4月4日の礼拝の内容です。

礼拝


礼拝説教   ヨハネの黙示録1:12~20「復活を信じる」     2021.4.4

 イースターおめでとうございます。イエス・キリストが十字架につけられ、死なれ、墓に葬られ、3日目によみがえられました。イエス様の復活を祝いましょう。

 今日は、ヨハネの黙示録から、イースターを祝いたいと思います。旧約聖書と新約聖書の間に、黙示文学と言うのがたくさん書かれました。ヨハネの黙示録もその流れにあります。イスラエルの人々は、神の民として、特別な存在として受け止めていました。ダビデによってイスラエル王国が造られた時、それは栄光に輝く時でした。しかし、ダビデの後のソロモンが死んだ時に、王国は南北に分裂してしまいました。北は後にアッシリアによって滅ぼされてしまいました。南もバビロニアによって滅ぼされ、多くの人々がバビロンに奴隷として連れて行かれると言う捕囚の時を味わうことになりました。バビロン捕囚から解放され、帰ることができましたが、ペルシャ、ギリシャ、ローマとずっと支配され続けられました。

 このイスラエルの人々が厳しい時代を過していた時に、預言者が活躍しました。イザヤやエレミヤなどがそうです。預言者たちは、イスラエルの人々に対して、神の厳しい裁きの言葉を語らなければなりませんでした。それでも希望はあったのです。イスラエルの人々の神への罪があり、神の裁きとして、厳しい試練の中を歩まなければなりませんでした。しかし、神への信仰を取り戻す時に、苦しみから解放され、神の民として希望を持って歩むことができると信じていました。預言者たちは、この世界に対して肯定的でした。厳しい神の裁きはあるけれど、イスラエルの人々の神への信仰の回復があれば、神の民として、祝福に満ちた歩みをすることができると語ったからです。

 しかし、イスラエルの人々に対して、歴史の歩みは厳しいものでした。バビロン捕囚や帰還後も、異邦人であるペルシャ、ギリシャ、ローマの支配下にあり続けました。もはや、この世に対する希望は薄くなり、来たるべき世に対する思いが強くなっていきました。それは、神はイスラエルの人々を神の民として愛してくださる。この世は、神の裁きによって、まもなく滅ぼされる。その後で、神はイスラエルの人々に対して、来たるべき世を造ってくださる。このように考えるようになっていきました。その内容が黙示文学です。今の世界は、悪で、神がまもなく裁き、滅ぼしてくださる。そして、新しい世界を創造してくださる。イスラエルの人々、神の民として、この新しい世界で、栄光に満ちて生きるようになることを、希望を持って待ち望むようになりました。ですから、この世界に対して非常に厳しく見ていたのです。

 新約聖書の時代に入って行きます。イエス・キリストや使徒パウロの時代、ローマが全世界を支配していました。ローマは、イエス様やパウロの働きに対して非常に好意的でした。特に、パウロの活動に対して、ローマの保護のもとで、伝道活動をすることができました。パウロによる世界伝道は、ローマの平和があってなされたものと言うこともできるでしょう。しかし、時が進んでいきますと、ローマのキリスト教に対する状況はまったく変っていきます。

 ローマが世界を支配していた時代、ローマの平和と言って、世界の人々は、ローマ軍の力のもとで平和に生きることができていました。安心して旅をすることもできたのです。世界の人々はその平和の中で、ローマに対する感謝を、皇帝礼拝をと言う形でするようになっていきました。最初は、皇帝の方からではなく、人々の間から出て来たようです。また初期のローマ皇帝は、皇帝礼拝を拒否するような者もおりました。

 しかし、時が過ぎて、95年ごろ、ドミテニアス皇帝が登場してからは、まったく変わっていくのです。この皇帝は、自分が神であると語り、人々に、自分自身への忠誠を求めました。でも、それは政治的なもので、年に一度、皇帝の像に、一礼をすればいいものでした。あくまでも、形だけのものであったようです。宗教的なものではなく、政治的なものでした。形だけ、ローマ皇帝に対して、年に一度だけ、礼をすればいいものでした。それだけなものでした。

 しかし、当時のキリスト者は、自分たちの主は、イエス・キリストの神であるとして、その皇帝礼拝を拒否したのです。神への信仰とはどうあるべきなのか、本当に考えさせる内容です。ローマ皇帝への皇帝礼拝を拒否したことは、ローマ帝国への反逆として受けとめられました。そして、キリスト者への厳しい弾圧と殉教が待っていました。当時のキリスト者は、イエス・キリストを信じて行くことは、とても厳しい環境にあったのです。

 ヨハネの黙示録ですが、このヨハネは、信仰者として歩んでいく中で、捕えられ、パトモスと言う島に幽閉されていました。ヨハネは、このパトモスと言う島の牢の中で、神からの啓示を受けます。やがて、パトモス島から出て行くことを許され、この神からの啓示を、アジアにある7つの教会へ手紙として書き送るのです。これが、ヨハネの黙示録の内容となっています。内容は非常に難解です。いったい何が書かれているのか、分かりません。でも、そのように書く必要があったのです。このヨハネの黙示録の内容は、ローマ帝国の教会への厳しい弾圧の中で、最後まで信仰を保って生きるように勧められています。殉教してまでも、イエス・キリストへの信仰を守り抜いて、歩むことが書かれてあります。

 そのような内容ですので、この内容がローマ帝国の人々に分かってしまえば、大変なことになります。それで、分からないように独特な表現を使っています。それが黙示文学と言うものです。今日の聖書の箇所で、ヨハネは、自分がパトモス島にいた時に受けた神からの啓示を、ここで書いています。それは、天におられるイエス・キリストの姿です。

黙1:17~19

「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」

 2021年のイースターの礼拝を守っています。イースターは、イエス・キリストが墓の中からよみがえられた日を祝う時です。このイエス・キリストの死と復活によって、私たちの罪の赦しと永遠の命が与えられました。深く感謝をしたいと思います。このイースターを祝う時に、これから起こることを考えることも大切です。私たちは今、生きています。それはいつの日か、死を迎える時が来ると言うことです。その死がいつなるのかは誰も分かりません。しかし、その日はすべての者に必ず来るのです。私たちの死の先にあるものです。

 それは、この世の終りであり、イエス・キリストの再臨です。そして、神の国への招きと、私たち1人1人が神と共にあり、神と交わり、永遠の命を与えられて生きるのです。神は私たちの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。もはや死もなく、悲しみも嘆きもありません。この世界のものは、その時には過ぎ去っていくからです。来たるべき世への希望と言いますか、その約束を信じて、今、私たちはしっかりと希望を持って歩んでいきましょう。

祈り 神よ、イエス・キリストの復活を喜ぶイースターを祝っています。イエス・キリストの十字架の死と復活、このことによって、私たちの救いは完成してくださいました。あなたしてくださった救いの約束をしっかりと受け止め、それぞれの地上での日々、そして、その後の世界、来たるべき世をしっかりと希望を持って、歩むことができますように、導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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