12月17日の礼拝の内容です。

礼拝

12月17日の礼拝の内容です。讃美歌は、57.241.242.361.26です。

礼拝説教      使徒7:17~22「神の計画の深さを知る」    2023.12.17

 12月の第3日曜日を迎えました。本日は待降節第3主日でもあります。1週間の初めの日曜日にこのように神を礼拝することができますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、私たち1人1人の歩みがより豊かなものとなりますように願います。

 使徒言行録を読んでいます。使徒言行録はキリスト教の最初のことが書かれてあります。聖霊を受けた使徒たちが大胆に、イエス・キリストの福音をまわりの人々に語っていきます。その福音を聞いた多くの人々が洗礼を受けて、教会に加わっていきました。教会は成長していきます。しかし、一方で使徒たちの働きを快く思っていない人々がいました。ユダヤ教の指導者である祭司長や律法学者などです。教会はそのようなユダヤ人の指導者たちから抵抗と迫害を受けていました。使徒7章では、指導者であったステファノがユダヤ人たちに捕らえられて、ユダヤ人の最高法院に連れて行かれて、大祭司によって尋問されています。ここではステファノの説教と殉教が語られています。ステファノの説教では、まずアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセを通して神の導きと祝福を語っています。

 今日の聖書の箇所は、モーセの誕生にかかわる内容となっています。ステファノは説教を通して、神の導きと祝福を語るのです。最初にアブラハムの祝福の内容を確認していきたいと思います。

創世記12:1~3

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」

 この神からのアブラハムへの祝福をまとめると、今、住んでいる所から出発をして神の示す地に行くこと、アブラハムに大いなる祝福を与えること、アブラハムへの祝福を通してすべての人々に祝福を与えることです。特に最後の、アブラハムの祝福はすべての人々への祝福に通じるということです。ユダヤ人だけではなく、すべての人々の祝福が神の視野に入っているということです。今日の聖書の箇所は、出エジプト記1章~2章が背景になっています。前回はヨセフ物語を見てきました。ヨセフ物語を通して、イスラエルの人々が約束の地カナンからエジプトに移動したことが書かれてあります。世界的な飢饉があって、命をつなぐためのエジプト行きでした。この時に、エジプトに行ったイスラエルの人々の数が書かれてあります。それは父ヤコブと75人の親族一同を呼び寄せた(使徒7:14)とあります。とても少ない数だと思います。そして、時が流れていきます。

 エジプトにいるイスラエルの人々の数が増えていき、エジプト中に広がって行きます。それは神がアブラハムに誓った約束が実現する時が近づいていくのです。しかし、エジプトでは新しい王朝と新しい王が誕生しました。イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって、国中に溢れたとなっています。エジプトに誕生した新しい王は「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりにも数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起れば、敵側について我々と戦い、この国を取るかもしれない」と国民に警告しています。そこでまず、エジプト王はイスラエルの人々に強制労働をさせたのです。重労働をさせたのです。町の建築などです。しかし、虐待されればされるほどイスラエルの人々は増え広がったのです。エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって生活を脅かしました。イスラエルの人々の従事した労働は過酷を極めたとあります。

 それでも、イスラエルの人々の数が減ることはなく、逆に増えていく現状を見て、エジプト王は恐るべき命令を出しました。それが、イスラエルの人々の中で新しく子どもが生まれる時に、男の子なら殺し、女の子なら生かしておけというものでした。それが、生まれた男の子は1人残らずナイル川にほうり込め。女の子なら生かしておけという命令になっていくのです。そのようなイスラエルの人々とって大きな試練の中にあった時に、モーセの誕生となります。両親はレビ家の出身でした。妻が身ごもり、男の子を産んだのです。その時に、両親の思いはどんなに辛いものだったでしょうか。その男の子はかわいかったのを見て、3ケ月間は隠しておいたのです。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、防水をし、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。このままでは、男の子はナイル川の流れに流されて死んでいくばかりでした。モーセは誕生すべきではなかったのです。生まれるべきではなかったのです。モーセの誕生は死への道が待っているばかりでした。

 モーセの姉ミリアムがその葦の籠を遠くからどうなるのかを様子を見ていたのです。そこでエジプト王の王女が水浴びをしようと川に下りて来ました。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけました。開けてみると赤ん坊がおりました。しかも男の子で泣いていたのです。王女はふびんに思い、「これは、きっと、イスラエルの子です」といいました。その時に、モーセの姉が王女に「この子の乳を飲ませるイスラエル人の乳母を呼んで参りましょうか」といいますと、王女は「そうしておくれ」と頼んだので、娘は早速、モーセの母を連れて来ました。王女が「この子を連れて行って、わたしに代って乳を飲ませておやり。手当はわたしが出しますから」といいましたので、母親は引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行きました。その子はこうして、王女の子をなったのです。王女が彼をモーセと名付けたのです。

使徒7:20~22

このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。

 ここで、モーセの誕生を書いています。本当ならモーセは死んでいました。それが、奇跡が起ったのです。何とエジプト王の王女がモーセをひろって、自分の子として育てていくことになっていくのです。どうして、王女は王の命令を知りながら、モーセを助けて、自分の子として育てようとしたのでしょうか。また、エジプト王は王女の行為を知らなかったのでしょうか。知っていたとしてもそのことを許したのでしょうか。そのことはよく分かりません。奇跡だとしか考えるしかないのです。後に、このモーセの働きによって、出エジプトはなされていきます。奴隷からの解放、エジプト軍の全滅とまでなっていきます。神はモーセを送って、イスラエルの救いを成し遂げていくのです。しかし、モーセを生かしたエジプト王女のことを忘れてはいけないと思います。モーセの誕生の時に、エジプト王の王女の行動がとても大きな意味を持っていました。イスラエルの人々の救いの手ということもできるでしょう。

 神の救いの業を考える時に、次のようにいうこともできると思います。モーセのようにすべての人々は、その罪によって死ぬべきでした。イスラエルの人々の中で生まれた男の子はすべてナイル川に流されて死ぬべきだったのです。それがエジプト人の王女によって発見されて、救われたのです。神の手は、後にイスラエルの人々の中からイエス・キリストを生まれさせ、十字架へと導きました。このイエス・キリストの十字架によって、私たちの本当の救いが完成していくのです。

 私たちは今、イエス・キリストの誕生を待つ待降節の中にあります。来週の日曜日はクリスマスです。神の救いの業であるイエス・キリストの誕生を、心からお祝いしましょう。神に感謝です。

祷り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。モーセの誕生を巡る内容をみてきました。ここでは、エジプト人の王女の働きがあって、イスラエルの人々の救いが続いていくことをみたのです。神の救いの業は異邦人であるエジプト人の王女をすら用いられることを知りました。神の救いはイスラエルの人々だけではなく、すべての人々に及ぶことを、アブラハムへの祝福で学びました。来週はクリスマスです。皆で、イエス様の誕生を祝います。この感謝をイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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