12月24日の聖夜礼拝の内容です。

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12月24日の聖夜礼拝の内容です。讃美歌は、252.259.260.261.264.26です。

聖夜礼拝説教   ルカ2:8~14「羊飼いたちのクリスマス」  2025.12.24

 最初に1つの詩を紹介したいと思います。栗原貞子作「生ましめんがな」です。どうぞお聞きください。

こわれたビルディングの地下室の夜だった。原子爆弾の負傷者たちは、ローソク一本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。生ぐさい血の匂い、死臭。汗くさい人いきれ、うめきごえ、その中から不思議な声が聞こえて来た。「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で、今、若い女が産気づいているのだ。マッチ一本ないくらがりで、どうしたらいいのだろう。人々は自分の痛みを忘れて気づかったと、「私が産婆です、私が生ませましょう」

と言ったのは、さっきまでうめいていた重傷者だ。かくて暗がりの地獄の底で、新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は、血まみれのまま死んだ。生ましめんかな、生ましめんかな、己が命捨つとも

 この詩は、原爆詩人、栗原貞子さんの代表作の一つです。これは、栗原さんが、広島で被爆したときに経験した実話を元にして作られた作品だそうです。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、詩人・栗原貞子氏の代表作「生ましめんかな」に登場する助産師のモデルとなった三好ウメヨさんの遺影を登録しました。被爆直後に三好さんに取り上げられた赤ちゃんだった女性と、その母親による手記も登録し、公開しています。同館によると、三好さんは1945年8月6日、爆心地から約1.3キロで被爆。背中や腕に大やけどを負い、広島貯金局の地下に避難していました。8日の夜中ごろ、同じく被爆して貯金局に避難していた妊婦が産気づいたことに気づいた三好さんは、高熱でほとんど意識のない中で赤ちゃんを取り上げたという。その出来事が栗原氏貞子さんに伝わり、「生ましめんかな」という詩が誕生したのです。

 今年は、戦後80年を迎えました。私を含めて多くの者が戦争を経験していません。このような詩を読みますと、戦争の悲惨さを感じます。広島に原爆が落ちて、多くの人々が亡くなる中で、赤ちゃんが生まれる。そこには新しい希望があるように感じるのです。今日はクリスマスイブです。神の子であるイエス・キリストの誕生の時です。思えば、イエス様の両親となるヨセフとマリアは、厳しい条件の中にあって、イエス様の誕生の時を迎えています。ルカによる福音書の2章の最初を読みますと、当時のローマ皇帝の命令によって、帝国内に住んでいるすべての住民に登録をするように命令が出ています。住民登録の目的は、確実に税金を取るためです。帝国内に住んでいる住民のためではなくて、ローマ帝国自身の利益のための命令です。住民たちは税金を取られるために、わざわざ、生まれ故郷にまで行かなければならなかったのです。

 それもマリアは身重でした。ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムの旅です。他の人々よりもゆっくりとした旅だったと思います。身重のマリアを気遣いながらの旅だったからです。やっと目的地であるユダヤのベツレヘムまでやって来ました。ヨセフとマリアが泊まる宿屋はなかったのです。身重のマリアは心細かったと思います。ヨセフもマリアに心配は見せまいとして強気で旅をしていたのかもしれません。落ち着いた場所は家畜小屋でした。住民登録がなければ、故郷のナザレで安心して産むことができたのでしょう。それが、ローマ帝国の皇帝の命令で、旅をしなければなりませんでした。

 イエス様の誕生のことを聞いた人々がいました。今日の聖書の箇所である羊飼いたちです。この時に、羊飼いたちは野宿をしながら、夜通し羊の番をしていました。この日だけではなく、日常的にこのような厳しい毎日を送っていたのです。イスラエルの人々は、自分たちのことを神の民と信じていました。いろいろな民族がある中で、自分たちは神から選ばれた特別な存在であると信じていました。そのイスラエルの人々の中で、ここに出て来る羊飼いたちは、その選民の外にありました。仕事柄、安息日を守ることができないのです。安息日に行動できる距離というのがありました。でも、羊飼いたちは、羊の行動を中心に考えて動いているので、その移動距離を守ることができないのです。また、厳しい労働環境で、汚い汚れた姿で、嫌われていました。羊を世話するために、ずっと働き続けているのです。

 でも、そのような神の救いの外にあると考えられていた羊飼いたちに、初めてのクリスマスの招きが、ここで語られているのです。野宿をしながら、夜通し羊たちの番をしていた羊飼いたちに、主の天使が近づいて、主の栄光が周りを照らすのです。天使は告げます。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げます。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と。突然、この天使に、天の大軍が加わり、神を賛美して、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」というのです。今から2000年前のクリスマスの出来事、ヨセフとマリアの置かれた状況、ローマ帝国の支配下の中にあって、ローマ皇帝の出した住民登録のために、マリアは身重でありながら、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで移動しなければならなかった。更に、ベツレヘムに着いても、2人には泊まる宿屋さえなかった。やっと見い出した場所は、家畜小屋でした。汚い汚れた場所だったのです。その家畜小屋で、マリアはイエス様を産むことになりました。厳しい環境でしたが、イエス様はお生まれになったのです。赤ちゃんが生まれた鳴き声が響いたでしょう。その鳴き声は、新しい命が生まれた喜びの叫びとなったのです。神の子の誕生という喜びの声が響いたのです。

 原爆が投下されて、多くの人々が亡くなり、厳しい環境の中にあった時でも、新しい命が誕生したのです。新しい命の誕生は、希望の光となったのです。今でも、この世界で新しい命の誕生があります。紛争地であっても新しい命の誕生はあります。イエス・キリストの誕生を意味することは、それは十字架です。十字架の死ということです。神の子が、この世に生まれて来てくださったクリスマス、それは、十字架を現わしています。すべての人々の罪を負ってくださるために、イエス様はこの世に生まれて来てくださったのです。そして、イエス様の誕生、それはその十字架によってすべての人々の罪の赦しが完成することを伝えています。羊飼いたちが、このクリスマスの時に、最初に呼ばれた人々であったこと、それは、どんな人々でも神の救いの中にあることを語っています。私たちが住んでいる世界、罪の世界、闇の世界です。死と滅びの世界です。しかし、確かに神の子が、この私たちの世界に生まれて来てくださったのです。ここにのみ私たちの希望があります。クリスマスの出来事を心から喜んでいきましょう。

祈り 神よ、あなたの御子イエス・キリストの誕生日をこのように祝うことができましたことを心から感謝します。この闇の世界に、神からの確かな光が注がれました。クリスマスの光です。イエス様の誕生の喜び、多くの人々と共にクリスマスを祝うことができますように導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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