2月25日の礼拝の内容です。

礼拝

2月25日の礼拝の内容です。讃美歌は、211.298.575.290.29です。

礼拝説教  エズラ3:10~13「主の僕らよ、主を賛美せよ」(小椋実央牧師)  2024.2.25

「主の民に属する者は、主の神殿を建てるためにエルサレムに上っていくがよい。」バビロン捕囚の終わりはこのように始まります。

「主の民に属する者は、主の神殿を建てるためにエルサレムに上っていくがよい。」神殿再建の命令です。バビロニアを滅ぼしたペルシアの王、キュロスの口を用いて、神さまはイスラエルの人々に呼びかけるのです。この呼びかけに応えて一部の人たちがエルサレムへと帰っていきます。エズラ記の2章には、帰って行った人たちのリストが記されています。つまり帰らなった人もいた。バビロニアでの暮らしを望んだ人たちもいた、ということです。しかし、主の神殿を建てなさい、という神さまの命令にお応えしようと立ち上がった人たちがいました。エズラ記の2章のリストをざっと見てみますと、使用人もかなりの数おりまして、バビロニアでの暮らしがそれほど貧しいものではなかったのではないかという推測もなされています。いずれにせよ、60年住み慣れた土地を離れて、バビロニアで生まれ育った者も、エルサレムを目指しました。バビロニアに破壊された神殿を建て直すために、立ち上がったのです。

3章のはじめには礼拝をささげはじめた様子が記されていて、神殿再建に先立って礼拝が守られていたことが分かります。自分たちの住まいのことは全く触れられていないのは驚くべきことです。実際には住む場所や食べるものの心配をしてはいたのでしょうけれども、信仰の父、アブラハムにならって、いずこへ行こうともまず祭壇を築いて礼拝の場所を整えるのです。3章の3節を見ますと、すでに60年エルサレムを留守にしている間に別の民族が入り込んできていたことが分かります。その人たちに少し遠慮をしながら、しかしかつて神殿があった場所に祭壇を築き、神殿建築の準備を進めます。何よりも祈ること、礼拝を神殿再建のはじめとして大事にしていることが分かります。実際に工事を始めることができたのは、それから半年後のことでした。貧しい捕囚民に十分な資金があったとは考えられません。自分たちの生活を整えながら、どうやって資材を手に入れたのかよく分かりませんが、彼らは一つずつできることを進めていきます。ようやく神殿の基礎を据えた時、人々は賛美の声をあげます。私は建築に関しては全くの素人ですが、瀬戸永泉教会の改築工事を見学させていただいた時に、また棟上げ式に参加させていただいた時に、工事の基礎の部分ができると、工事の大半がもう終わっているのだろうな、という印象を持ちました。勿論工事期間はまだまだ続きますし、難しい複雑な工事も色々とあるのでしょうけれども、基礎を据えた時点でおおよそのレールが完成して後は走らせていくだけ、という感じがしました。実際には私たちはそれからひと山もふた山も越えなければなりませんでしたが、基礎を据えると一つの区切りを迎えた、ということになるかと思います。

人々は基礎を据えた時におそらく神殿の全体像を心の中で描きました。この神殿を中心にして誰にもはばかることなく、神さまを礼拝することができる、その喜びに心が震えたことでしょう。誰からともなく主をほめたたえる声があがったのです。しかしその声は必ずしも一つの声にはなりませんでした。喜びの声と悲しみの声が入り混じっていたのです。2種類の声が複雑にからみあって遠くまで響いたのです。若い人たちは純粋に喜んだことでしょう。これまでの苦労が報われたぞ、と思ったかもしれません。さぁ、神殿工事はいよいよこれからだ、と意気込んだかもしれません。しかし、かつてソロモンが建てた神殿、バビロニアに滅ぼされた元の神殿を知っているものたちは手放しで喜ぶことができませんでした。美しく、未来永劫建ち続けると思っていた神殿に比べると、自分たちが建てようとしている神殿はあまりにもみすぼらしかったのです。60年という過ぎ去った日々と、自らの罪のために滅ぼされた神殿のことを思うと、大声をあげて泣くことしかできなかったのです。

教会で一つの大きな決断がなされる時、土地を購入する、会堂を建てる、牧師を招聘するのもそうかもしれませんし、私たちですとオルガンを購入する、というのも大きな決断になるかもしれません。そのような時に、全員が賛成する、全員の意見が一致することがいいことだ、という思いがないわけではありません。しかし教会というのは、異なる意見があっても、異なる響きがあってもよいところだ、と言う風に私は考えています。何故なら私たちの破れ目を、うまく折り合わない部分をイエスさまが仲立ちしてくださると信じているからです。むしろ人間の力で説得をして、根回しをして意見を一つに統一する、というのは極めて人間的なやり方で、とことん話し合いはしますけれども、最終的には神さまにお委ねする、というのが教会らしい進め方なのではないかと思うのです。ですからイスラエルの人たちが種々雑多な思いを抱きながら神殿再建にたずさわって、そこにこそ神さまが働いてくださるから、一つの民として成長していくことができるのです。私たちの日曜日ごとの礼拝は主イエスを頭と信じて礼拝を守ってはいますけれども、イエスさまを信じていない人にも開かれている礼拝です。イエスさまを信じる人が心ゆくまで礼拝をささげることができるのと同時に、まだイエスさまを信じていない人が気持ちよく来ることができる礼拝を整えたいと思います。

