5月14日の礼拝の内容です。

礼拝

5月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、211.404.436.457.27です。

礼拝説教       使徒2:1~13「聖霊に満たされる」     2023.5.14

 新しい1週間が始まります。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から感謝したいと思います。神のみ言葉をいただいて、私たち1人1人がよりよい1週間の歩みをすることができますようにと祈ります。

 今日の聖書の箇所は、聖霊降臨日です。ペンテコステの日です。今年のペンテコステは5月28日になります。少し早いのですが、聖霊降臨日について考えていきたいと思います。この日は5旬祭(七週祭)となっています。イスラエルの人々にとって大切な祭りとして、過越し祭、5旬祭(七週祭)、仮庵祭があります。過越し祭は、3月から4月にかけて行われます。過越し祭から七週目の次の日の日曜日に当たります。この5旬祭(七週祭)は、小麦の収穫祭です。神が自分たちに小麦の収穫を与えてくださった、そのことを感謝する時です。また、この日は、イスラエルの人々に律法が与えられた日ともいわれています。イスラエルの人々にとって、過越し祭は、奴隷からの解放、エジプトからの脱出を意味します。そして、5旬祭(七週祭)は、約束の地における最初の小麦の収穫を感謝する時となったのです。また、律法を与えられて、神の民として生きることをも意味していました。

 5旬祭(七週祭)には、イスラエルの人々が神から律法を与えられた日といいました。考えてみれば、神がイスラエルの人々と契約を結ばれたということです。エジプトを出たイスラエルの人々と、神はシナイの荒れ野で、契約を結ばれたのでした。神はイスラエルの人々の神となり、イスラエルの人々は神の民となったのです。その契約として、律法が与えられたのです。イスラエルの人々は、この神が与えてくださった律法に従って生きることを求められていきます。律法の中心が、十戒です。イスラエルの人々に神が律法を与えてくださった。十戒を与えてくださった。思えば、イスラエルの人々は、神から十戒を与えられるのに、ふさわしい人々でしたでしょうか。出エジプト記32章には、金の子牛の像の物語があります。簡単にいいますと、イスラエルの人々は、神から十戒を授かった時に、エジプトで拝んでいた金の子牛の像をつくって拝み、踊っていたのです。神は激しくイスラエルの人々に対して怒りました。滅ぼすとまでいわせてしまったのです。それをモーセのとりなしによって、滅びを免れたのです。イスラエルの人々は、神から律法を与えられるにはふさわしくない存在だったのです。それでも、神はイスラエルの人々に律法を与えてくださいました。

 使徒言行録に戻ります。5旬祭の時に、イエス様の弟子たちとその仲間たちに、聖霊が与えられるのです。この時に、イエス様の弟子たちは、エルサレムの大きな家の2階の広間に集まっていました。イエス様の弟子たち、婦人たち、イエス様の母やイエス様の兄弟たち、約120人が集まって、心を合わせて熱心に祈っていたとあります。イエス様の弟子たちは、どうして、この場にいることができたのでしょう。振り返りになりますことをお許しください。イエス様の弟子の1人のペトロを見ていきたいと思います。イエス様が、過越しの食事である最後の晩餐の場面で、イエス様は弟子たちが皆、裏切ることを語りました。その時に、イエス様は、復活の後で、弟子たちよりも先にガリラヤに行くといっています。この言葉が、弟子たちに対する深い愛情が出ていると思います。しかし、その時、弟子たちは、そのイエス様のいわれた言葉の意味を理解することができませんでした。

 ペトロは自信をもっています。「たとえ、みんながあなたを裏切っても、わたしは決して裏切りません」といいました。イエス様は「はっきりといっておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、3度わたしを知らないというだろう」といわれるのです。ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」といっています。まもなく、イエス様は逮捕されていきます。大祭司に屋敷に連れて行かれて、裁判を受けることになります。ペトロも後を追いかけて、大祭司の屋敷の中庭に入って行きます。そこで、ペトロは人から「あなたはイエス様の仲間ではないのか」と3度尋ねられます。3度、自分はイエス様の仲間ではないと強く否定します。するとすぐに鶏が鳴くのです。ペトロは「鶏が鳴く前に3度わたしのことを知らないというだろう」といわれたイエス様の言葉を思い出して、外に出て激しく泣いています。

 復活したイエス様は、婦人たちに「弟子たちにガリラヤに行くようにいいなさい。そこで、わたしに会うことになる」と伝えています。その言葉を受けて弟子たちは、ガリラヤに行き、イエス様にお会いすることができ、再び、弟子としての立場を取り戻すことができています。イエス様の導きによって、裏切った弟子たちを、もう一度、イエス様の弟子として立ててくださったのです。だから、使徒言行録で、イエス様の弟子として、聖霊を受けることができるようになっていくのです。

 エルサレムの家の2階の大広間で、イエス様の弟子たちや仲間たちに、神からの聖霊が下っていきます。まず、起っているのは、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、家中に響いたのです。この激しい風は、聖霊の存在を語っています。聖霊が、神から下って来て、弟子たちとその仲間たちに注がれています。その様子を、激しい風が吹いていると表現しています。そして、次が、炎です。炎のような舌が分かれ分かれに現れ、1人1人の上にとどまっていくのです。すると、一同は聖霊に満たされるのです。聖霊に満たされた1人1人は、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出したとなっています。ここで、聖霊が下ったことによって、1人1人に、イエス様の十字架の意味、福音を理解することができるようにしてくださったのです。

 イエス様が復活して弟子たちと会った時も、弟子たちは福音を理解することができていませんでした。

使徒1:6 

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルの国のために建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

 しかし、聖霊を受けると、その福音を理解することができています。それだけではなく、それまで恐れて、部屋に隠れていた弟子たちは、外に出て行き、福音を大胆に語り始めています。

使徒2:23~24、36

このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。

 このようにペトロは、イエス・キリストの十字架の意味、福音を語ることができています。イエス様は、弟子たちの前で、神のもとに帰る時にいわれました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と。このイエス様のお言葉通りに、弟子たちは、まもなく出て行って、イエス・キリストの福音を大胆に語っていくのです。使徒言行録では、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、ローマにまで伝わって行きます。神からの聖霊が働くことによって、弟子たちは、このように変えられていくのです。その流れは、終ることなく、今日も動いています。

 この瀬戸永泉教会にも、神からの聖霊があり、私たちは教会に集まり、神を礼拝し讃美して、そして、イエス・キリストの福音を、この瀬戸の地域に伝えていくのです。私たちは何者でしょうか。強い者でしょうか。そうではありません。弱い者です。でも、それでいいのです。イスラエルの人々も、そうでした。イエス様の弟子たちもそうでした。弱い者だったのです。弱い者を、神は聖霊によって、変えてくださるのです。

祈り 神よ。あなたをこのように礼拝することができましたことを、心から感謝します。聖霊は今もそしてこれからも働いてくださいます。この聖霊の働きによって、私たちは、イエス・キリストの福音を信じることができ、救いに預かることができました。また、この教会を通して、まだ、あなたの救いを知らない多くの方々に、伝えていくことができますように、私たち1人1人に、あなたからの力である聖霊を豊かに注いでください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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