7月20日の祈祷会の内容です。

祈祷会

祈祷会        民数記24章「占い師バラムのこと」     2022.7.20

 エジプトで長い間、奴隷だったイスラエルの人々、モーセに導かれてエジプトを出て、約束の地カナンを目指して、荒れ野の旅を続けていきます。荒れ野の旅を続けて40年が過ぎていきました。約束の地は目の前に迫っています。イスラエルの人々は、アモリ人の王シホンとバシャンの王オグを破り、その土地を占領していきました。その出来事を見ていたモアブの王バラクは、イスラエルを恐れて、占い師バラムを呼んで、呪ってもらい、イスラエルを弱くし、破ろうと考えていました。バラムはバラクの所に来て、イスラエルの人々を見ました。バラクはバラムに、イスラエルの人々を呪ってほしいと頼みます。バラムはバラクに、7つの祭壇、7頭の雄牛と7頭の雄羊を用意し、ささげるようにいいます。バラムはバラクに、そのささげものの側にいるようにいいます。バラムはそこから離れて、神と向き合おうとします。そのようなことが2回続きました。結果として、バラムはイスラエルを呪うことをせずに、祝福してしまうのです。当然にバラクは怒ります。

 今日の聖書の個所は、バラムの3回目の託宣となります。モアブの王バラクはあくまで、占い師バラムの呪いによって、イスラエルを弱くすることにこだわります。それだけバラムの呪いの力は大きいのでしょう。バラクは、バラムを別の場所に連れて行きます。別な場所から、イスラエルの人々を見れば、神はバラムに、呪うことを許可してくれるだろうと期待していました。バラムはバラクに7つの祭壇、7頭の雄牛と7頭の雄羊を用意し、ささげることを求めます。ここでは今までと違い、バラムはイスラエルを祝福することが、主の良いとされることであることを悟り、いつものようにまじないを行うようなことはせずとあります。(民数記24:1)バラクにささげものの所にいるように命じ、バラムはその場所から離れて、神に伺いを立てていました。それが、「まじないを行う」ことなのでしょう。それを止めて、バラムは荒れ野に顔を向けます。そこにはイスラエルの人々が部隊ごとに宿営するのが見えました。この時に神の霊が、バラムに臨みました。

 その神からの託宣です。バラムは自分自身のことをいっています。目の澄んだ者、神の仰せを聞き、全全能者のお与えになる幻を見る者、倒れ伏し、目を開かれている者となっています。水は彼らの革袋から溢れ、種は豊かな水を得て育つ。彼らの王はアガクよりも栄え、その王国は高くあげられる。(7節)エジプトから彼らを導き出された神は、彼らにとって野牛の角のようだ。(8節)あなたを祝福する者は祝福され、あなたを呪う者は呪われる。(9節)この言葉を聞いて、バラクはバラムに対して激しく怒り、手を打ち鳴らしながら「敵を呪いにかけるために招いたのに、見よ、お前は3度も祝福した。自分の所に帰るがよい。お前を大いに優遇するつもりでいたが、主がそれを差し止められたのだ」といいます。バラムはバラクに対して「たとえ、バラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、わたしの心のままにすることはできません。わたしは、主が告げられることを告げるだけです。」と答えています。神に仕える預言者そのものの働きがここでいわれています。どうして、占い師バラムは神への信仰を持つことができたのか、不思議です。

 更に、バラムはバラクに「わたしは今、わたしの民のもとに帰ります。後の日に、イスラエルの人々があなたの民に対して何をするのか警告しておきます」といいます。そのモアブに対する警告ですが、「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこねかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。」(17節)とあります。また、アマレクに対して、カイン人に対しての警告の言葉も語っています。最後に、バラムは立ち上がり、自分の所に帰って行きました。バラクも自分の道を去って行きました。ここまで見ると、占い師バラムの神への信仰の素晴らしさが出ています。バラムの今後、その死はどうなっているかといいますと、悲しい最後となります。

 モアブの王バラムと占い師バラムは、ここが最後で、もう会っていないかのように書いていますが、実は、また会っています。バラムは呪うことでは、イスラエルを弱らせることができないので、別の方法を、バラクに提案することになっています。その提案が、民数記25章の内容です。モアブの娘たちが、イスラエルの人々に近づきます。この娘たちによって、イスラエルの人々は、バアルの神々を拝むようになります。「民はモアブの娘たちに従って背信の行為を始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげるときに民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。」(民数記25:1)です。

民数記31:8、16

またべオルの子バラムをも剣にかけて殺した。

べオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがくだったのではないか。

ヨハネの黙示録2:14

あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。

 このような聖書の記事を目にして、バラムの行動はいったい何だったのかと思います。一時的にもバラムはバラクから多くのよいものを手に入れたのでしょう。その結果として、自分の死を招くことになったのです。神を信じ続けることの難しさがここにはあります。バラムは最後まで、神の言葉のみに従っていけばよかったのです。やはり、家に満ちる金銀が欲しかったのでしょうか。人間の弱さがここにあります。

祈り 神よ、祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。神に従うこと、それも正しく従うことは、どのようなことなのかを、私たちに教えてください。私たちの思いが、あなたの御心よりも先になることがないように導いてください。神を信じること、私たち一人一人が、幸せに生きることができること、それがつながるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                        」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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