祈祷会 申命記34章「モーセの時」 2023.10.4
申命記の学びも最後となります。申命記は、イスラエルの人々がエジプトを出て、荒れ野の旅を経て、約束の地を目指していきます。荒れ野の旅は40年間かかりました。エジプトを出てから40年後に、イスラエルの人々は約束の地を目の前にする所までやって来ました。そこで、モーセはイスラエルの人々に神の民として歩むことの意味を語っているのが、この申命記の内容です。語り終えた後にモーセは、イスラエルの人々を祝福して、いよいよ最後の時を迎えます。神はモーセをネボ山、エリコの向かい側にあるピスガの山頂に登らせます。神はモーセに約束の土地、すべての土地が見渡されるようにされました。そこで、神はモーセに「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」といわれたのです。モーセは、神の命令によってモアブの地で死ぬのです。神はモーセをモアブの地のある谷に葬られます。今日に至るまで、だれもモーセの葬られた場所を知らないとあります。モーセが死んだ時は120才でした。目はかすまず、活力もうせていなかったとあります。
イスラエルの人々はモーセの死のために、モアブの平野で30日間、モーセを悼んで泣き、喪に服したのです。イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかったといっています。神が顔と顔を合わせてモーセを選び出されたのです。神はモーセをエジプトに遣わして、エジプト王とすべてのエジプト人に対して、あらゆるしるしと奇跡を行わせるためでした。出エジプトの出来事です。10の災いや葦の海の奇跡などです。また、モーセがイスラエルのすべての人々に、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためでした。それは、出エジプト記から申命記までの内容です。改めてモーセの最後を振り返ってみたいと思います。モーセは80才から120才までが出エジプトと荒れ野の旅でした。イスラエルの人々にとって、とても大切な時にモーセは働いたのです。エジプトからの解放、神とイスラエルとの契約、荒れ野での試練、イスラエルの人々の多くの罪、様々な困難を経験しました。特に、モーセの悲願がありました。それは、自分自身が約束の地に入るということでした。しかし、それは神によって拒否されたのです。その理由として、メリバの出来事が背景となっています。
民数記20:9~12
モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」
このメリバでのこと、水を出すために、モーセが岩を杖で2回打ってしまったことで、神への不信仰を問われていて、約束の地に入ることはできないとされたのです。でも、モーセは約束の地に入ることを諦めてはいなかったのです。神の大いなる憐れみによって、神が思いを変えてくださることを期待していたのです。
申命記3:23~26
わたしは、そのとき主に祈り求めた。「わが主なる神よ、あなたは僕であるわたしにあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。あなたのように力ある業をなしうる神が、この天と地のどこにありましょうか。どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。」しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。」
しかし、その思いは神に通じることはありませんでした。モーセの必死の願いに、神は冷たく答えています。そして、神の言葉通りになっていくのです。申命記34章で、モーセは、約束の地を、自分の目で見ながら死を迎えるのです。人にはそれぞれ神からある役割を与えられているのです。話は変わるのですが、新約聖書で活躍したパウロという人がいます。パウロには次のような思いがありました。
ローマ15:22~24
こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。
パウロによって3回に渡る伝道旅行がなされました。それは当時の世界の半分を伝道していったことを意味していました。アンテオケ教会を拠点として、世界伝道がなされていたのです。パウロには残っている世界の半分が視野に入っていました。イスパニアへの伝道です。今のスペインにあたります。パウロはローマの信徒への手紙を書きました。その理由は、この残っている世界の半分への伝道です。ローマの教会を拠点として、その世界伝道を展開する計画でした。しかし、パウロの旅は、当時の世界の中心地であるローマに到着して終ります。パウロはその願いを果たすことはできませんでした。しかし、キリスト教の伝道は続いていくのです。モーセが死んでもヨシュアにその働きが継続していくのです。
コヘレトの言葉3:1、何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
このように私たちには時があります。その時は、限られているのです。その時を悔いのないように過ごしていきたいと心から願います。
祈り 神よ。申命記の学びをここまで導いてくださり、ありがとうございます。私たちの時を学びました。その与えられた時を大切にすることができるように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり。ありがとうございます。(横山厚志)
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