6月7日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記21章「神の教え、いろいろ」      2023.6.7

 神は、イスラエルの人々を神の民としてくださいました。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅を経て、今や約束の地を目の前にする所までやって来ました。そこで、モーセはイスラエルの人々に神の民として生きることの意味をいっています。それが申命記の内容になっています。神の民として生きるということは、神の教えを守って生きていくことです。神の教えとは、神を愛することと隣人を愛することです。ここでは、その具体的な神の民として生活のことがいわれています。

・21:1~9、野で殺された人

 イスラエルの人々が約束の土地に入って生活していきます。そこで、ある人が殺されて野に倒れている人が発見されました。その犯人がだれか分かりません。そのような時には、死体に最も近い町の長老たちは、労役に使われたことのない雌牛、軛を負わされたことのない若い雌牛を選び、水の尽きることのない川の、耕したことも種も蒔いたこともない岸辺に連れて行き、その川で雌牛の首を折るのです。それから町の長老たちは皆、川で首を折られた雌牛の上で手を洗い、「我々の手はこの流血事件と関りがなく、目は何も見ていません。主よ、イスラエルの罪を贖い、イスラエルのうちに罪なき者の血を流した罪をとどめないでください」と証言していくことになるということです。こうして、血を流した罪が贖われるということです。

・21:10~14、捕虜の女性との結婚

 イスラエルの人々はいろいろな民と戦争することになっていきます。敵に向かって出陣し、戦いに勝利し、捕虜を捕らえた時、その中に美しい女性がいて、心引かれ、妻にしようとする時には、自分の家に連れて行きます。彼女は、髪を下ろし、つめを切り、捕虜の衣服を脱いで、その人の家に住み、自分の両親のために1ヶ月嘆くことになります。その後で、あなたは彼女のところに入って、その夫になり、彼女はあなたの妻になります。もし、あなたが彼女を気に入らなくなったならば、彼女の意のままに去らせることの大切をいっています。決して金で売ってはならないのです。すでに彼女を辱めたので、奴隷のように扱ってはならないのです。

・21:15~17、長子権について

 ある人に2人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられています。2人の妻がそれぞれ子どもを産みました。疎んじられた妻の子が長子であるならば、必ず長子として扱うことになります。長子は、自分の財産の2倍の分け前を与えることになります。ここでは、ヤコブとその妻たちのことが背景になっていると考えられます。ヤコブの妻たちは、姉妹でした。姉レアと妹ラケルでした。ヤコブは妹ラケルを愛し、姉レアを愛さなかったのです。それは、姉妹の父ラバンが無理やりに、ヤコブに姉妹たちを妻にするようにと求めたからでした。(この申命記に書かれてあることが実行されることを期待します。)

・21:18~21、反抗する息子

 ある人にわがままで、反抗する息子があり、両親のいうことも聞かず、戒めても聞き従わないならば、両親は息子を取り押さえ、町の長老のもとに突き出して、長老たちに「私たちのこの息子はわがままで、反抗し、私たちのいうことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです。」といいなさいとなっています。町の住民は皆で石を持って投げつけ、息子を殺すとなっています。イスラエルの人々の当時の生活といいますか、このようにしなければならないということは、なかなか理解することが困難なことだと私には思います。でも、いつの時代でも、家庭の問題は複雑で難しいものです。

・21:22、木にかけられた死体

 ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、人々がその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに木から下ろして土に埋めなければならないのです。木にかけられた者は、神に呪われた者だからです。イエス様は十字架につけられたました。午後3時には死なれ、十字架から下ろされて、アリマタヤのヨセフの墓に葬られたのです。十字架にかけられたイエス様は、神に呪われた者となってくださいました。

 旧約聖書の時代のイスラエルの人々の生活、そして現在の私たちの生活、いろいろな違いはありますが、そこで、生きるために必要な知恵がここでは示されています。特に、反抗する息子のことでは、時代的なことにおいての違いがあると思います。この反抗する息子の家族関係はどうだったのか。どうして、息子は反抗的になってしまったのか。親としての責任はどうなっているのかということも問われると思います。一方的に息子を殺してしまうとはどうかと思います。いろいろな家族関係があります。時代と共に家族関係も変っていきます。その中で、家族の問題をどのように信仰的に考えていけばいいのか、それぞれの課題として考えていきたいと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。当時のイスラエルの人々の生活の中で、神の教えが示されています。今を生きる私たち、いろいろな課題を持ちながら歩んでいます。この聖書の学びを通して、少しでもよりよい選択をしていくことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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