5月31日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        申命記20章「戦争について考える」      2023.5.31

 イスラエルの人々は神の民として歩むようになりました。今は、神が示す約束の地を目の前にする所までやって来ました。ここで、指導者モーセは、イスラエルの人々に約束の地において、神の民として歩むことの意味を語っています。それが申命記の内容になります。神の民として歩むということは、神が与えてくださった神の教えを忠実に守って生きていくということになります。申命記にはその具体的な内容がいわれています。申命記20章では、戦争に関わることがいわれています。当時のイスラエルの人々の置かれた状況は、戦争を避けることができないものだったと思います。戦争をしなければならない状況の中で、神の教えは何かということになります。

・20:1~4、敵に向かって出陣する時に

 イスラエルの人々が敵に向かって出陣する時に、敵の馬や戦車の数が、自分たちより多数の軍勢見ても恐れてはならないとあります。実際に戦争する時に、自分たちの戦力と敵方の戦力を比べて戦うということはとても大切なことだと思いますが、神は、敵の戦力が自分たちの戦力よりも強い場合でも、恐れてはならないといいます。その根拠は、神が共に戦ってくださるからです。神は、イスラエルの人々をエジプトの国から導き上られたからです。神がイスラエルの人々と共に戦ってくださることとして、祭司の役割がとても大切になってきます。実際に、戦いの場に臨んだ場合、祭司は進み出て、イスラエルの人々に次のように告げるようにいいます。「イスラエルよ、聞け。あなたたちは今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。敵の前でうろたえるな。神は共に戦ってくださり、勝利を与えてくださる」と。神が共に戦ってくださるから、強い敵との戦いに出て行くことができ、勝利を確信して戦うことができるのです。

・20:5~9、戦いに出て行ってはいけない者は

 役人たちが、イスラエルの人々に、戦争に行ってはいけない人たちについていっています。戦争に行ってはいけない人たちとは、新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない人、ぶどう畑を作り、まだ最初の収穫をしていない人、婚約しただけで、まだ結婚していない人、恐れて心ひるんで人などです。ここを見ていると、イスラエルの人々に対する配慮なのかなあと思ってしまいました。新しい家を建てた人、結婚したばかりの人などを考えると、ある程度、日常生活を楽しむことをいっているのかなあと思いましたが、次の、恐れて心ひるんでいる人とありますので、これらは、戦い出て行って、戦うことの未練といいますが、そのようなことがあると、周りの兵士たちに悪い影響を及ぼすことを防ぐためなのだと思います。恐れて、心がひるんでいれば、周りの人々へにも悪い影響を与えて、心が挫けてしまうからです。

・20:10~15、ある町を攻撃する場合は

 イスラエルの人々が実際に、ある町を攻撃しようとして、そこに近づく場合、まず降伏を勧告するようにいわれています。もし、その町が降伏を受諾し、城門を開くなら、その全住民を強制労働に服させ、仕えさせねばならないのです。しかし、もし降伏せず、抗戦する時には、町を包囲し、主はその町をイスラエルの人々の手に渡されるから、男子をことごとく剣にかけて打たねばならないとあります。ただし、女、子ども、家畜、町にあるものはすべて分捕り品として奪い取ることができるのです。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してということです。

・20:16~18、主が嗣業として与えられる人々に対しては

 約束の地に住んでいる人々、ヘテ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、1人も生かしてはいけないといわれています。主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならないというのです。それは、彼らがその神々に対して行ってきた、あらゆるいとうべき行為を、イスラエルの人々に教えて、それを行わせて、主に対して罪を犯すことのないためなのです。とても厳しい内容です。

・20:19~20、食用になる木を切ってはならない

 イスラエルの人々が町を攻略しようとして、長期にわたって包囲する時、斧をふるってその町の木を切り尽くしてはならないのです。木の実は食糧になるからです。ただ、食糧にならないことが分かっている木を切り尽くし、切った木を用いて塁を築き、あなたの抗戦する町を攻め落としなさいというのです。

 イスラエルの人々にとって、戦うことが前提になっていました。約束の地に入るということは先住民と戦い追い出すことを意味してているからです。旧約聖書の中で、イスラエルの人々の歴史を見ると戦争の連続です。それがいいとか悪いとかという前に、それが人間の歴史の現実ということを示しているのです。私たちの住む日本も、それの歴史を見れば戦いの連続でした。今から78年前は、大きな戦争をして負けてしまったのです。その後、日本では戦争ということは起っていません。しかし、世界では、戦争が止むことはありませんでした。今は、ウクライナとロシアの戦争が起っています。どうしたら、その戦争を止めることができるのでしょう。

マタイ5:9

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 イエス様の言葉を受けて、戦争を止め、平和を実現するためには何が必要なことか、私たち自身に何ができるかを考えていきたいと思います。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々の戦争について考えをみてきました。人間が生きることは、戦争が起るということでしょうか。どうして、私たちは戦争を起してしまうのでしょうか。戦争を止め、二度と戦争をすることがないように、あなたの知恵と導きをお願いします。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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