5月24日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会       申命記19章「目には目を、歯には歯をから」   2023.5.24

 神は、イスラエルの人々と契約を結んでくださいました。エジプトで長い間、奴隷だったイスラエルの人々を、モーセによって奴隷からの解放、出エジプトを成し遂げてくださいました。エジプトを出たイスラエルの人々は、40年間の荒れ野の旅を経て、今や行くべき約束の土地を目の前にする所までやって来ました。ここで、モーセは、イスラエルの人々に神の民として生きることの意味をいっています。イスラエルの人々が、神の民として生きるということは、神の教えである律法を守って生きていくということです。神の教えとは、神を愛し、隣人を愛していくということです。申命記には、その神の教えが、実際の生活の中で具体的な内容としていわれています。

・19:1~13、逃れの町

 イスラエルの人々が約束の土地に入って生活する時に、ヨルダン川の西側と東側にそれぞれ3つの逃れの町をつくるようにいいます。逃れの町とはどのような内容かといえば、人を殺した者が誰でもそこに逃げることができるようにするというものです。人を殺した場合ですが、それは、意図してでなく、積年の恨みではなく、隣人を殺した場合です。例として、隣人と芝刈りに森の中に入り、木を切ろうとして斧を手にして振り上げた時、柄から斧の頭が抜けて、その隣人に当たり、死なせたような場合です。彼は、逃れの町に逃げると生き延びることができるということです。復讐する者が激昂して人を殺した者を追跡し、道のりが遠すぎるために、追いついて彼を打ち殺すようなことはあってはならないとあります。その人は、積年の恨みによって殺したのではないから、殺される理由はないというのです。

 しかし、もしある者が隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかって打ち殺し、逃れの町に逃げたならば、その犯人は捕らえられ、復讐する者の手に引き渡して、殺さねばならないのです。彼に憐れみをかけてはならないというのです。

・19:14、自境の移動

 約束の土地で、主があなたに与えて得させさせる土地で、受け継ぐ嗣業の土地で、最初の人々が定めたあなたの隣人との自境を動かしてはいけないのです。

・19:15~21、裁判の証人

 神の民であるイスラエルの人々が約束の土地に住むということ、そこでも人間的な犯罪は行われることを前提としています。いろいろな犯罪が起ります。人が犯す罪について、1人の証人によって、立証されることはありません。2人ないし3人の証人の証言によって、その事は立証されることになります。不法な証人が立って、相手の不正の証言をする時には、係争中の両者は、主の前に出て、その時に任に就いている祭司と裁判人の前に出ることになります。裁判人は詳しく調査し、もしその証人が偽証人であり、同胞に対して偽証したということになれば、彼は同胞にたくらんだ事を、彼自身に報いて、イスラエルの人々の中から悪を取り除かれねばならないのです。

 あなたは、偽証人に憐れみをかけてはならないのです。ここで有名な言葉が出ています。「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない」です。刑罰の原点は「目には目、歯時は歯で」です。この言葉が意味するのは「同害報復」です。同害報復というのは、被害に相応した報復または制裁です。罪を犯した者に対して社会は、犯罪者から被った害に対して報復を加えるのです。その時の基本的な考えが行った害と同じ害を与えることです。だから、目には目、歯には歯となるのです。ただ、時代が進むについて、刑罰の考え方も変化があります。それは刑罰に、より積極的に教育的な意味を持たせようというものです。これは犯罪者が服役した後で、社会に戻ることが前提となっています。

例えば、死刑について考えてみれば、目には目、歯には歯という同害報復という考えによれば、当然死刑になるでしょう。日本でも死刑制度があり、実際に死刑が執行されています。しかし、人道的な立場からすれば、たとえ国家といえども、人を殺していいのかということになります。今、世界では死刑を行っている国は少ないと聞きます。死刑制度を、この教育的な視点で考えれば、どうなるのでしょうか。この死刑制度についてはなかなか難しい問題だと思います。

・マタイ5:38~39、イエス・キリストの言葉から

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」

 「目には目、歯には歯」は、今でも、刑法の基本的な考えだと私は思います。それに対して、イエス様の言葉は、「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」といっています。イエス様の教えは、私たちの思いを超えています。今、ウクライナとロシアが戦争をしています。どちらがよくて、どちらが悪いということはできるかもしれません。でも、実際、戦争は目には目に以上のことが行われています。本当に悲しいことです。1日も早く戦争が終ることを祈るのです。ここで、イエス様の言葉が実現するなら、きっとこの戦争も終えることができるのでしょう。でも、人間は弱い者です。それを実現することはとても難しいものです。どうすれば、戦争を終えることができるのでしょうか。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。神の教えは、イスラエルの人々や私たちにとっても、とても大切な内容です。人間は幸せに平和に生きるにはどうすべきかがいわれています。また、イエス様の言葉は、私たちにとってとても大切な教えです。イエス様の教えが、この世界に実現しますようにと祈ります。この祈りを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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