8月7日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、371(1)521(1)27です。教会暦は平和聖日です。

礼拝説教       マタイ26:1~5「十字架の時」     2022.8.7

 8月の第一の日曜日を迎えました。この日は、日本キリスト教団の教会暦では、平和聖日となっています。今から77年前のことを振り返る時です。第二次世界大戦、8月6日、広島への原爆投下、8月9日、長崎への原爆投下、8月15日の終戦記念日です。私たちにとって、毎年8月は悔い改めの月なのかもしれません。これは、私の個人的な考えですが、同じ過ちを犯してならない。その強い決意が確認される月、あの月に何が起ったのか、戦争とは何だったのかを振り返り、二度と同じ過ちは繰り返さない思いを新たにするのです。

 マタイによる福音書も終わりの方になってきました。いよいよ、イエス様の十字架の時が近づいています。このイエス・キリストの十字架こそ、私たちが何よりも大切にしている信仰の内容です。神を信じるということは、イエス・キリストの十字架が私たちの罪の赦しになるということを信じることです。イエス・キリストの十字架を意識しながら、聖書を読んでいきたいと思います。イエス様はこれらの言葉をすべて語り終えると弟子たちにいわれたとあります。それは、マタイ25章までの内容のことを指しているのでしょう。イエス様はマタイ24章~25章までは、この世の終りについて、弟子たちに話されました。それが終り、いよいよ、イエス様の活動の完成をする時が始まります。十字架への道です。イエス様は弟子たちに「あなたがたも知っているとおり、2日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」と語りました。

 イエス様の言葉のように、過越祭とイエス様の十字架の日が重なっていきます。それほど、過越祭は大切な日でした。イスラエルの人々にとって、過越祭は一番大切な祭りでした。それは、いったいどのようなことなのでしょうか。旧約聖書の出エジプト記に戻ります。かつて、イスラエルの人々はヨセフの時代に、世界的な大飢饉が起り、命を救うために、エジプトに行き、生活するようになりました。時が経って、イスラエルの人々はエジプトで奴隷として過ごすことになったのです。長く苦しい日々が続きました。イスラエルの人々の苦しみを聞いた神は、指導者モーセを送り、奴隷からの解放、出エジプトを成し遂げようとします。モーセはエジプトでエジプト王と交渉します。イスラエルの人々の解放のことです。エジプト王にすれば、イスラエルの人々の奴隷としての働きは、エジプトの人々の生活を支えていましたから、簡単には許すことのできることではありませんでした。

 そこで、神はモーセを通して、エジプトに10の災いを送るのです。当時の自然災害が次々に起るものでした。エジプトに自然災害が次々に起っても、エジプト王は耐えて、イスラエルの人々の解放を許しませんでした。10番目の災いが始まろうとしていました。死の使いがエジプト中を巡るのです。死の使いが通ったエジプトの家では、すべての初子が撃たれるのです。つまり死んでしまうのです。

出エジプト記12:29~30

真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。

 このように神はエジプトの国ですべての初子を打たれたのです。王の子から家畜の初子もことごとく撃たれたので、すべてのエジプト人は夜中に起きて、死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起ったとなっています。エジプトの人々にすれば大きな悲しみです。エジプト王にすれば、何度も繰り返される自然災害、そして、自分の子の死、このままだと自分たちがすべて死んでしまうと感じたのでしょう。イスラエルの人々の解放を許しました。では、イスラエルの家ではどうだったといえば、家族ごとに羊を取り、屠り、羊の血をとり、家の鴨居と入り口の2本の柱に塗るのです。死の使いは、その家の血を見ると、その家を過ぎ越す、イスラエルの家は助かるということです。羊の血によって、死から逃れ、奴隷からの解放、出エジプトを成し遂げることができたのです。この出来事を決して忘れてはならないとして、イスラエルの人々は毎年春に、この過越祭を祝ってきました。イエス様の時代にも大切な祭りとして祝われてきたのです。

