祈祷会 民数記20章「40年目の出発」 2022.6.8
エジプトを出たイスラエルの人々、シナイの荒れ野で、神と契約を結び、神の民とされました。神の民としての歩みが始まりました。約束の地カナンを目指す旅でした。その約束の地を目の前にして、入ることを拒否したことによって、40年間の放浪をすることになりました。そして、40年後の新しい旅が、始まって行くのが20章からです。40年の放浪の時が流れたことによって、約束の地を入ることを拒否した人々は、荒れ野で、すべて死んでしまったと思います。世代交代が起り、新しい世代が、約束の地を目指すことになりました。それでも、変ることなく多くの罪を犯していくのです。
・20:1、ミリアムの死
ここでは、モーセの姉であるミリアムが亡くなります。ミリアムの歩みを見ていくと、モーセの誕生の時に危機から救いました。(出エジプト2:1~10)葦の海の奇跡が起こり、エジプト軍が全滅した時に、タンバリンを持って踊り、讃美しました。(出エジプト15:20~21)モーセにつぶやいて罪を犯し、神の裁きとして重い皮膚病になりました。(民数記12:10)いろいろなことがありましたが、その地上の歩みを閉じたのでした。
・20:2~13、モーセとアロンの罪(メリバの水)
エジプトを出てから、第40年の1月のこと、イスラエルの人々は、ツィンの荒れ野に入りました。そこには、イスラエルの人々が飲む水がなかったのです。人々はモーセに「どうして、このような場所に我々を引き入れたのですか。ここで我々と家畜を死なせるためですか。ここには何もありません。飲む水さえないのです。」と不満をいいました。主はモーセに「あなたはアロンと共に人々を集め、目の前で岩に向って、水を出せといいなさい。その岩から水を出し、人々と家畜に水を飲ませなさい。」といわれました。モーセはアロンと共に、人々を集め「反逆する者らよ、聞け、この岩からあなたたちのために水を出さなければならないのか」といい、モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと水がほとばしり出たので、人々も家畜も水を飲むことができました。
主は、モーセとアロンに向って「あなたたちはわたしを信じることをせず、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえにあなたたちは約束の地に入ることはできない」といわれたのです。
・20:14~21、エドム王との交渉
モーセはエドムを通過することで、エドム王と交渉します。「今、私たちはあなたの国境に近い町にいます。どうか、あなたの領土を通過させてください。畑やぶどう畑の中を通ったり、井戸の水を飲んだりしません。」と。エドム人はモーセに答えて「わたしの領内を通ってはならない。もし、通るようなことがあれば、剣を持ってお前を迎え撃つ」といいました。イスラエルの人々は「徒歩で通過するだけです。取るに足らないことです。通過させてください。」といいますが、エドム人は「通過してはならない」といい、強力な軍隊を率いて迎え撃とうとしましたので、イスラエルの人々は迂回をすることになりました。
・20:22~29、アロンの死
イスラエルの人々はホル山に着きました。ここで主はモーセとアロンに「アロンはここで死ぬ。約束の地にアロンは入ることができない。あなたたちがメリバの水のことで、わたしの命令に逆らったからだ。アロンとその子エルアザル連れて、ホル山に登り、アロンの大祭司の衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる」といいました。モーセは主がいわれるようにしました。ホル山に登り、モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せます。アロンはその山で死にました。モーセとエルアザルが山から下ると、人々はアロンが死んだことを知り、30日間、アロンを悼んで泣きました。
今日の民数記20章では、モーセの姉ミリアムと兄アロンの死が書かれてあります。また、モーセが約束の地に入ることができないことが書かれてあります。モーセやアロンが約束の地に入ることができない理由は、イスラエルの人々が水を飲むことができない状態で、主が示されたことをそのまま信じることができなかったからだといわれています。人々が見ている前で、岩を杖で打つのですが、二度打ってしまったからです。一度だったら、約束の地に入ることができたのでしょうか。
民数記12:7~8「彼はわたしの家のすべてに信頼されている。口から口へ、わたしは彼と語り合う。あらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。」と、ミリアムとアロンがモーセに対してねたみをいったときに、主はモーセにこのように語ったのですが、ゆるすことができなかったのでしょうか。どのように考えればいいのでしょう。年齢的なこと、役割を終えたこと、モーセを英雄化しないということなのでしょうか。モーセの役割とは何かを考える機会となります。
祈り 主よ。祈る時と聖書の学びの時をありがとうございました。あなたの御心がどこにあるのか、私たちはいつも問うています。あなたの御心をすべて知ることができないのでしょう。主に対する信仰心を持ち、人生の中でいろいろな課題があり、その中で、主への信頼を深めていくことができるように守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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