過ぐる聖日には、愛知西地区の交換講壇が行われました。私たちの瀬戸永泉教会は日本キリスト教団の中部教区その中の愛知西地区に属しています。中部教区には先日大きな地震がありました石川県から始まって、石川、富山、福井の北陸3つの地域と太平洋側である愛知、岐阜、三重の6つの県が所属しています。他の5つの県は石川地区、富山地区という風に一つの県がひとつの地区になっておりますが、愛知だけは少し教会の数が多いので、東と西にわけまして、だいたい尾張のほうが西地区、三河のほうが東地区ということになっております。私たちが属している愛知西地区は31の教会と4つの伝道所があります。あわせて35の教会と伝道所が、地区の交わりとして毎年この時期に牧師が行き来して、説教を行います。中には無牧の教会であったり、瀬戸永泉のように牧師が複数の場合もあります。今年は参加しません、という教会もなくはありませんので必ずしも牧師を交換する、ということにはならずに、先週の例ですと午前中の礼拝は天白伝道所の渡邊牧師と瀬戸永泉の横山牧師が交換になり、午後は私が一方通行で日進教会に行って参りました。説教者にとっても、またお迎えする教会にとっても、お互いに勉強の場にもなりますし、何よりもコロナが5類に引き下げられて、久しく途絶えていた地区の交流の場がこのように少しずつ戻ってきていることをとてもうれしく思いました。

その交換講壇で日進教会でご奉仕させていただいた時に、塚本さんという92歳の女性とお話する機会がありました。礼拝前に、少し耳が遠いので、とおっしゃるので、ふだんよりもゆっくりと大きな声で、その日は私を含めて5名の礼拝だったのですが、40人ぐらいは会堂にいるようなつもりで張り切って説教させていただきました。実はこの交換講壇の打ち合わせの段階で、今現在は毎週礼拝を守ることはできていない、ということを伺っていました。また、コロナ以前から、地区の交換講壇にもあまり参加はしていなかった、参加できていなかった、ということもうかがっていました。いずこの教会も同じ課題を抱えておりますが、教会員の高齢化、会員数の減少、奉仕者の担い手不足、さまざまな要因があります。そして礼拝が終わってから、実は日進教会はこの3月で閉じますと、教会としての務めを終わるのだ、ということを伺いました。そこから改めて、私自身が日進教会の最後の交換講壇に派遣された、ということに大変な重圧と言ったらいいのか、責任と言ったらいいのか、重みを、礼拝が終わってからひしひしと感じることになりました。責任逃れではありませんけれども、その重みをみなさんにも一緒に担っていただきたい、塚本さんという女性のことをみなさんにご紹介しなければならないのではないかと思っております。

ご存じの方もおられると思いますが、日進教会の関係者はほとんどが塚本さん、もしくは旧姓が塚本さんですので、一体どの塚本さんか、と迷われる方もおられるかもしれませんが、お名前をあげるとかえって混乱されると思うので、今日は塚本さん、で統一して説明を試みてみようと思います。1885年、一人の青年が名古屋教会で洗礼をさずけられました。瀬戸永泉教会が創立1888年ですから、その3年前になります。ちょうど瀬戸にも、この地域全体に福音の種が蒔かれている時でした。31歳ですから青年というのはふさわしくないのかもしれませんが、12歳で一家の当主となり、借金を抱えながらがむしゃらに働いて、ようやく28歳の時に妻を迎えたばかりですから、新婚ほやほやの初々しい雰囲気があったのではないかと想像をしています。この青年が塚本家1代目の信仰者となって、以後子どもたち、孫たちも信仰へと導かれていきます。先日私がお会いした92歳の塚本さんから見ますと、塚本さんのご主人のおじいさまが1代目の信仰者ということになります。

