祈祷会 サムエル記上20:24~42「ダビデとヨナタンの別れ」 2025.9.24
サムエル記は、イスラエルで最初の王が誕生することが書かれてあります。イスラエル王国の誕生でもあります。最初の王としてサウルが選ばれていきました。サウルを王として選ばれたのが神ご自身でした。そのサウル王ですが、最初は謙遜であり、神を信じて仕えていましたが、途中から自分の思いが強くなり、神に逆らうようになりました。神はサウルを王として選んだことを悲しみ、新しい王を選ぶことを決断していきます。選ばれたのがダビデでした。それでもイスラエルの王はサウルのままでした。神からの祝福をなくしたサウルは心の病で苦しむことになります。ダビデは竪琴の名手として、音楽療法を通して、サウルの病を癒すことをしていきます。また、ペリシテ人との戦いで、巨人ゴリアトを倒し、一躍、イスラエルの英雄となっていきます。その後、ダビデは多くの戦いに出て行って、必ず勝利して帰って来ます。その様子にイスラエルの女性たちは「サウルは千を討ち、ダビデは万と討った」と歌い交わします。そのことがサウルを怒らせ、ダビデを殺すということになっていきます。
サウルの息子ヨナタンはダビデと深い友情を築いていきます。ヨナタンはサウルの次の王となるべく人でした。それにも関わらずダビデに対して深い友情を持っていくのです。ダビデは二度ほど、サウルから槍を投げられて逃げていました。ダビデはヨナタンを通して、サウルが自分に対する殺害意欲を確認するために1つの作戦を立てます。それは新月祭の時に、王の食事に加わらないということです。新月祭の食事の時に、ダビデの不在に気づいたサウルの反応をみようとするです。ヨナタンとダビデの関係を知っているサウルは必ず、ヨナタンにダビデの不在を聞くはずでした。その時に、ダビデはヨナタンに、自分の町ベツレヘムに帰って一族の年ごとのいけにえをささげることになっているので、許可してくださいというものでした。その時のサウルの反応で、自分に対する思いが分かってくる。ヨナタンは自分が矢を放つことによってその意味を伝えるといいました。
そして、今日の聖書の箇所です。新月祭が来ました。サウルは食卓を囲んでいました。ヨナタンはサウル王の向かいに席を取りました。ダビデは不在でした。その日、サウルはダビデの不在をヨナタンに問いませんでした。ダビデに何かあって身が汚れているのだろう、清めが済んでいないのだろうと考えたとあります。だが翌日、ダビデの不在だったので、サウルはヨナタンに「なぜ、エッサイの子は昨日も今日も食事に来ないのか」と問います。ヨナタンは、ダビデと約束した通りに「ベツレヘムに帰らせてほしい。一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています」といったので許可したと答えます。
サウルはヨナタンに激怒して「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。エッサイの息子が生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死ななければならない」といいます。ヨナタンは言い返して、「なぜ、彼が死ななければならないのですか。何をしたのですか」といいます。サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけました。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、怒って食事の席を立ちました。父がダビデのことをののしったので、ダビデのために心を痛めるのです。
翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出ました。「矢を射るから走って行って見つけ出して来い」といいつけると、従者は駆け出しました。ヨナタンは彼を越えるように矢を射ったのです。ヨナタンの射た矢の辺りに少年が着くと、ヨナタンは後ろから「矢はお前のもっと先ではないか」とよばわったのです。更に「早くしろ、急げ、立ち止まるな」と声をかけます。従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻って来ました。従者は何も知りませんでしたが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていました。ヨナタンは武器を従者に渡すと、「町に帰ってくれ」といいました。従者は町に帰って行きます。
「矢はお前のもっと先だ」との声は、サウルはダビデの命を狙っているというサインでした。ダビデは南側から出て来て、地にひれ伏して、3度礼をしました。彼らは互いに口づけし、共に泣きます。ダビデはいっそう泣きます。ヨナタンは「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、主の御名によって誓い合ったのだから」といいます。そして、ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻って行きます。これが、ダビデとヨナタンの最後の別れということになります。ダビデはこれから逃亡生活に入って行きます。サウルの手から逃げていくのです。ヨナタンは父のもとに帰っていきます。サムエル記上31章で、イスラエルはペリシテ人との戦いで負けていきます。傷ついた兵士はギルボア山上で倒れています。ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタンは討たれます。ヨナタンはここで戦死します。まもなくサウルも自害します。サウルとヨナタンの死を知ったダビデは哀悼の歌「弓」を歌っています。「あなたを思ってわたしは悲しむ、兄弟ヨナタンよ、まことの喜び、女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を」(サムエル記下1:26)とダビデはヨナタンのことをこのように歌っています。
ダビデとヨナタンの深い友情物語、旧約聖書は人と人との戦い、憎しみなどを書いていますが、このような友情物語も描いています。ダビデが弓の歌で、ヨナタンのことを「まことのよろこび、女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を」と歌っていますが、どのような思いだったのでしょうか。私たちは、このダビデとヨナタンの友情をどのように受け取ればいいのでしょうか。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サウルに対してのダビデとヨナタンの友情、このような形での友情というのがあるのだと知りました。聖書は、このダビデとヨナタンの友情物語から、私たちに何を問いかけようとしているのでしょうか。ダビデは何と大切にし、ヨナタンは何を大切にしていこうとしていたのでしょうか。少しでも2人の思いを知ることができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


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