12月14日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記3:1~17「約束の土地を考える」    2022.12.14

 エジプトを出たイスラエルの人々は、約束の地を目指して、荒れ野の旅を続けていました。荒れ野を40年間放浪し、今や、約束の地を目の前にするヨルダン川の東側モアブの平原までやって来ました。目指す約束の地は目の前です。エジプトを出てからの荒れ野の40年間を振り返りながら、モーセは、ここで約束の地に入ろうとするイスラエルの人々に、神の民として歩むことの意味をもう一度語っているのです。モーセは、ここでその波乱に満ちた人生を閉じようとしています。

 荒れ野での40年間の放浪、その時は終りです。新しい出発です。ヨルダン川の東側になりますが、旅を進めて行きますと、エサウの子孫の土地、ロトの子孫であるモアブとアンモン人の土地を通過することになります。そこでは通過するだけで、土地を占領することなどはしないでいました。それらは神が彼らに与えた土地だからです。更に北進していきますと、アモリ人のヘシュボンの王シホンとの戦いがありました。神の導きによって、シホンとの戦いに勝利し、シホンの土地を、自分たちのものにすることができました。更に進んで行くと、バシャンの王オグのとの戦いが待っていました。

・3:1~11、バシャンの王オグとの戦い

 イスラエルの人々は、バシャンに至る道を上って行きますと、バシャンの王オグが全軍を率いて出撃し、迎え撃とうとしました。主はモーセに「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその全軍、その国をあなたに渡した」といわれました。イスラエルの人々は、オグを始め、彼の全軍を滅ぼしたのです。すべての町々を占領し、奪い取りました。町全体、男も女も子どもも滅ぼし尽くしましたが、家畜だけは自分たちのものにしました。

・3:12~17、ヨルダン川東岸地方の割り当て

 アモリ人のヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグとの戦いに勝利したイスラエルの人々は、ヨルダン川の東岸地方を手に入れたことになります。この地方を、ルベン人とガド人に与えることになりました。また、マナセの半部族にも一部を与えています。

 申命記では、このヨルダン川東岸地方を、モーセがルベン人とガド人とマナセの半部族に与えたと書いていますが、この元の事件の民数記32章では、異なっていることが分かります。この時にも触れましたが、モーセが考えていたことですが、神からイスラエルの人々に与えた土地というのは、ヨルダン川の西岸地方と考えられていました。それが、ヨルダン川東岸地方を、イスラエルの人々が占領したために、ルベン族とガド族の人々が、この土地は家畜を育てるのはふさわしい土地なので、自分たちには家畜がたくさんいるので、この土地を自分たちに与えて欲しいと、モーセに訴えて来ているのです。民数記では、ルベン族とガド族の申し出は、神の意志に反するとモーセは考えて、反対しています。40年前に、イスラエルの人々が、約束の土地を前にして、入ることを拒否した事件がありました。そのことで、イスラエルの人々は荒れ野を40年間放浪することになったのです。モーセは彼らに、あの時と同じ過ちをまた犯すのかと問うています。

 約束の地に入ることは、イスラエルの12部族が一緒になって、先住民と戦い、勝利し、その土地を占領して、その土地を12部族で分けるという流れでした。くじ引きで分けることが決まっていたのです。2.5部族の人々が、その土地の征服と占領と土地を分割に入らないということになります。それは許されないことでした。そこで、ルベン族とガド族は、自分たちの土地は、このヨルダン川の東岸地方だが、自分たちは先頭になって、ヨルダン川西岸に入り、戦っていきますと、そして、イスラエルの人々の土地の占領と土地の分割が終るまでは、帰ることはしないと誓っていうのでした。それをモーセや他の部族の人々が受け入れて、ヨルダン川東岸地方をルベン族とガド族の人々とマナセの半部僕の人々が受けることになっていきました。

 約束の地の変更ということになるのでしょう。その変更を民数記と申命記では違う表現で書いていることを見てきました。その小さな違いはありますが、それを大きな視点で考えて、神がイスラエルの人々に与えてくださった土地として考えているのです。このような受け止め方があることを、聖書を丁寧に読んでいくと気づくことができます。イスラエルの人々にとって、神が自分たちに与えてくださった約束の地はとても大切なものなのでしょう。現在、イスラエルという国家がありますが、この土地は、神が自分たちにだけ与えてくださった土地と考えているのでしょう。

 土地というのは、人が住んでいく時にとても大切なことです。自分たちが安心して生きていくことができる場所だからです。その土地を巡って、多くの争いが起っています。現在もその土地を巡る争いが起っています。では、私たちにとって、土地とはどのようなものでしょうか。この地上で生きている時は、土地は大切なものです。しかし、死んでしまえば、その場所にいることはできません。この地上からいなくなってしまうからです。では、私たちにとって約束の地はどのようなものでしょうか。

ヨハネ14:1~3

心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 私たちにとって、約束の地とは、イエス様の再臨の時に与えてくださる天の国ということになります。このイエス様の言葉をしっかりと受け止めて、天の国を目指して歩んでいきたいと思います。

祈り 神よ、祈りと聖書の学びをありがとうございます。私たちは、この地上ではなく、あなたが用意してくださる天の国を待ち望みながら歩んでいくことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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