祈祷会 出エジプト記36章「心が動かされたこと」 2021.3.31
今日は、2020年度最後の日となります。また、今週は受難週で、今度の日曜日は、イースターになります。考えてみれば、ちょうど1年前のイースターから、教会の礼拝などを一部の長老と牧師のみで行うことを決めました。教会の活動の中心である礼拝や祈祷会を中止にすると言う、今まで考えられないことを決めました。私たちの教会だけではなく、多くの教会で、そのような決断をしなければなりませんでした。この新型コロナウィルスの脅威の中で、教会としてすべきことはいったい何だろうと考えながら、悩みながら歩んできました。その思いは今も変わらずにあります。5月の途中から、礼拝や祈祷会を再開した時の喜びは、今でも忘れることができません。その喜びを忘れることなく、歩んでいきたいと願っています。
神は、イスラエルの人々を選び、契約を結ばれました。エジプトで長い間奴隷であったイスラエルの人々を神の民として選び、契約を結ばれたのでした。神はイスラエルの人々をまず、奴隷であったエジプトから解放し、荒れ野へと導かれました。そこまでには、10の災い、葦の海の奇跡、マナとうすらで養い、水を与え、導いて来られました。そして、シナイ山において、律法を与え、幕屋のこと祭司のことなどを伝えたのです。その大切な契約時に、イスラエルの人々は、神のことを忘れて、エジプトで拝んでいた金の子牛の像を造り、拝んでしまいました。神はイスラエルの人々に対して激しく怒り、滅ぼすと言うことまでなっていました。モーセの必死なとりなしと祈りによって、神はイスラエルの人々と再契約をしてくださると言ってくださいました。
エジプト記35章では、幕屋を造るために材料を、イスラエルの人々から集めることが書かれてあります。36章~39章までが、その材料を使って知恵のある者たちが幕屋を造っていくことが書かれてあります。40章では、幕屋が完成して、モーセが礼拝を開始します。そして、出エジプト記は終ります。この幕屋については、出エジプト記25章~31章まで書かれてあり、35章以下は、その内容の繰り返しになっています。同じ内容が詳細に書かれてあるのです。神のイスラエルの人々への再契約です。とても大切な内容です。
今日の36章ですが、26章とほとんど同じです。幕屋を覆う幕、幕屋の壁板と横木、至聖所の垂れ幕、天幕の入り口の幕のことなどです。違うのは、1~7の幕屋を造るために、イスラエルの人々は必要な材料をモーセのもとに持ってきました。その材料を、幕屋建設にあたるベツァルエルとオホリアブたちが受け取るのですが、必要以上に材料が集まっているのです。それは喜ばしいことですが、集まり過ぎて、無駄になってしまってはいけません。それで、モーセは、イスラエルの人々に、幕屋の献納物に対して、これ以上に必要はありませんと伝えます。すると、人々は、献納物を携えて行くことをやめています。
イスラエルの人々は、心を動かされて、幕屋の献納物をモーセの所に携えて持ってきたのです。1人1人がすべて進んで心からささげようとしました。それは、どのような理由からなのでしょうか。それは、神の民として歩むべき時に、金の子牛の像を造って拝んでしまったことから来ています。大きな罪を犯してしまったのです。決して赦されない罪でした。イスラエルの人々は全体で、神の裁きを受けるべきでした。一部の裁きは実際にありました。それでも、神は、イスラエルの人々の罪を赦し、再契約をしてくださることになったのです。もう一度、やり直しをしてくださるからです。だから、イスラエルの人々は、神の愛に答えようとしているのです。
出エジプト記にある神とイスラエルの人々の再契約の内容は、聖書全体にかかっています。実は、神とイスラエルの人々は、この再契約を繰り返しています。イスラエルの人々は、これからも罪を犯し続けます。それでも、神は、イスラエルの人々に対する契約を更新してくださっています。そして、イエス・キリストの十字架へとつながっていきます。神は、イエス・キリストの十字架によって、イスラエルの人々だけではなく、私たちすべての人々の罪の赦しをしてくださっています。
今週は、受難週を歩んでいます。イエス・キリストは、金曜日に十字架につけられます。死なれ墓に葬られ、3日目の日曜日の朝に復活されます。イースターを心から喜び祝いましょう。
祈り 神よ、出エジプト記を読みながら、人々の罪とあなたの大きな赦しの業を見ることができています。やがて、これが、イエス・キリストの十字架につながっていることを知りました。自分たちの罪を見つめることと、あなたの大きな愛を、この十字架において、知ることができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
いつも祈りを共にしてくださることを心から感謝しています。(横山厚志)
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