4月18日の礼拝の内容です。

礼拝

礼拝説教       マタイ15:32~39「7つのパンの奇跡」     2021.4.18

 今日の礼拝は特別な時なのかもしれません。この礼拝堂がしばらく使えなくなるからです。教会堂の増改築工事が明日から始まります。来週の日曜日から、約1年間、私たちは、CS館での礼拝を守ることになります。どのような歩みになるのでしょうか。新しい教会堂ができる喜びを待ち望みながら、この時を過していきたいと願います。

 イエス様のみ言葉があります。マタイ4:4「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる」です。この言葉は、申命記8:3「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口からでるすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」から、来ています。かつて、イスラエルの人々は、エジプトで長い間奴隷として歩んでいました。それを神はモーセを導いて、エジプトから解放し、荒れ野の旅を経て、約束の地へと導かれたのでした。この荒れ野の40年間の歩みは、とても厳しいものでした。水はない食べ物はない荒れ野での歩みでした。しかし、神はイスラエルの人々を養い導かれたのです。水が与えられ、マナとウズラによって、支えてくださったのです。

 人は生きるためには水と食べ物が最低必要です。それがないと人は生きていくことができません。人が生きるためにはパンはどうしても必要なものです。イスラエルの人々の荒れ野の40年の歩みは、そのパンを神が与えてくださり、乗り切ることができたのです。神からのパンがなければ、荒れ野の旅を続けることはできませんでした。

 この神からのパンですが、イエス様は、ヨハネ6:35で「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と、言われました。イエス様はその神からのパンを、御自身の活動の大切な時に、人々に与え続けたのでした。イエス様の活動はガリラヤ地方のおける働き、異邦人の地での働き、エルサレムでの働きがありました。

 まず、マタイ14:13~21の「5千人の給食」の奇跡です。ガリラヤ地方において、イエス様はイスラエルの人々に、御国の福音を宣べ伝えて来ました。また、弟子たちを選び、多くの奇跡を行ってきました。そのガリラヤ地方での働きの最後に、この奇蹟が起っています。イエス様は5つのパンと2匹の魚で、男子だけで5千人の人々を養われたのです。残ったパンは、12かごいっぱいになったのでした。

 そして、今日の聖書の箇所です。ここは異邦人の地です。この異邦人の地でも、イエス様は、イスラエルの人々と同じような働きをしていました。御国の福音を語り、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、多くの病人を癒されたのです。そして、イエス様のもとに多くの異邦人が集まっていました。それも3日間もイエス様と一緒にいるのです。イエス様の限られた異邦人の地での働き、多くの異邦人が、イエス様のもとに集まってきたのでしょう。そして、時間を忘れて、空腹を忘れて、共に3日間も過ごしたのでしょうか。どうして、異邦人は3日間もイエス様の共にいたのでしょうか。それだけ、人々は辛い状況にあったと思います。

 イエス様は弟子たちを呼び寄せて言われます。「群衆がかわいそうだ。もう3日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」と。このイエス様の言葉ですが、「群衆がかわいそうだ。空腹のまま解散させたくない。」と言うものですが、やさしさを感じるのです。神の子としてのやさしさ、愛を感じるのです。異邦人だから関係ないと言うことではなく、同じ人間として、深い思いやりをもっておられます。

 イエス様は弟子たちが差し出した7つのパンと小さい魚を祝福し、神の祈り、そして、弟子たちの手に託して、群衆に配ります。すると、人々は皆、食べて満腹しました。残ったパンは7つのかごいっぱいになりました。この時、男だけで4千人の人々がいたのです。異邦人に対しても神のパンで養ってくださいました。

 イエス様はやがて、エルサレムに行き、十字架のおつきになります。十字架におつきになる前に、最後の食事を弟子たちとします。いわゆる最後の晩餐です。

マタイ26:26~28

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

 このパンによって、イエス様は十字架の赦しを与えてくださっています。イエス様が十字架におつきになる時、すべての人々の罪は赦されたのです。そのイエス様の十字架を表すパンを食べることによって、私たちの罪の赦しを確認することができるのです。教会の礼拝の中で、聖餐式が行われます。私たちは聖餐式のパンを食べます。この時、イエス様が示してくださった神の赦しのパンをいただいているのです。

 イエス様が、私たちに与えてくださる神のパン、そのパンによって、私たちすべてを養い、また罪を赦してくださっています。このイエス様の示すパンは、私たちのすべてを支えて養ってくださっています。瀬戸永泉教会は、133年目の歩みを始めています。今年は大きな時になります。教会堂の増改築をずっと準備し、進めて来ました。それがいよいよ実現しようとしています。現在は、新型コロナの影響中、厳しい状況下にあります。しかし、イエス様が与えてくださる神のパンによって、教会の歩みも私たちの歩みも必ず支え導いてくださるのです。

祈り 神さま、イエス様は、異邦人にも神からのパンを与えてくださいました。この神のパンによって、異邦人を養い支えてくださっています。私たちも、イエス様のパンをいただいています。このパンによって、私たちのすべてを守り支え導いてくださいます。感謝します。このすべての感謝をイエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

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