの神殿の献堂の祈りがあります。

列王記上8:27~29

神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。

 このソロモンの祈りの中にもありますが、神は人が建てた神殿などに入るお方ではありませんといっています。しかし、神ご自身が、神殿を指して「わたしの名をとどめる」といってくださったのです。だから、神殿を通して、イスラエルの人々は神と出会うことができるのです。神殿の設計図などを見ますと、黄金に輝く神殿であったことが分かります。本当に豪華なものだったのです。神殿は一度壊されてしまいましたが、再建されました。また、ヘロデ大王の時に、増改築されていったのです。

 イスラエルの人々にとって、エルサレムにある神殿は黄金に輝くものであり、ここにこそ神がいてくださる場所だと思っていたのでしょう。ユダヤ教の指導者たちによってもそのような思いにあったと考えます。神殿が人々に見える形で存在している。それが永遠に続くと思い込んでいたのでしょう。でも形がある物はいつか壊れてしまうものです。実際に、イエス様の時代から40年後に起ったユダヤ戦争によって、エルサレムとその神殿は徹底的に破壊されてしまいました。現在、残っているのは神殿の壁の一部である嘆きの壁といわれるものです。その場所が、イスラエルの人々にとって大切な祈りの場所になっています。

 ステファノの説教は、ユダヤ教の指導者たちに、神殿の限界性を語りました。「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」(使徒7:48)その通りなのです。しかし、ステファノの説教は、ストレートでした。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」「いつも聖霊に逆らっています」「正しい方が来られることを預言した人々を殺しました」「そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった」このように厳しい言葉で迫ります。そして、ステファノは殉教をするのです。

 私は正直、ユダヤ教の指導者たちに同情しています。何もそこまでいわなくてもいいのではないと思うからです。でも、それはステファノの真意を知らないからだと思います。ステファノの厳しい言葉の中にはユダヤ教の指導者たちに対する深い愛があるからなのだと私は思います。

 私たちは教会で礼拝を守ることができることを感謝しましょう。これは当たり前のことではないのです。いつか、この教会堂も壊れる時がやって来るでしょう。その時には、未来の教会員が教会の維持のために努力してくれることを信じています。今あることに感謝しましょう。そして、輪島教会のために、また、今回の能登半島地震のために、多くの方々やいろいろな物が被害を受けました。そのために祈りましょう。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。このように教会に集まり、礼拝を守ることができる、このことに深く感謝します。教会堂があることにも感謝です。能登半島地震で大きな被害を受けた輪島教会のために教会員のために、また多くの被災された方々のために、祈ります。多くの悲しみを失望感にあると思います。あなたからの大いなる癒しと守りが豊かにありますように、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

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