10月9日の礼拝の内容です。

礼拝

讃美歌は、13(1)357(1)27です。本日、横山牧師は休暇中です。よろしくお願い致します。

礼拝説教   出エジプト記14:5~14「道は拓かれる」(小椋実央牧師)  2022.10.9

イスラエルの人々はモーセに導かれてエジプトを出ました。10番目の災い、エジプト中の初子と家畜の初子、全て命が絶たれるという恐ろしい災いを後にして、旅が始まります。信仰の民、イスラエルの旅の始まりです。男だけで60万人。ヤコブの一家70人ほどがエジプトに移住してから、約430年後のことでした。イスラエルの人たちが逃げ出したと聞いたファラオはすぐに思いを改めます。選りすぐりの戦車に馬をつなぎ、後を追います。家畜を連れて、幼子や年長者を交えたイスラエルの人々が、すぐに追いつかれることは目に見えています。折しも、彼らが宿営していたのは海のそばでした。目の前は海、後ろからは敵が追ってくる。絶対絶命のピンチです。イスラエルの人たちは慌てふためき、モーセにつめかかります。(11~12節)神に仕えることよりも、エジプト人に仕えるほうがマシだった、と言うのです。神に仕えるのか、エジプトに戻って奴隷になって、再びエジプト人に仕えるのか、この問いは40年の旅路の間、モーセとイスラエルの人々を苦しめることになります。

モーセが海を二つに割るという場面は、聖書を開いたことのない方にも有名な場面です。敵が迫って来て、切羽詰まったモーセが神に助けを求め、手を差し伸べると海が割れる。なかなか劇的な場面ではありますが、あらかじめ神さまが仕組んだ演出だったという視点から見て見ようと思います。今日お読みした箇所より少し前になるのですが、13章の終わりの部分で、神さまはイスラエルの民を遠回りさせたことが記されています。その理由は民とエジプト人が戦うことになると、人々が後悔するかもしれないから、とあります。直接対決を避けるために、あえて遠回りをさせるのです。そしてもう一度海の近くに戻って、バアル・ツェフォンという海沿いの土地に宿営するようにと命令します。つまり、折角遠回りをしたのにもう一度海の近くに戻って来て、なおかつ海を背にしてエジプト軍を待ち受けるのです。さながら背水の陣と言ったところでしょうか。イスラエルの人たちが海を背にしてエジプト人に追い詰められるのを神ご自身が望んでおられる。もっと言うならばぎりぎりの極限状態の中で、あなたたちは神に仕えるのか、それとももう一度エジプト人に仕えるのか、告白を求めている。神さまが人々の告白を期待しておられると言ってもいいかもしれません。

どの程度のイスラエルの人たちがエジプトを脱出するという現状を理解していたのか。突如としてモーセという指導者が現れて、ごく一部の人たちは出エジプトの意義を理解していたかもしれませんが、大半の人々はわけが分からないままエジプトから連れ出されたのだと思います。何よりもエジプトを出てくる時には10番目の災いの真っ最中、エジプト中の初子が断たれて阿鼻叫喚の極みでした。エジプト人から追い出されるようにエジプトを後にした多くの人たちは、せいぜい明日から重労働をしなくてもよい、ぐらいの認識だったのかもしれません。けれどもすぐに後悔します。歩けども歩けども、目的地、というものが存在しない。水の一滴さえ自由に手に入れることができないということを知ります。自分たちは神に仕えるためにエジプトから連れ出されたのに、神に仕えるとは荒れ野で飢え渇いて野垂れ死にすることなのか。そこに追い打ちをかけるように敵が攻めてくる。自分たちは死ぬために、墓場を求めて荒れ野に連れてこられたのか。イスラエルの人たちはパニックになって、泣き叫び、エジプト人に仕えているほうがましだったとモーセに訴えるのです。

聖書のどの部分を開いても、また自分自身の生活を振り返ってみても、人は弱いものだということを思い知らされます。弱いというより、忘れっぽいと言ったほうがいいのでしょうか。私たちには「神に助けを求める」という最大の特権があるにも関わらず、すぐにそのことを忘れてしまう。そして他人を非難したり、過去を悔やんでみたりする。一番助けを求めねばならない時に、神そのものの存在を忘れてしまうのです。イエスさまの弟子たちがガリラヤ湖で嵐に遭遇した時、真っ先にしたことは居眠りしていたイエスさまを非難することでした。「わたしたちがおぼれても構わないのですか。」人は極限状態に陥ると、これまで隠されていた嫌な部分がむき出しになってしまうのかもしれません。

