祈祷会 申命記10章「神の恵みを考える」 2023.3.8
イスラエルの人々は、エジプトで長い間奴隷として苦しい日々を送っていました。そのイスラエルの人々の苦しみを知った神は、モーセを送って、奴隷からの解放、エジプトからの脱出を成功することができました。エジプトを出たイスラエルの人々は、荒れ野の旅をして、約束の地へと進んで行こうとしています。申命記は、イスラエルの人々が、約束の地を目の前にして、モーセが神の民として生きることの意味をいっているものです。
モーセは、イスラエルの人々に、荒れ野の40年の歩みを振り返っています。シナイの荒れ野での出来事です。ここで神は、イスラエルの人々と契約を結ばれます。神はモーセをシナイ山の頂きに呼び、契約を結びます。十戒を授けます。2枚の石の板に、十戒の内容を書いてモーセに授けてくださるのです。この祝福の時に、シナイ山のふもとにいるイスラエルの人々は、モーセが帰って来ないと不安になり、何と、イスラエルの神ではなく、エジプトで拝んでいた金の子牛の像を造ってしまいました。そして、偶像である金の子牛を拝み、踊っていたのです。このイスラエルの人々の罪を知った神は激しく怒り、彼らを滅ぼすといわれたのです。モーセは神からいただいた十戒の書かれた2枚の石の板を持って、山を下ります。山のふもとでは、イスラエルの人々が、金の子牛の像を造って、拝んでいました。それを見たモーセは、激しく怒り、手にしていた2枚の石の板を叩き割ってしまったのです。
それでも、モーセは、再びシナイ山の頂きに登り、神に40日40夜、水も飲まずパンも食べずに祈るのです。それは、イスラエルの人々の罪の赦しでした。そのモーセの祈りを神は聞いてくださったのです。神はその考えを変えられることができるお方です。イスラエルの人々の大きな罪をみて、一度は滅ぼすといっていましたが、モーセの祈りによって、その考えを変えられたのです。こうして、イスラエルの人々の歩みは止まることなく、続けることができていきます。
・10:1~11、再び戒めが授けられる。
神はモーセに「あなたは前と同じように、石を切って、板を2枚造り、山に登って来なさい。また、木の箱も作りなさい。わたしは、あなたが前に砕いた板に書かれていた言葉をその板に書き記す。あなたはそれを箱に納めるがよい」というのです。それを聞いたモーセは、神にいわれた通りに、アカシヤの木で箱を作り、石を切って2枚の板を造り、それを手にして、シナイ山に登ります。神は、十戒を2枚の石の板に書き記してくださったのです。そして、木の箱に板を納めたのです。
これと同時に、神はレビ人を祭司として選んでくださったのです。詳しいことは出エジプト記32章に書かれてありますが、イスラエルの人々が金の子牛の像を拝んでしまった時に、モーセは、イスラエルの人々に、まことの神に従う者は、私のところに来なさいといい、レビ族が集まって来ました。そして、剣を帯び、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せと命じました。レビ族はモーセのいわれたとおりに実行しました。この日3000人が倒れたとされています。そして、モーセはレビ族に「あなたはおのおの自分の子や兄弟に逆らったのだから、今日、主の祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福される」としたのです。イスラエル人々の中で、祭司職が決められたには、そのような悲しい歴史があるのです。このことは忘れてはならないことだと思います。やがて、アロンが死に、その子エルアザルが祭司職に任じられました。
モーセは40日40夜シナイ山に留まり、祈りました。神は、この時にモーセの言葉に耳を傾けて、イスラエルの人々を滅ぼそうとはされませんでした。神はモーセに「立って、イスラエルの人々を先導して進みなさい。彼らはわたしが先祖に与えると誓った土地に入り、それを得ることができる」といわれたのです。
・10:12~22、神が求められること。
モーセは、イスラエルの人々に、神が求めることは何かをいっています。それは、主を畏れて、そのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕え、主が与えてくださる戒めと掟を守って生きることです。そして、人としての幸いを得ることです。この天地のすべては主のものです。主は、心引かれてイスラエルを愛し、多くの民の中から、選んでくださったのです。主は偉大で、勇ましく畏れるべき方で、人を偏り見ず、賄賂を取ることもせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して、食べ物と衣服を与えてくださいます。主は、イスラエルの人々にいいます。あなたたちは寄留者を愛しなさい。なぜなら、イスラエルの人々は、エジプトで寄留者だったからです。主は、イスラエルの人々を導かれて歩まれています。エジプトに行った時には70人に過ぎなかったけれど、エジプトから出る時には、星の数ほど多かったからです。
ここから、導かれることは、聖書の中心的な考えになりますが、神は、イスラエルの人々を導いてくださるということです。どんなに大きな罪を犯しても、神は大きな視点では赦し、イスラエルの人々に注がれている祝福を捨てることはしないのです。弱く罪深いイスラエルの人々を神は愛し、選民としてくだしました。それは、イスラエルの人々の救いは、すべての人々の救いにつながっていくのです。神の救いを、イスラエルの人々の歩みから、私たちは学んでいくのです。
祈り 神よ。祈りと聖書の学びをありがとうございます。あなたがいてくださること、あなたがイスラエルの人々を祝福し、導いてくださることを深く感謝します。イスラエルの人々に注がれる神の愛、私たちすべてに注がれているからです。神の愛を、しっかりと私たち自身が、自分のこととして受け止めることができる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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