5月5日の礼拝の内容です。

礼拝
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

5月5日の礼拝の内容です。讃美歌は、18.197.361.405.27です。

礼拝説教      使徒9:1~9「天からの光が照らす時」    2024.5.5

 5月の最初の日曜日を迎えました。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、私たちの1週間の歩みがより豊かなものとなりますようにと祈ります。

 礼拝では、使徒言行録を読んでいます。この使徒言行録は、キリスト教の最初の様子を記しています。神からの聖霊が、イエス様の弟子たちに下り、教会が誕生し、キリスト教の歩みがスタートして行きます。

イエス・キリストの福音はエルサレムから始まり、ユダヤ、サマリアと伝えられていきます。

使徒1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

この聖書の言葉の通りにイエス・キリストの福音が伝えられていくのです。その動機になっていったのが、ユダヤ教の指導者からの迫害でした。特に、ステファノの殉教はその大きな影響を与えたのです。教会への迫害によって、信仰者たちは、エルサレムから逃げて行きました。ユダヤやサマリア地方に行ったのです。その道先で、何と、イエス・キリストの福音を伝えていきました。聖霊の力を受けて、そのような伝道活動をすることができていくのです。教会の歩みは発展していくのです。

 そして、今日の聖書の内容は、伝道者パウロの登場です。ここではサウロとなっています。サウロの回心の場面です。使徒言行録には3回、サウロの回心の出来事が書かれてあります。それほどに、ここはより重要な内容だといえるでしょう。キリスト教は、イエス・キリストから始まっていきます。そして、このサウロによって、キリスト教の基礎が確立していったといってもいいと私は思います。その理由として、私たちが持っている新約聖書の3分の1はサウロによるものです。また当時の地中海世界の半分を伝道して行ったことになります。サウロがいなければ、今日のキリスト教はなかったといえるでしょう。

 サウロの最初の登場は、使徒7:58「証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」です。ステファノの殉教の場面です。更に、使徒8:1「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」というものです。サウロの個人情報は、使徒22:3で詳しく書かれてあります。

使徒22:3

「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」

 サウロは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人でした。ユダヤ地方ではなく、外国で育ったユダヤ人ということです。当然、ギリシャ文化の影響を多く受けていたと思われます。そして、エルサレムへ留学して、ユダヤ教の指導者であったガマニエルのもとでユダヤ教の律法について厳しい教育を受けたといっています。サウロは当時としては恵まれた環境の中で育っていったといえるでしょう。熱心に神に仕えていたといっています。まさしく、そのままで、熱心なユダヤ教徒としてサウロが登場して来ます。ユダヤ教の指導者たちは、キリスト教の動きを許すことはできませんでした。間違った教えを人々に語り、広めていると理解されているからです。サウロもその1人でした。サウロはステファノの殉教をどのように受け止めていたのでしょう。ステファノの殺害に賛成していたとありますので、それが神の意志だと信じて疑わなかったのでしょう。

 そして、今日のサウロの回心の場面に入っていきます。サウロは主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めています。それは、キリスト教を信じる者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためだったとあります。想像すると、若いサウロが、意気揚々とダマスコに向けて歩んで行きます。神の意志に従って、キリスト教徒を見つけ出して、エルサレムに連行するためでした。

 ここから、ダマスコ途上でのイエス様との出会いの場面になっていきます。サウロが旅をしてダマスコに近づいた時でした。突然、天からの光が彼の周りを照らしたのです。どのような光だったのでしょう。太陽の光が強かったということもできるかもしれません。しかし、天からの光です。神からの光です。その光がサウロの周りを照らしたのです。サウロは地に倒れていきます。そして、イエス様の言葉を聞きます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかける声です。これまでサウロは、キリスト者たちを迫害してきました。だから、復活されたイエス様はサウロに、なぜわたしを迫害するのかと聞いているのです。サウロは「主よ、あなたはどなたですか。」というと、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と答えています。同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものもいえず立っていたのです。

 地面に倒れていたサウロは、地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかったのです。人々はサウロの手を引いてダマスコに連れて行きました。サウロは3日間、目が見えず、食べも飲みもしなかったのです。

 このダマスコ途上でのサウロがイエス様と出会った場面は、サウロの人生を大きく変えるものとなっていきます。ダマスコに向かうサウロ、神のために、キリスト者を迫害し、逮捕して、エルサレムに連行することが使命だと考えて行動していました。ところが、イエス様と出会ったパウロは、突然の光を浴びて、一度は地面に倒れてしまいました。やがて、自分の力で立つことはできましたが、目を開けましたが、何も見えなったのです。自分の力では歩くことはできず、人の手を借りてダマスコの町に連れて行ってもらうことになっていくのです。サウロは、イエス様との出会いで、ダマスコで3日間、目が見えず、食べることも飲むこともしませんでした。サウロにとって、この3日間はどのような時となっていたのでしょうか。

 この3日間の時を経て、サウロはキリスト教への迫害者から伝道者に変えられていきます。どのようにして変わることができたのでしょうか。それは、イエス・キリストとの出会いがあったこと、つまり、神の力である聖霊の働きによって、そのように変えられていくのです。ただ、そのことしかいえません。他の理由を考えることはできません。それほどに神の力である聖霊の働きは大きいのです。この後で、ダマスコの町において、キリスト者であるアナニアとの出会いが待っています。また後にバルナバとの出会いもあります。キリスト者に変えられたサウロですが、実際に、伝道者として活躍していくためには準備期間が必要でした。サウロの今後の歩みを、次のようにいっています。

使徒9:15~16

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

 これは、イエス様がアナニアに語った言葉です。サウロの今後の伝道者としての歩みをいっています。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないか、異邦人やイスラエルの人々にも、イエス・キリストの名を伝えていくことです。イエス様がなぜ、このサウロを異邦人の伝道者として選ばれたのか、私たちはいろいろな理由を考えることもできます。それ以上に大切なことは、神の意志だったということです。このことの理由につきます。私たちは神の決定に何もいうことはできません。

 でも、このことだけはいうことができます。私たち1人1人は、瀬戸永泉教会に導かれています。これは、聖霊によって導かれたいうことです。いろいろな理由を考えることもできますが、何よりも聖霊の導きによって、この教会に招かれているということです。そして、私たちも、このサウロのように、イエス・キリストの福音を語るように導かれているのです。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。迫害者サウロから伝道者サウロに変っていくことをみてきました。サウロを導かれたのはイエス様ご自身でした。そのことも重みを感じています。あなたは、私たちを救うために必要な働きをなさってくださっています。神の御旨を知ることはできません。でも、あなたがしてくださることを感謝して受け止めることができるように導いてください。私たちの役割を、私たち1人1人の役割を知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

コメント