「恐れてはならない」モーセは言います。イエスさまも繰り返し弟子たちに言いました。「恐れるな」まず心を鎮めること。心が波立っていると、私たちはどんな危険に対面しているのかも見えなくなってしまう。だからまず落ち着き、心を整えなさい。モーセは人々に語りかけます。(13~14節)実際にイスラエルの人たちが静かにしたかどうかは定かではありません。これ以降に記されるイスラエルの人々の旅路を見る限り、彼らが静寂に包まれたとは考えにくい。泣いたりわめいたりしながら、しかし武器も持たない何の訓練もうけていない自分たちが無力であることをとことん思い知ったのではないでしょうか。モーセが言ったとおり、文字通り「見る」ことしかできないことを思い知ったと思うのです。しかし「見る」だけとは言え、神のわざを直接見るのです。神の救いのわざの生き証人となるのです。最も無力だと思っていた自分たちが、神の救いの担い手として立てられる瞬間です。逃げることも戦うこともできない、無力だからこそ、神の救いのわざをこの目で見届けるという大きな恵みにあずかるのです。

いよいよ海が分かれるという歴史的な場面です。どうも映画の印象が強くなってしまうのですが、モーセが手を差し伸べると巨大なカーテンを開けるかのように海が開かれていく。そのようなイメージが固定化しているかもしれません。今日は14節までしか読んでいませんが、15節以降、どのように海が割れたのかということが詳しく記されています。それを読んでみますと、どうも映画のようにすぱっと海が割れるわけではない。もう少しじりじりと時間をかけて海が分かれるようです。まずイスラエルの人を導いていた二つの柱、昼は雲の柱、夜は火の柱ですが、そのうちの雲の柱が後ろ側に移動して、イスラエルの人たちとエジプト軍を分け隔て、エジプト軍を近寄らせないようにした。それは一晩中であったとあります。その間に風が吹きつけて海を押し返し、海が渇いた地となり、水が分かれた。そして人々はようやく海を渡ることができるようになるのです。

21節には海が渇いた地に変わり、水は分かれたとあります。少し細かいことになってしまうのですが、水がすっぱりと分かれて、そこに風がふきつけたから海底が渇いた、というのではない。反対です。先に海が渇いて、その次に水が分かれたと聖書は記しています。これは完全に個人的な推測になってしまうのですが、先に海が渇いたということはイスラエルの人々が安全にわたることができる状態であった、ということを強調しているのではないかと思います。ちょうど海の引き潮のように海底がぬかるんでいる状態ではなくて、陸と同じようにからからに乾いている。陸を歩くのと全く同じように、割れた海の中を通っていったのだ、ということを示しているのではないかと思います。そしてエジプト軍が後を追って海に入ってきた時、神がエジプト軍をかき乱し、戦車の車輪を外した、とあります。これも海底がぬかるんで車輪がとられて走りにくくなった、というのではなくて、むしろ渇いた路面で戦車は走りやすい状態にあったにもかかわらず、神の手によって車輪が外され、エジプト軍を足止めにした、という意味ではないかと思うのです。

これらのことを目の当たりにして、イスラエルの人ではなくエジプト人がこう言います。「主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」モーセはイスラエルの民にむかって「今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。」と言いましたが、イスラエルの人たちよりも先にエジプト人たちが神のわざを見て、そして行動に移します。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」この後海の水が元通りになり、エジプト軍は1人残らず水に覆われたとありますが、神の救いを見て行動しようとしたエジプト人を、どうか神さまが救ってくださるようにと願わずにはいられません。こうしてイスラエルの人々は神さまの救いのわざを見て、また経験をして、神さまを信じます。神を信じる民の旅が始まります。

神を信じる民は水をくぐり抜けて生きる、という話はこの海を渡ったイスラエルの民の話だけではありません。創世記に出てくるノアは家族と共に箱舟に乗って40日間大雨の中を生き延びます。またヨナは嵐の中で海に投げ込まれるものの、大きな魚に飲み込まれて三日間魚の中で過ごします。水は死を示しています。水の中で人は呼吸することができません。誰も水の中では生きることができないからです。私たちも洗礼という水の中をくぐりぬけます。洗礼を受けることは一度死ぬということです。そして自らが死ぬと同時にキリストの死と復活とにあずかるのです。

