1月10日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会     ヨシュア記13章「ヨルダン川東側のゲシュル」   2024.1.10

 ヨシュア記は、イスラエルの人々が、神が与えてくださる約束の地を手に入れることとその土地を部族ごとに分けて住むことが書かれてあります。ヨシュア記は全部で24章あります。前半の1~12章が土地を手に入れること、13~24章が土地を部族ごとに分けて住むことが書かれてあります。ちょうど12章では約束の地を手に入れたまとめを書いています。13章では、ヨルダン川東側の土地を手に入れたルベン族とガド族とマナセ族の半部族のことが書かれてあるのです。

・13:1~14、各部族の領地

 最初に、ヨシュアが多くの日を重ねて老人になったことが書かれてあります。この時に、ヨシュアは何歳だったののでしょうか。エジプトを出た時を30歳としますと、荒れ野の旅が40年です。約束の地に入った時は70歳でした。そして、ヨシュアは指導者として、イスラエルの人々を約束の地に導くのです。最初は、戦いの連続でした。ヨシュアの戦いは長い年月にわたり(ヨシュア記11:18)とありますように、10年以上に渡る時が過ぎていったと思います。この13章の時は、ヨシュアは80歳ぐらいだったと想像します。これはモーセが神に召された時と同じ年齢です。この時、神はヨシュアに「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている。残っている地は次のとおりである」と答えています。

 その残っている土地とは、ペリシテ人の地、ゲシュル人の地、ゲバル人の地などです。まだまだ多くの地が残っているのでした。前にヨシュアはこの地方全域を獲得したとありますが、残っている地も多くあったのも事実です。ヨシュアはこの残りの地も手に入れなければならないのでしょうか。ヨシュアができなくても、その子どもたちがその役を担うことになります。神はイスラエルの人々のために、彼らをすべて追い払うといってくださっています。この時に、神がヨシュアに命じたことは、その土地をイスラエルの9部族とマナセの半部族にヨルダン川西岸を嗣業の土地として配分しなさいということでした。 モーセによって、ヨルダン川の東側はルベン族とガド族とマナセの半部族がすでに嗣業の土地として与えられていました。しかし、イスラエルの人々は、ゲシュル人とマアカ人とを追い出さなかったので、彼らはイスラエルの人々と共に住んでいるとなっています。

・13:15~23、ルベン族の領地

 私たちが持っている聖書地図・3カナンへの定住を見ると、塩の海の右側の中央を流れているアルノン側から北側、塩の海に流れるヨルダン川の最終地です。

・13:24~28、ガド族の領地

 聖書地図を見るとキネレト湖南端に至るヨルダン川地域、ヨルダン川の東側です。

・13:29~33、マナセの半部族の領地

 聖書地図を見ると、キネレト湖の東側であることが分かります。

ヨシュア記13:13にある、このゲシュル人には、次のような記事があります。

サムエル記下13:37~38

アブサロムは、ゲシュルの王アミフドの子タルマイのもとに逃げた。ダビデはアムノンを悼み続けた。アブサロムはゲシュルに逃げ、三年間そこにいた。

 ダビデには多くの妻がいました。その妻にはそれぞれ子どもたちがいたのです。アブサロムとタマルは兄と妹でした。アムノンもダビデの子でしたが、母親が違うのです。アムノンはタマルを好きになっていました。片思いといっていいかもしれません。ある日、アムノンは病気を装ってタマルを自分の部屋に入れて、お菓子を作ってくれ、そして食べさせてくれといいます。自分の思いを抑え切ることができず、タマルを犯してしまいます。そうするとアムノンはタマルを憎むようになり、自分の部屋から押し出してしまいます。タマルはショックを受けて悲しみます。タマルの苦しみを知った兄のアブサロムは心の中で復讐を誓いました。数年過ぎて、アブサロムはダビデの王子たちを集めて、盛大なパーティを開きます。もちろん、アムノンも招待されていました。アムノンは御馳走とお酒を飲んで酔ってしまいました。その時に、アブサロムは仲間と共にアムノンを殺してしまうのです。アブサロムはすぐにゲシュルに逃げます。ゲシュルはその母マアカの出身地でした。マアカの父がゲシュルの王アミフドの子タルマイでした。

 数年後、アブサロムはダビデの元に戻ります。やがて、アブサロムはダビデに対して反旗を上げるのです。イスラエルはダビデ軍とアブサロム軍との戦いになります。ダビデはアブサロムとは戦いたくありませんでした。でも、ダビデは王ですから、周りがそれを許しませんでした。ダビデは自分の軍の将軍たちに「アブサロムを殺さないように」というのです。戦いはダビデの勝利に終りました。ダビデは自軍の勝利よりも、アブサロムの死を悼みます。

サムエル記19:1

ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」

 イスラエルの人々がゲシュルの地を残したために、後にこのようなダビデの悲劇につながっていくのです。人の歩みにはいろいろなことが起ってしまいます。これを私たちはどのように考えればいいのでしょうか。人の罪を知ることになります。人の悲しさもあります。

祈り 神よ。祈り時と聖書の学びをすることができましたことを心から感謝します。ゲシュルとダビデの悲劇について見てきました。人とは何かと知ることができます。イエス・キリストの十字架が私たちには必要であることが分かります。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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