11月20日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、194(1)386(1)394(1)27です。本日は謝恩日(収穫感謝日)の礼拝です。

礼拝説教       マタイ27:11~14「ユダヤ人の王イエス」   2022.11.20

 新しい1週間が始まりました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることを、心から神に感謝したいと思います。神の言葉を受けて、よりよい1週間の歩みをしていきたいと願います。今日の教会暦は、謝恩日(収穫感謝日)です。私たちの教会暦では、この日が最後となります。1年間の神の守りと導きに感謝する時です。振り返れば、新型コロナウィルスの感染の悪化、教会堂の増改築の工事もありました。7月24日には、献堂式を無事に行うことができました。様々な困難もありましたが、この日を迎えることができましたことは、本当に大きな喜びでした。神と関係者の方々、教会の皆様に、心から感謝申し上げます。

 礼拝では、マタイによる福音書を読んでいます。まもなく読み終えようとしています。イエス様の十字架の時が近づいています。今日の聖書の箇所は、ローマ総督のピラトの前に立たされたイエス様です。ピラトから尋問を受けられています。イエス様は、敵対する祭司長たちや民の長老たちに逮捕されてしまいました。そして、大祭司の屋敷に連れて行かれて、裁判を受けるのです。イエス様は大祭司の問い

である「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」に、「わたしは神の子、メシアである」と答えています。それで、神を冒瀆した罪が確定し、死刑が決まりました。しかし、当時とすれば、ユダヤ人自身が死刑をする権利を持っていなかったといわれています。つまり、ローマ帝国の支配下にありましたので、ローマ当局の許可が必要だったのです。それで、ローマ総督ピラトの所に、イエス様が連れて行って、死刑になるべき裁判を受けることになったのです。

 ただ、ローマ当局は、死刑の判断について、宗教的なことでは受け付けていませんでした。あくまでも政治的な判断が必要だったのです。神のみ名を汚したことはユダヤ人にとっては大きな問題ですが、ローマ当局にしてみれば、判断の対象外にされてしまうことになっていました。ローマ当局自身がそのように対応していたからです。祭司長たちがイエス様の十字架刑をピラトから承諾してもらうためには、別の罪状が必要でした。それも社会的政治的なものでした。一番分かりやすい内容は、暴動の罪を犯したことです。祭司長たちは、そのようにピラトに報告します。祭司長たちは、夜が明けるとイエス様を殺そうと相談しています。そして、イエス様を縛って引いて行き、総督ピラトの下に行き、引き渡します。

 さて、イエス様はローマ総督ピラトの前に立たされました。ピラトはイエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問します。イエス様は「それは、あなたが言っていることです」といわれました。ここで、イエス様は「ユダヤ人の王」として、訴えられています。イスラエルは、ローマ帝国の支配下にありましたから、イエス様がユダヤ人の王として、ローマ帝国に対して暴動を起そうとしたということです。

 少し、ここから離れて、「ユダヤ人の王」について考えてみたいと思います。ユダヤ人の王として、一番にふさわしい方はいったい誰でしょうか。それは、イスラエルの三代目の王であったソロモンだと私は思います。なぜなら、イエス様がマタイ6:29「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。」と、いっているからです。少しソロモンについて触れてみましょう。旧約聖書・列王記上3章に、ソロモンが、イスラエルの王になる時の様子が書かれてあります。神は、ソロモンが王になる時に、何か欲しいものはないかと聞いています。この時にソロモンは、知恵を求めました。自分はイスラエルを治める王にはふさわしくない者である、だから、イスラエルの人々の平和と幸せにために、神からの知恵を求めています。このソロモンの答えに、神は喜び、知恵と富と力と長寿を与えたのです。

 ソロモンの知恵として、二人の遊女の話です。二人の女性が同じ家に住んでいて、それぞれ赤ちゃんがいました。1人の女性が、赤ちゃんと寝ている時に、寝返って赤ちゃんが下敷きになり窒息死してしまいました。それで、その女性は、別の女性の赤ちゃんと取り替えてしまったのです。生きている赤ちゃんはどちらの女性かと争っていて、その問題をソロモンが裁こうとしています。ソロモンは、剣を持ってきて、赤ちゃんを2人で分けよと命じます。すると本物の母親の女性がやめてください。その子を殺さないでください。その子をあの女性に渡してくださいと叫びのです。これで、生きている赤ちゃんの母親は誰かと当てたという話です。イスラエルは、イエス様がいわれるように、ソロモンの時代に、黄金時代を迎えました。ソロモンは、最初、素晴らしい優れた王だったのです。しかし、晩年になると、神への信仰を無くしていき、やがて、イスラエル国家を壊してしまう原因をつくることになります。

 その内容が、列王記下11章に書いてあります。ソロモンは、大きな権力を手にしました。そして、莫大な富も手に入れたのです。人は、権力と富を手に入れると変ってしまうのでしょうか。ソロモンは変ってしまいました。ソロモンは強力な軍事力によって、領土を広げて行きました。そこで、いろいろな支配地から、王女を人質として、妻に迎えるのです。ソロモンの宮殿の王宮には、約千人の女性たちがいたといわれています。その王宮では、妻たちを楽しませるために、毎日宴会が行われていました。その王宮の宴会を支えるために、ソロモンはイスラエル各部族に、負担を求めたのです。それも、自分の部族は除いていました。また、外国から来た多くの王女たちは、それぞれ、自分たちの神々を持っていました。王女たちは、王宮で、自分たちの神々を拝むことの許可をソロモンに求めました。ソロモンは王女たちを喜ばせるために許可してしまいました。エルサレムの中で、偶像礼拝が行われることになってしまいました。ソロモンが死んで、イスラエルの国は南北に分裂してしまったのです。

 話を戻します。「ユダヤ人の王」とは、何かということで、ソロモン王を取り上げました。今度は、イエス様ご自身です。イエス様が「ユダヤ人の王」であることは、どのようなものなのでしょうか。2つの聖書の箇所を読んでみたいと思います。

イザヤ53:7~8

苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか、わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。

フィリピ2:6~8

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 イエス様が「ユダヤ人の王」であることは、神の子でありましたが、私たちと同じ人間となられたのです。罪は犯しませんでしたが、私たちが味わうすべての苦しみや悲しみを味わってくださったのです。そして、最後には、十字架について死んでくださったのです。十字架の死は、この世における最も低い者になってくださったということです。イザヤ書が語るように、イエス様は、ピラトの前で沈黙されていました。自ら進んで十字架についてくださろうとしていたのです。

 祭司長たちや民の長老たちから訴えられている間、これには何も答えていないのです。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」といいました。それでも、どんな訴えにもお答えならなかったので、ピラトは非常に不思議に思っています。この後に、ピラトは、イエス様の十字架刑を決定することになります。イエス様は、十字架の道をまっすぐに向われます。十字架の死が待っています。そうです。私たちのすべての罪を背負ってくださろうとしています。罪の贖いとしてくださったのです。このイエス様の十字架の死によって、私たちのすべての罪が赦されることになるのです。3日目に、イエス様はよみがえられました。私たちもやがて、復活の命を与えられ、天の国に招かれるのです。

祈り 神よ。謝恩日(収穫感謝日)の礼拝を守ることができましたことを、心から感謝します。いろいろな困難なこともありましたが、あなたの守りと導きによって、ここまで歩むことができました。深く感謝します。これからも、あなたの十字架を仰ぎつつ、あなたへの信仰を持って歩むことができますように、守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

コメント