 イスラエルの人々にとって、この過越祭は、エジプトからの解放、奴隷からの解放というイメージが強くなっていきました。罪からの解放、死からの解放の意味は薄くなっていきました。イエス様の時代、イスラエルの人々によって、過越祭を祝うということは、自分たちを支配していたローマ帝国からの解放、独立を意味するようになっていました。イエス様の弟子たちも、イエス様にそのようなローマからの解放、解放者として期待していたのです。イエス様の目的は、自らが羊となるということでした。羊が屠られ、血を流し、死の使いを去らせたように、イエス様ご自身が十字架で死に、そのイエス様の血によって、罪からの解放、死からの解放とつなげていくのです。イエス様は弟子たちに、自分の本当の目的の十字架の死を語っていきます。今日の聖書の個所によると、4回目となります。

 イエス様の受難予告の第1回目は、マタイ16:21~出ています。イエス様はガリラヤからエルサレムへの道を行こうとする前に、弟子たちに、自分のことをたずね、ペトロは、「あなたはメシヤ、神の子です」と答え、イエス様はその答えに喜び、受難予告をします。すると、ペトロはイエス様をわきにお連れして、いさめ始め「主よ、とんでもないことです。そのようなことがあってはなりません」といいます。そのペトロに、イエス様は「サタン、引き下がれ」といっています。

 イエス様の第二回目の受難予告は、マタイ17:22にあります。弟子たちは非常に悲しんだと書いてあります。そして、第三回目ですが、マタイ20:17~にあります。この時には、弟子たちの中に争いが起り、ゼベダイの子の母親が来て、イエス様に「あなたが王になる時には、息子たちをあなたの右と左の座に座れるようにしてほしい」と頼んでいます。他の弟子たちの、そのことを聞いて、腹を立てています。同じように、よい地位を確保したいと思っていたのです。

 イエス様の受難予告に対する弟子たちの無理解を見てきました。弟子たちの思いは、イスラエルの解放、イスラエル王国の建設ですから、そうなるのは当然かもしれません。でも、イエス様は十字架の道を歩まれます。今日の聖書の個所で、イエス様は弟子たちに、2日後の過越祭の時に、自分の十字架の時を示しています。また、イエス様を十字架につけようと考えていた祭司長や長老たちは、大祭司の屋敷に集まり、計略を用いて、イエス様を捕らえ殺そうと相談していました。彼らは、過越祭の間はやめておこうとしていました。それは、民衆の間で騒ぎが起ってはいけないからでした。当時、支配していたローマは、何を一番恐れていたかですが、暴動です。地域が不安定になることです。それを彼らは知っていたから、祭りの間はやめようとしました。しかし、ユダの裏切りによって、急展開するようになり、イエス様の言葉通りになっていきます。

 過越祭とイエス様の十字架が重なります。羊が屠られました。その血を家に塗り、死の使いがその血を見て、その家を過ぎ去ったのです。死から逃れるために、羊の死、羊の血が必要だったのです。旧約聖書のレビ記を読んでいると、イスラエルの人々の罪の贖いのために、家畜である牛や羊や山羊が用いられていたことが分かります。本来ならば、人間の罪は人間自身が負うべきでした。それでは、罪によって死んでしまいますので、どうすることもできません。そのために、身代わりとして羊などが代わりにささげられたのです。その罪の贖いは不完全なものでした。完全な罪の贖いが、神の子の罪の贖い、イエス・キリストが十字架について、死に、血を流してくださることが必要でした。私たちの罪の赦しは、私たち自身で行うことができません。神の一方的な救いによってなされていくのです。イエス・キリストの十字架だけが、私たちの罪の赦し、罪の贖いになっていきます。イエス・キリストの十字架という救いの出来事を、私たちは感謝して、受け止めることができるのです。それだけです。

 今日は平和聖日です。この時に、イエス・キリストの十字架を見上げたいと思います。平和をつくるということはどのようなことでしょうか。この十字架を見上げながら、考えていきたいと思います。

祈り 神よ。平和聖日の日を迎えました。今から77年前に起った悲しい出来事を、私たちが決して忘れることがありませんように導いてください。私たち人間は、繰り返し、戦争を続けています。いつになれば、このような戦争を終えることができるのでしょうか。どうか、弱い私たちですが、あなたの十字架を信じる者として、平和をつくる者として、歩むことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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