この1代目の信仰者、塚本青年は後に名古屋教会から瀬戸永泉教会へと移り、お子さん、お孫さんたちは全て瀬戸永泉教会で洗礼を授けられることになります。塚本家2代目の信徒、つまり92歳の塚本さんのお舅さんにあたりますが、お舅さんの代の時に日進教会を設立、瀬戸永泉教会の会員だった塚本一族はごっそりと日進教会へ移ることになります。実はこの時にひと悶着あったんですよ、と塚本さんが笑い話として教えてくださいました。一体どういうことかと帰ってから調べてみたところ、当時の日進教会がバプテストなど色々な教派と協力をして伝道活動をしていた。当時の瀬戸永泉教会は、日本基督教団が設立される前の日本基督教会で、お堅い長老派だったものですから、他の教派と入り混じっているのはいかがなものか、という思いがあったようです。しかし日進教会が活発に伝道にはげみ、その上受洗者が与えられているという事実を鑑みて、申請があった翌年には塚本一族の教会籍を瀬戸永泉から日進教会へ移すことを承認しました。

以後、塚本一族が核となって、日進教会の歩みが始まります。礼拝出席が2けたになることはあるものの、その大半が1けた、5名を下回ることも少なくなかったようです。そして今年、2024年の3月には、90年に及ぶ日進教会の幕が閉じられようとしています。そのことをお聞きした時に、日進教会にはなるべく長く続いていてほしいけれども、いつかはこういう日を迎えなければならないのか、ということを思いました。残念だな、という感想を持ったのです。しかしその思いはすぐに打ち消されました。92歳の塚本さんが「ここに嫁いでから70年、教会の掃除をしてきました。」とおっしゃった。その言葉からは、日進教会が閉じられる残念さよりも、70年間信徒としての務めをやり切ったんだ、という清々しさを感じました。前回使徒言行録をお読みした時にステファノの殉教の箇所をご一緒に聴きましたけれども、まさに石で打ち殺されようとしているステファノのように、天に立つイエスさまをみつめて生き生きとしておられるように感じました。日進教会が会堂の基礎を据えた時、おそらくどこの教会もそうでしょうけれども、この教会がやがて終わりを迎える、ということを考えて教会を建設する人はいないと思います。信徒が次々と増えて、いつまでも人々に愛される教会になることを願って、誰しもが教会を建設するのです。しかし想像してみれば、パウロ達が各地を訪ねて次々と教会を建設していく時に、迫害されて消えてしまった教会もあれば、何百人、何千人という会員数をほこっていたのに跡形もなく消え去ってしまった教会もおそらくあったことでしょう。

そして、その会堂でささげられる最初の礼拝、というものがあれば、その会堂でささげられた最後の礼拝、というものがいくつもあったんだろうな、と思いました。今回の能登半島地震で、または東日本大震災で被災された教会の方々は、先週の礼拝がこの会堂での最後の礼拝になるとは誰も思ってもいなかったはずです。一方で、これが最後の礼拝になる、と分かっている時に、どんな思いで説教者がみ言葉を語ったのか、どんな思いで会衆がみ言葉に聴いたのか、想像するだけで胸がしめつけられるような思いがしました。しかし会堂がなくなっても、信仰は残ります。日進教会が教会の働きを終えるからと言って、日進教会に集う人たちの信仰がなくなるわけではありません。現在の日進教会の会員の方々は桜山教会へと籍を移して、桜山教会の会員として信仰生活を送るのだそうです。瀬戸永泉教会で蒔かれた福音の種は日進教会で朽ち果ててしまうのではなくて、日進教会を経て桜山教会へとつながっていくのです。92歳の塚本さんのお姿から、瀬戸から日進へ、日進から桜山へと場所を変えながらではありますが、今も生きて働いておられる神さまの働きを見せていただくことができました。

2024年の受難節を迎えています。私たちがたとえこの会堂を失うことになったとしても、瀬戸永泉教会に集う私たちの信仰は微塵もゆらぐことはありません。何故なら私たちの信仰は、十字架から復活されたイエス・キリストを土台としているからであります。決して揺らぐことにない、決して変わることのない事実、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかけられて、死に打ち勝ってよみがえられた。ここを土台としているから、たとえどこの会堂で礼拝を守ろうとも私たちは主の僕として信仰生活を送り、主の僕として賛美することができるのです。イエス・キリストのご受難を覚える時です。私たちの足元を確認しましょう。信仰の基礎を、信仰の土台を点検してみましょう。かつて瀬戸永泉教会から送り出され、日進教会で長く信仰生活を送ってこられた塚本家のみなさんと、場所は違っても同じ信仰を持ち、共に教会生活が守られたことを感謝しつつ、日進教会の90年の歩みを主が導かれたことを心からほめたたえたいと思います。主の僕らよ、主を賛美せよ。

<祈り>天の父なる神さま。イスラエルの人たちの神殿再建の出来事に思いをはせています。あなたはひとつになれない私たちをひとつとし、礼拝へと導いてくださいました。あなたがこの瀬戸の地からはじめ、日進教会の伝道のわざを長きにわたって導いてくださったことを心から感謝いたします。どうぞ再び日進教会の信仰を瀬戸永泉教会の私たちが受け継いで、信仰のともし火をともし続け、ほめたたえの歌を歌い続けることができますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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