個人的な話になって恐縮ですが、私自身はちょうど20年前に洗礼を受けました。洗礼というものがキリストの死と復活にあずかるのだということは概念としては分かっていましたが、今から思いますとずいぶん気軽に洗礼を受けたものだなぁという気がします。今でも十分に分かっているとは言い難いのですが、特に死については経験不足ということもあって、理解が足りていませんでした。10年、20年と教会に連なっていると、ついこの間まで共に礼拝を守っていた仲間を天に送るという経験をします。軽やかに天に旅立つ方もいれば、苦しんで苦しみ抜いて生涯を終えるという方もいます。だからといって人の死について絶対にこうだ、という確信があるわけでもないのですが、20年前の自分に教えることがあるとすれば、1人の死が確実に残されたものを生かす、ということです。友の死を家族の死を悼みながら、自らも部分的に相手の死を経験する。そして自らの残された命に注目せざるをえなくなる。それほど近しい関係の方ではなくても、それこそニュースでとある人物の訃報に接した時に、自分は生きている、生かされているということを急に思い知らされるということがあります。

息子がまだ3歳ぐらいの頃に、おそらく本人もよく意味が分からずに言ったことだと思うのですが、ある時こう言いました。「人は死ぬことができる。」それを聞いた時に、死ぬというのは生きている人だけにゆるされていることなんだなぁ、と。死んでいる人は死ぬことができない。当たり前のことですけど。生きている人だけに許されているのが死なのだ、と。どんなに生き絶え絶えの虫の息であっても、生きていなければ死ぬことはできない。この時もまた、死をみつめるからこそ生かされている自分と向き合えるような気がしました。20年前、自分が洗礼を受けた時に比べると、今のほうが死に対する恐れは強いかもしれません。生きることへの執着が強くなっているからです。若い頃は自分勝手に、自分だけのために生きていましたが今は違います。色々な人と人との関わりの中で、責任の中で生かされている、ということを知るたびに、おいそれとは死ねないという思いがあるからです。

洗礼とはキリストの死と復活にあずかることです。20年前よりも、今のほうが私はこの言葉にしり込みしてしまうかもしれません。キリストと共に死ぬということが何か恐ろしいこと、避けてとおりたいことと思ってしまうかもしれない。しかしノアやヨナがそうであったように、イスラエルの人たちがそうであったように、水をくぐりキリストの死を身に帯びることによって私たちは本当の自由に出会います。神に仕えるという道があります。私たちに神に仕えるという力がなくとも、神さまが私たちを用いて、渇いた海の道を歩かせてくださるのです。洗礼によってキリストの死と復活にあずかった私たちは、死を恐れて生きるのではなくて、この旅路を一緒に歩んでくださる方と共に復活の命に希望を抱くことができるのです。

神さまはご自分の救いのわざをイスラエルの人たちに見せました。イスラエルの人たちに遠回りをさせて、エジプト軍を待ち受け、海を二つに割ってそこを渡らせました。ご自分の救いのわざにイスラエルの人たちを用いたのです。当たり前のことですが、イスラエルの人たちがいなかったら救いのわざは成り立ちませんでした。渇いた海の道を渡るイスラエルの人たちが、救いのわざには欠かすことができなかったのです。驚きながら、喜びながら、文句を言いながら、それでも海を歩く私たちを神さまは必要としてくださったのです。私たちも数々の困難に直面し、嘆き、混乱してしまうことが少なくありません。しかし神さまが私たちをも用いて、渇いた海の道を歩かせようとしてくださいます。神がわたしたちのために戦ってくださるのです。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」私たちもまたイスラエルの人々と共に、渇いた海の道を歩くのです。罪と死に勝利してくださった主イエスキリストを信じて、私たちは歩き続けていくのです。

<祈り>御在天の父なる神さま、礼拝の恵みを感謝いたします。イスラエルの人々の困難な旅路を、私たちも歩んでいます。疲れ果て、あきらめたくなる時も、あなたは私たちを支え、道なき道へと導いておられます。どうぞあなたの救いのわざを最も近くで見ることができますように。そして信じないものから信じるものへとつくりかえてください。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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