4月13日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会     民数記14:26~45「40年間の意味」    2022.4.13

 エジプトを出たイスラエルの人々は、神に導かれて、約束の地を目の前にするまでやってきました。ここで、12人の代表者を選び、約束の地を偵察することにしました。約40日間、かかって偵察してきました。12人はモーセやイスラエルの人々に偵察の報告をするのです。約束の地はとても良い土地で乳と蜜の流れる地であると表現しています。しかし、そこに住んでいる先住民は巨人で、強く、自分たちは決して勝つことができない、だから約束の地に入って行くべきではないというのです。12人の中で、カレブとヨシュアは、神の導きがあれば勝つことができるはずだから、入るべきだと主張しました。その2人の意見は聞き入れてもらえず、石で打ち殺せとまで、なってしまう状況でした。

 イスラエルの人々の拒否に、神は激しく怒り、彼らを疫病で打つとまでいうのです。それに対して、モーセは神にイスラエルの人々の罪に対するとりなしの祈りをするのです。「あなたは、忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方です。どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、またエジプトからここに至るまで、この人々を赦してこられたように、この人々の罪を赦してください」と。すると神は、モーセの祈りを聞き、人々を疫病で打つことはやめました。しかし、神がエジプトと荒れ野で何度も行ったしるしを見ながら、神の言葉に聞き従わなかった者は誰1人、約束の地に入ることはできないといわれます。

 そして、約束の地に向かって行くのではなく、行く先にはアマレク人とカナン人が住んでいるからといって、反対方向に行くように命じます。引き返すようにいっています。今日の聖書の箇所ですが、神はモーセにいいます。「この悪い共同体は、いつまで、わたしに対して不平をいうのか、わたしはイスラエルの人々がわたしに対していう不平を十分に聞いた。お前たちは死体となってこの荒れ野で倒れるであろう。20歳以上の者は、わたしが手をあげて誓い、住まわせると言った土地に入ることはできない。お前たちは背信の罪を負う。あの土地を偵察した40日という日数に応じて、40年間、罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるかを知るであろう」と。

 土地を偵察した者、その土地について悪い情報を流し、人々全体が神に向かって不平をいうようにした者は、神のみ前で、疫病にかかって死んでしまいました。約束の地に行くべきだといったカレブとヨシュアは助かったのです。神の意志を知ったイスラエルの人々は、深く嘆き、翌朝、早く起き、山の頂を目指して上って行こうとしました。人々は「神が約束された所に上って行こう。私たちは誤っていた」といって、モーセの静止にも聞かず、行ってしまうのです。行った人々は、アマレク人とカナン人によって打たれてしまいました。

 イスラエルの人々は、神の導きによって、行くべき先である約束の地を目の前にする所までやって来ました。まっすぐに行けば、目的は完成するのです。それが、目の前の現実を見て、入るべきではないと判断し、神の命令に反抗することになりました。エジプトから荒れ野の道を歩んで来て、様々な困難がありましたが、その度に、神の強い力によって、克服し、進んで来たのです。さあ、やっと目的地だと思ったはずが、神の道へとはまったく反対の道を選んでしまいました。この人々の判断が、40年間の荒れ野の旅を行くことになっていくことになりました。40年間という年数、それは、世代交代を意味します。反対した人々は、この40年間で、荒れ野で死ぬことになります。神の裁きです。この40年間をどのように考えればいいのでしょうか。もちろん、神の裁きということができます。

 神は愛に満ち、人々の罪と背きを赦されるお方です。また、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われる方であるともいわれています。そうであるのに、本人たちは罰するが、その子どもたちは赦し、約束の地に導くというのです。また、入ることを拒否した人々は、40年間の時間を与えられるのです。偵察に行った10人は、すぐに疫病で死んでしまうのです。

 民数記は、2回に渡る人口調査が行われています。最初のイスラエルの人々の20歳以上の男子の総数は603550人でした。(民数記1:46)そして、40年後の人口調査の数は601730人(民数記26:51)です。比較してみますと1820人少ないことが分かります。大きな視点にみれば、大きな変化はないということができます。また、40年間の歩みを振り返ると、神が、イスラエルの人々を守り導いてくださったことが分かります。

申命記8:2~4

あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。

 モーセが再び、約束の地を目の前にして、この40年の荒れ野の旅を振り返っています。マナによって食べることができた。自分たちの着る着物も古びることがなく、足がはれることもなかったと。この荒れ野の40年間、イスラエルの人々の罪がたくさんありました。神の裁きもありました。しかし、神は、イスラエルの人々を守り、導いてくださったのです。イスラエルの人々の歩みと神の導きを見ることによって、私たちの歩みと神の導きも知ることができます。神は、私たちと共に歩んでくださるのです。約束の地である神の御国を目指して、私たちは信仰の道を歩むのです。

祈り 神よ。祈りと御言葉を学ぶことができましたことを感謝します。私たちは今、受難週を歩んでいます。イエス・キリストの苦しみ、十字架の死です。神が、私たちのためにしてくださること、しっかりと受け止めることができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                            」アーメン。

一緒に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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