祈祷会 申命記1:1~25「荒れ野の旅の意味するもの」 2022.11.16
祈祷会は、創世記、出エジプト記、レビ記、そして、民数記と読み続けてきました。今日からは、申命記を読んでいきます。イスラエルの人々の歩みは、創世記12章のアブラハムから始まりました。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そしてモーセと続いていきます。カルデアのウルから出発して、約束の地カナンに行き、世界的な大飢饉のために、ヨセフの時代に、エジプトに行きました。エジプトでは長い間、奴隷として苦しい日々を過ごしていました。モーセによって、エジプトを出て、約束の地カナンを目指していきます。エジプトを出たイスラエルの人々は、シナイ山において神と契約を結びました。神はイスラエルの人々に、律法を与え、幕屋と祭司を備えました。神の民としての歩みが求められていきます。しかし、実際には多くの罪を犯し、神の裁きにあい、それでも神の憐れみの中で、人々の歩みは続いていくのです。イスラエルの人々は、荒れ野を40年間過ごすことになりました。そして、今や、約束の地を目の前にする所までやってきたのです。
約束の地を目の前にする所に、イスラエルの人々はいます。40年前に、人々は約束の地を目の前にする所までやってきました。その時に、約束の地を入ることを拒否した人々に対して、神は怒り、40年という日々を与えました。新しい世代になって、イスラエルの人々は、神の民として、約束の地に入ろうとしています。指導者モーセは、約束の地を目にすることはできましたが、入ることは許されませんでした。そのモーセが、約束の地を目の前にする場所で、神の与えてくださった律法のことを、もう一度、人々に語るのです。それが申命記の内容です。考えてみれば、イスラエルの人々の対するモーセの告別説教ということになります。
・1:1~5、はじめに
イスラエルの人々は、約束の地を目の前にするヨルダン川の東側のモアブの地方までやってきました。そこで、モーセは、イスラエルの人々のすべてに、これから語る申命記の内容を語っていくのです。律法の解き明かしになります。
・1:6~8、主の命令と約束
神はイスラエルの人々に命じます。「あなたたちは約束の土地に向かって行きなさい。見なさい。わたしはあなたたちにこの土地を与える。あなたがたは行って、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、彼らとその子孫に与えると誓われた土地を取りなさい」と。
・1:9~18、役職者の任命
モーセは最初に、すべて1人で、すべてのことを決めていました。しかし、イスラエルの人々の人数が多くなってきて、負担が増えて困るようになっていったのです。出エジプト記18:13~26のところで、モーセのしゅうとでミディアンの祭司であるエトロがモーセのところにやって来ます。モーセの困っている場面を見て、助言しています。それは、人々の中から神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、50人隊長、10人隊長を選び、平素は彼らに民を裁くようにしなさい。大きな事件があった時は、あなたが裁きなさいというものでした。それを、ここでもう一度、いっている場面です。ここでは、モーセ自身がいったようになっています。わたしは、1人であなたがたの重荷を負うことはできない。神が、私たちを祝福され、人数を増やされたので、そうなったのです。私1人では、十分な働きをすることができません。それで、あなたがたの中で、賢明で思慮深く、経験に富む人々を選び出すようにといっています。新しく裁判人になった人は、人々の中に立って、言い分をよく聞き、正しく裁きなさい。裁判に当たって、偏り見ることがなく、自分の上下を問わず、等しく事情を聞きなさい。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属することになります。
・1:19~25、偵察隊の報告と民の不信
イスラエルの人々が約束の地を目に前にするカデシュ・バルネアまでやって来ました。モーセが「あなたがたは今や、神が与えてくださる土地の近くまでやって来ました。神はあなたたちに、この土地を与えてくださった。神がいわれたとおり、上って行って取りなさい。恐れてはいけません。おののいてはいけません」といいますと、人々は「まず人を派遣して、その土地を探らせ、私たちがどの道を上り、どの町に行くべきか調べましょう」といいました。モーセにとって、それは名案だと思われたので、12人を選び、偵察に行き、その土地の果実を取って持ち帰り、神が与えてくださった土地はよい土地ですとなっています。
民数記13:1~3
主はモーセに言われた。「人を遣わして、わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。父祖以来の部族ごとに一人ずつ、それぞれ、指導者を遣わさねばならない。」モーセは主の命令に従い、パランの荒れ野から彼らを遣わした。彼らは皆、イスラエルの人々の長である人々であった。
カデシュ・バルネアで、12人の偵察隊を送ることですが、民数記では、神が決めて、指示しています。しかし、申命記では、人々の方から提案があったことをいっています。私の思いでは、人々の方から提案があったと思います。その後の否定があるからです。物事を進めて行く時に、できるだけ多くの情報があった方がいいと思います。しかし、時には、それがマイナスになることもあるのでしょう。ここでは、そうなってしまうのです。偵察に行かず、約束の地に入って行けば状況も変っていたかもしれません。荒れ野で40年を過すこともなかったかもしれません。本当のところは分かりません。
祈り 神よ。申命記の学びを始めました。この学びを豊かなものとなりますように、人生のいろいろな変化の時に、何を大切にしていけばいいのか、どうぞ、あなたのみ言葉から、そのヒントを持つことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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