11月12日の礼拝の内容です。

礼拝
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11月12日の礼拝の内容です。讃美歌は、200.211.430.444.24です。

礼拝説教       使徒6:1~7「問題をどう向き合うか」    2023.11.12

 11月第2の日曜日を迎えました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがより良いものとなりますようにと祈ります。先週は、聖徒の日(永眠者記念日)の礼拝を、多くのご遺族の方々と共に守ることができましたことをうれしく思いました。新型コロナウィルスの感性症と教会堂の増改築工事のためにCS館で礼拝を行っていたためにご遺族の方々には出席を見合わせる時もありました。それが、今回は制限をなしに行うことができました。また、午後には十字ヶ丘復活苑で墓前礼拝を多くの参加者を得て実施することができました。本当にうれしいことでした。

 この礼拝では使徒言行録を読んでいます。使徒言行録では、キリスト教の最初のころの様子が生き生きと書かれてあります。イエス・キリストが十字架につけられて死なれ、墓に葬られ、3日目に復活してくださいました。復活されたイエス様は、40日間弟子たちと共に過ごされました。そして、弟子たちが見ている前で、神のみもとに帰られたのです。それから10日後に、神のもとから聖霊が来られました。神から送られた聖霊は、イエス様の弟子たちの上に注がれました。聖霊が下ったことによって、弟子たちは、イエス様の十字架の意味、人間の罪の赦しと救いを知ることができました。まさしくこの聖霊の力によって、イエス様の弟子たちはそれまで内に留まっていたのが、勇気を与えられて外に出て行き、大胆にイエス・キリストの救いを多くの人々に語ることができたのです。イエス様の弟子の1人であるペトロの働きによって、多くの人々が、イエス・キリストの十字架の救いを信じ、洗礼を受けて、教会に加わっていきました。教会が誕生し、本格的な活動が始まっていきます。

 また、ペトロによって、生まれた時から足の不自由な男が癒されました。生まれた時から足が不自由で、今まで一度も自分の足で立ってことも歩いたこともありませんでした。その男がペトロの行った奇跡によって、いきなり立ち上がって踊り出していくのです。その奇跡を目撃した人は、非常に驚き、神の力の大きさを感じたのです。そして、更に多くの人々が洗礼を受けて、教会に加わっていきました。

 イエス様の弟子たちの働きによって、教会は拡大していきました。しかし、そのことを快く思っていない人々がいました。イエス様を十字架につけた祭司長や律法学者たちです。彼らは、イエス様の弟子たちである使徒たちを、何度も捕らえて牢に入れてしまいます。そして、最高法院で裁判も行いました。そのような激しい抵抗や迫害があっても、使徒たちは、イエス・キリストの福音を語ることを止めませんでした。初代教会の様子を、使徒言行録は次のように伝えています。

使徒2:44~47

信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

使徒4:32~35

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

 このように聖書の箇所を読みますと、理想的な交わりの様子を知ることができます。財産を共有し、皆がそれを分け合っています。信者の中には1人も貧しい者はいなかったのです。初代教会の様子は、このように素晴らしい成長と交わりを形成していました。そのまま成長することができればいいのですが、そうではない現実も起ってしまいます。それは使徒5章に出てくるアナニアとサフィラの事件です。この夫婦は、自分たちが売った土地の値段をごまかしてしまったのです。土地の一部を売っただけなのに、それが全部だといってごまかしてささげてしまったのです。そして、今日の聖書の内容になっていきます。

 祭司長や律法学者たちの抵抗や迫害があっても、教会は成長していきました。多くの人々が教会に加わっていきます。それはとてもうれしいことなのですが、人が多くなったことで新しい問題が出てきたのです。イエス様を信じる弟子の数が増えてきました。ここに2種類のユダヤ人がいるのです。ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人です。ギリシャ語を話すユダヤ人とは、ユダヤ地方を離れて遠くに住んでいる人々です。五旬祭などの時には、遠い地からやって来て、エルサレムで祭りを祝います。そして、イエス・キリストの福音に出会って信じ、教会に加わった人々です。このユダヤ人たちは普段、ギリシャ語を話していました。ヘブライ語を話すユダヤ人とは、ユダヤ地方にそのまま住んでいるユダヤ人のことを指します。教会の人数が増えて、このような人々がいて、緊張が生まれてくるのです。

 初代教会では、皆が財産を共有し、分け合っていたのです。日々の分配なども配慮して対応されていました。しかし、日々の分配のことで、ギリシャ語を話すユダヤ人からヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出てきたのです。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられているというものでした。ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめたちが日々の分配のことで、十分な物を得ることができていないということです。悲しいかな、教会でもこのような問題が起ってきてしまうのです。それが現実なのでしょう。問題が起った時には3つの対応が考えられます。1つは、ただ嘆くこと。2つは、見ないふりをする。3つが、現実をしっかりと向き合って解決策を考えるです。初代教会の人々は、3つ目の対応をしていきます。

 そこで、12人の使徒たちはすべての弟子たちを集めて話し合っていくのです。使徒たちだけで決めていくのではなく、教会のすべてのメンバーを集めて、問題を出し合って、どうすれが解決策を見い出すことができるのか話し合っています。使徒たちは「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのか好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」と提案します。教会の働きの中で特に大切なのは、祈りと御言葉の奉仕です。そのために使徒たちはその働きに専念するといいます。ただ、日常的なことが大切ではないというのではありません。もちろん、大切です。そのために、新しい提案をしています。多くの弟子たちがいるので、12人の使徒たちだけの働きでは限界もあるし、逆に大切な部分が疎かになってしまう危険性もあるからです。

 出エジプト記18章で、モーセのところにしゅうとであるミディアンの祭司であるエトロが訪問した場面があります。その時までモーセは1人でイスラエルの人々のいろいろな苦情の対応をしていました。多くの民がいましたから、待たせたり、十分に苦情を聞くことができなかったり、モーセも疲れ果てていました。エトロはつぎのような提案をモーセにしています。「本当に大切な問題はあなたが対応して、それ以外のことは、人々の中から神を畏れる有能な人、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選んで、対応してもらいなさい」と。それで、モーセはエトロの申し出を受けて、そのような人物を選んで、問題を対応するようにしていくのです。それと同じことをここではしています。

 教会員一同は、この提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人、7人を選ぶのです。ステファノ、フィリポなどが選ばれています。使徒たちはこの7人のために祈って彼らの上に手を置きました。按手です。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰の入ったと書いています。教会の活動に反対していた祭司が大勢、教会に加わっていったことに驚きます。この後、ステファノの活躍があります。日々の分配も大切な役割です。この7人によって、問題も解決し、教会は発展していきます。ステファノの活躍は、使徒たちに同じような働きをしています。

 教会は人の集まりです。人々が集まる所には、いろいろな問題が起ってきます。その時には、その問題をきっかけに、新しい成長する部分が見えてくるはずです。そのような視点で、教会の歩みを考えていきたいと願います。神の導きを信じて歩んでいきましょう。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。使徒言行録の歩みを見ながら、教会の歩みについて見てきました。問題が起った時に、どのように対応していけばいいのかと示されました。問題や課題をマイナスに受け止めるのではなく、プラスに受け止めることができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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