9月6日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        申命記32:1~27「モーセの歌」    2023.9.6

 モーセは120年の生涯を終えようとしています。80才になった時に、神によって呼び出され、イスラエルの人々をエジプトから解放し、約束の地まで導いていく大切な役割を与えられて歩んできました。目の前に目的地である約束の地を目の前にしています。まもなく、その目的は果たされるようでした。しかし、神はモーセに約束の地を見ることは許しますが、入ることは許しませんでした。モーセは、その生涯の終わりに、約束の地に入るイスラエルの人々に神からの指示を伝えます。それはモーセの後継者としてヨシュアを選び出すこと、イスラエルの人々に1つの歌を与えることでした。今日の申命記32章が、そのモーセの歌ということになります。ここには神の厳しい言葉と深い愛が示されています。イスラエルの人々は、約束の地に入って、他の神々を求めてしまうこと、その偶像礼拝禁止を破った人々に神からの厳しい裁きがあることを伝えます。その神からの多くの災いと苦難に襲われる時に、この歌は、イスラエルの人々とその子孫が忘れずに唱えることによって、神の愛に気づくことになるというのです。モーセは、イスラエルのすべての人々の前で、この歌を余すことなく語り聞かせるのです。

・32:1~3、天と地が神の証人となること

 モーセは、天と地が神の証人となってもらうことによって、神の御名を讃美しています。

・32:4~6、神の正しさと人々の罪

 神は完全で正しい岩です。真実な神で偽りはありません。正しくてまっすぐな方です。しかし、イスラエルの人々は神を離れてしまい、もはや神の民ではありません。民の愚かさと知恵のなさを悲しんでいます。

・32:7~14、神の恵みを振り返る

 神がイスラエルの人々に与えた恵みを振り返っています。遠い昔の日々を思い起こす時に、神はイスラエルの人々を選び嗣業の土地を与えてくださいました。人々はその数に従い国々の境を設けられました。神は荒れ野で、イスラエルの人々を見い出し、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られたのです。神は豊かな土地を用意してくださったのです。

・32:15~18、神を忘れたイスラエルの人々

 イスラエルの人々は約束の地で肥え太りました。豊かになったのです。しかし、その豊かさの中で、神に背いて、偶像に仕えるようになってしまったのです。神はそのことを非難しています。人々は肥え太ったことで、神を忘れ、自分を生んだ岩を軽んじてしまいました。

・32:19~27、神は自分の顔を隠す

 神は人々に対する怒りと報復を表明しています。神は自分の顔を隠し、火と剣と獣と疫病で人々を滅ぼそうとします。しかし、神は敵が自分の力で勝ったと誇らないように、神は人々を完全に消し去らないといいます。神はイスラエルの人々の罪を見ていきます。神はイスラエルの人々の行く末を見届けようといいます。人々は神ならぬものをもって、神のねたみを引き起こし、むなしいものをもって、神の怒りを燃え立てています。神の怒りは激しく燃えていきます。

 ここまで読んでいくと、神の厳しさだけが出ていて、読んでいくのが苦しくなってしまいます。自分も苦しい状況にあると更に苦しくなってしまいます。この神の裁きの厳しさは、人間の持っている現実の罪の深さと重なっています。人間の罪の現実を見ることは、本当に辛いことだと思います。イスラエルの人々は与えられた神の裁きによって、苦しみます。その苦しみから、人々は自分たちの罪のことに気づくようになっていくといいます。そして、神に帰っていくのです。悔い改めていくのです。本当の神に出会っていくのです。神は宣言します。わたしの他には神はない。わたしこそ神であるといいます。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒す。神の手から逃れることができる者は1人もいないのです。

 神は、イスラエルの人々を苦しめたものを滅ぼしてくださるといいます。そして、イスラエルの人々にもう一度、土地を回復してくださり、与えてくださるといっています。神はイスラエルの人々と共にいてくださいます。どこまでもどこまでも一緒にいてくださるのです。その先にあるのが、イエス・キリストの十字架です。ここにこそ、神の愛が満ち溢れています。そのことに私たちは気づくことができているでしょうか。

マタイ27:46

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ。サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

 神の子であるイエス・キリストは、わたしたちのすべての罪を背負って十字架にかかってくださいました。その十字架の苦しみを訴えています。人間のすべての罪と苦しみを神の子が十字架において負ってくださっています。

祈り 神よ。旧約聖書を読んでいますと、神の裁きと人間の罪が出ていて、そのことを見ると時には辛くなってしまうことがあります。人間の罪とは何でしょうか。イスラエルの人々の罪とは何でしょうか。その人間の罪さえも、イエス・キリストの十字架によって赦してくださる神の愛をどのように受け止めることができているでしょうか。どうか、神の本質の愛を知ることができますように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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